馬場邸・馬場記念公園見学 ~ 馬場はるさんを偲んで
富山市岩瀬の馬場邸
10月11日(土) 富山八雲会10月の例会では、岩瀬の馬場邸を見学しました。
八雲会会長の馬場是久氏のお家ではありますが、このたび、馬場家は富山市にこの家屋敷地を寄贈することになりましたので、その前に富山八雲会の会員が中を見学させて頂くことになりました。
馬場家は江戸時代、北前船廻船問屋として日本でも破格の財力を持った家であり、旧制富山高等学校生みの親である馬場はるさん(明治19~昭和46)が嫁ぎ没した家であります。
海に面した方に正門 海に注ぐ神通川がかつてはここまで来ていて船の荷の積み下しをしました
昔ながらの立派な塀 庭の松は手入れされていません
見学する八雲会の皆さん 今日の参加は24人
今度は家の中に入って ここは云わば商家のメインストリートのようなところ
吹き抜けの天井には明かりを取り入れる窓が
船の到着とともに家人や使用人がこの三和土を足繁く往き来したことでしょう。その様子を未亡人はるさんはこの左手の部屋の囲炉裏の前に座って、監督し采配をふるっていたということです。
こんなふうに。はるさんに代わって座ってみた平井さん
まず土蔵を見学
土蔵には富山市に寄贈することになって整理されている古文書などがありました。 左手に掛かっているのはこの蔵の大きな鍵
蔵はいくつかありました ここにはどんなお宝が・・?
別の蔵の二階に上ると太い梁の頑丈な造りが ここにもまだ未整理の古文書が山とあります
こちらは米蔵 高い高い天井まで積み上げられた米俵を想像してみます
さて一通り屋内を見学したあとは、座敷に座って馬場家当主の馬場八雲会会長のお話を聞きました。馬場会長ははるさんのお孫さんです。
廻船問屋馬場家の歴史や財力、祖母であるはるさんのことなどお話されました
財力で言いますと、江戸時代の馬場家は海運業廻船問屋のみならず、全国でも五指に入る資産家。東京、熱海、軽井沢など数個の別邸がありました。東京新宿の別邸は、最近まで最高裁判所長官の官舎として使われ、これらの設計はすべて富山県南砺市出身の建築家吉田鉄郎がしました。吉田鉄郎は東京、大阪の駅前の中央郵便局を設計した日本有数の建築家です。
馬場はる:明治19年下新川郡泊町(現朝日町)の旧家小沢家で生まれる。小沢家は大変裕福な商家で江戸時代加賀藩の十村(とむら・その地方の田畑森林を治める役割)も務めた名のある家柄。はるは大変厳しいしつけを受けて育てられ、15歳の時、上新川郡岩瀬町(現富山市)の海運業を営む馬場家の長男馬場道久に嫁いだ。
はるは一男三女に恵まれ、幸せな生活をおくっていたが、夫道久が40歳の若さで亡くなり、はるは32歳の未亡人となり、子育てと海運業の経営を一身に背負うことになってしまった。
長男の正治が県立富山中学(現富山高校)から慶応義塾に入学したとき受験勉強に苦しむ姿を見て心を痛め、富山県にも高校があればいいのに、と思った。それは県民の願いでもあった。当時中学より上の旧制高校へ行くには新潟県や石川県、または東京などの大都市へ行くしかなく、その数も少なかったので入学試験はとても難しかった。
夫の亡くなった4年後の1923年(大正12年)、はるは「高等学校設立の資金に」と県に150万円(今では20億円以上)の寄付を申し出、県は資金を足して、蓮町に富山県初の七年制高等学校(尋常科4年高等科3年)を設立し、大正13年春に開校した。以来、毎年多くの生徒が入学試験を受けた。
はるは高校開校後も、高校のために寄付を続け、明治の文豪ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の蔵書を遺族から今の価値にすると1億円で買い受け、「ヘルン文庫」として開校記念に寄贈している。 旧制富山高校は、多くの優れた人材を旧帝国大学へ送り出したが、昭和24年、富山高校は27年の歴史を閉じて、新制富山大学文理学部として引き継がれた。
約10年前 この座敷には八雲の孫の故小泉時さんも訪れた
お話を聞き、女性の地位の向上、社会進出が当たり前になった今の世の中ならいざ知らず、封建制度只中の地方の町で、女性が巨額な私財を寄付するような判断や決定は可能だったのでしょうか??未亡人と言えど、はるさんの、大商家を取り仕切る才覚と人格に依るところでしょう・・か?
さて、地元四十万亭のランチのあとは、車で3,4分の蓮町に移動し、旧制富山高校の跡地である馬場記念公園を散策しました。
牧野事務局長のご挨拶(四十万亭)
広大な旧制高校の跡地 今は馬場記念公園 ヘルン文庫跡地の碑を囲んで会員の大村さんから旧制高校やはるさんについてお話を聞く
旧制高校卒業生、88歳の野村さんも在学時のヘルン文庫の思い出を語る 当時ヘルン文庫は「神棚」のように大事に扱われ、英語の先生以外、近づかなかったとか
公園の一角に「馬場はる刀自」の像
初代校長の南日恒太郎像(ヘルン文庫を誘致)
旧制高校の正門はいまだ健在
歴史にタイムスリップして、富山の知の象徴となった岩瀬の文化財を探索した1日でした。
もっと詳しくご覧になりたいかたはこちらをクリック。
旧制富山高等学校 http://www.geocities.jp/qsay55/TY.html
富山大学ヒストリア(映像)http://www.youtube.com/watch?v=POegDp7SqsU
10月11日(土) 富山八雲会10月の例会では、岩瀬の馬場邸を見学しました。
八雲会会長の馬場是久氏のお家ではありますが、このたび、馬場家は富山市にこの家屋敷地を寄贈することになりましたので、その前に富山八雲会の会員が中を見学させて頂くことになりました。
馬場家は江戸時代、北前船廻船問屋として日本でも破格の財力を持った家であり、旧制富山高等学校生みの親である馬場はるさん(明治19~昭和46)が嫁ぎ没した家であります。
海に面した方に正門 海に注ぐ神通川がかつてはここまで来ていて船の荷の積み下しをしました
昔ながらの立派な塀 庭の松は手入れされていません
見学する八雲会の皆さん 今日の参加は24人
今度は家の中に入って ここは云わば商家のメインストリートのようなところ
吹き抜けの天井には明かりを取り入れる窓が
船の到着とともに家人や使用人がこの三和土を足繁く往き来したことでしょう。その様子を未亡人はるさんはこの左手の部屋の囲炉裏の前に座って、監督し采配をふるっていたということです。
こんなふうに。はるさんに代わって座ってみた平井さん
まず土蔵を見学
土蔵には富山市に寄贈することになって整理されている古文書などがありました。 左手に掛かっているのはこの蔵の大きな鍵
蔵はいくつかありました ここにはどんなお宝が・・?
別の蔵の二階に上ると太い梁の頑丈な造りが ここにもまだ未整理の古文書が山とあります
こちらは米蔵 高い高い天井まで積み上げられた米俵を想像してみます
さて一通り屋内を見学したあとは、座敷に座って馬場家当主の馬場八雲会会長のお話を聞きました。馬場会長ははるさんのお孫さんです。
廻船問屋馬場家の歴史や財力、祖母であるはるさんのことなどお話されました
財力で言いますと、江戸時代の馬場家は海運業廻船問屋のみならず、全国でも五指に入る資産家。東京、熱海、軽井沢など数個の別邸がありました。東京新宿の別邸は、最近まで最高裁判所長官の官舎として使われ、これらの設計はすべて富山県南砺市出身の建築家吉田鉄郎がしました。吉田鉄郎は東京、大阪の駅前の中央郵便局を設計した日本有数の建築家です。

はるは一男三女に恵まれ、幸せな生活をおくっていたが、夫道久が40歳の若さで亡くなり、はるは32歳の未亡人となり、子育てと海運業の経営を一身に背負うことになってしまった。
長男の正治が県立富山中学(現富山高校)から慶応義塾に入学したとき受験勉強に苦しむ姿を見て心を痛め、富山県にも高校があればいいのに、と思った。それは県民の願いでもあった。当時中学より上の旧制高校へ行くには新潟県や石川県、または東京などの大都市へ行くしかなく、その数も少なかったので入学試験はとても難しかった。
夫の亡くなった4年後の1923年(大正12年)、はるは「高等学校設立の資金に」と県に150万円(今では20億円以上)の寄付を申し出、県は資金を足して、蓮町に富山県初の七年制高等学校(尋常科4年高等科3年)を設立し、大正13年春に開校した。以来、毎年多くの生徒が入学試験を受けた。
はるは高校開校後も、高校のために寄付を続け、明治の文豪ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の蔵書を遺族から今の価値にすると1億円で買い受け、「ヘルン文庫」として開校記念に寄贈している。 旧制富山高校は、多くの優れた人材を旧帝国大学へ送り出したが、昭和24年、富山高校は27年の歴史を閉じて、新制富山大学文理学部として引き継がれた。
約10年前 この座敷には八雲の孫の故小泉時さんも訪れた
お話を聞き、女性の地位の向上、社会進出が当たり前になった今の世の中ならいざ知らず、封建制度只中の地方の町で、女性が巨額な私財を寄付するような判断や決定は可能だったのでしょうか??未亡人と言えど、はるさんの、大商家を取り仕切る才覚と人格に依るところでしょう・・か?
さて、地元四十万亭のランチのあとは、車で3,4分の蓮町に移動し、旧制富山高校の跡地である馬場記念公園を散策しました。
牧野事務局長のご挨拶(四十万亭)
広大な旧制高校の跡地 今は馬場記念公園 ヘルン文庫跡地の碑を囲んで会員の大村さんから旧制高校やはるさんについてお話を聞く
旧制高校卒業生、88歳の野村さんも在学時のヘルン文庫の思い出を語る 当時ヘルン文庫は「神棚」のように大事に扱われ、英語の先生以外、近づかなかったとか
公園の一角に「馬場はる刀自」の像
初代校長の南日恒太郎像(ヘルン文庫を誘致)
旧制高校の正門はいまだ健在
歴史にタイムスリップして、富山の知の象徴となった岩瀬の文化財を探索した1日でした。
もっと詳しくご覧になりたいかたはこちらをクリック。
旧制富山高等学校 http://www.geocities.jp/qsay55/TY.html
富山大学ヒストリア(映像)http://www.youtube.com/watch?v=POegDp7SqsU
この記事へのコメント
今日はあいにくの雨ですが、明日晴れそうなので行ってみます。今朝通った時にチラッと見たら、黄色い葉がたくさん落ちていました。楽しみです。
馬場家も2年前?富山市に寄贈されましたので、修復工事が終わったら来年早々見学できると思います。
ですね。
森家は見学したことがありますが、今年の帰省では、馬場家を見られるのですね。楽しみにしています。