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CASABLANCA in the Valley

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CASABLANCA in the Valley
ブログ紹介
葡萄大好き♪

6月末、長野へ行くと、みごとな葡萄ナイアガラの緑の房がたわわに揺れていました。

すご〜〜い! こんな素敵な葡萄の群集、初めて見ました!

でもこれは房の付き過ぎなんだそうです。 小さい房を切り落としていました(-_-;)(T_T)

素敵な若々しい青春葡萄。
ナイアガラの香りは抜群です! 秋になって私の口にも入って欲しいな〜♪
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アリソン一家と日本の休日

2018/08/06 23:45
Singapore の友人、Alison一家が5年ぶりに日本にやって来て、3週間の夏休みを過ごした。
まず九州の雲仙、長崎、広島などの原爆被災地を家族として初めて訪れて、1週間過ごしたあと、7月末に大阪の古くからの友人である義姉の家に到着。(留守番と英語通訳?を兼ねて)私も応援のため大阪へ。2泊して交友を楽しんだ。
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                      7月29日(日) 昼の部
  
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当時中学生や高校生だった息子たちとも長い付き合い、またやって来て一緒の食事やお喋りを
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                     夜の部
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わいわいがやがやと英語と日本語が飛び交うが、最近ますます錆びつきまくる「話す英語」を何とか絞り出すトレーニングになった。

25年前AlisonとSteveは大阪でALTとして4年間滞在。その時数学の教師だった義姉と相性がよくて?家族のように仲良しになって、私たち一家も大阪で、富山で、以来25年間にわたる楽しい交流が続いた。立山にも2度登ったし、時には大阪での結婚式に招いたり、また一周忌にも来てくれたり。
 
Alison夫妻はもともとEnglandの出身(同じ幼稚園だったそうな)、約15年前からシンガポールに居住、その後生まれた3人のchildrenは13歳から9歳までの成長ざかり! 長女のハナちゃんが生後4カ月で大阪へやって来た時は思い出深い。大学生になった息子たちとも楽しい交流。
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                        2005年5月 13年前
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私たちがシンガポールに訪ねた12年前は長女のハナちゃんは1歳4カ月になっていた。
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                        2006年9月
最後に会ったのは5年前の夏、一家で立山室堂の雪や黒四ダムや温泉を楽しんだ。
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                         2013年8月
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             5年前2013年夏の黒四ダム

というわけで、まだまだエピソードいっぱいのアリソン一家だが、今回は、まず長雨豪雨&台風直後の保津川下りを楽しむことになった。京都府亀岡→嵯峨野・嵐山16キロメートル、1時間半。ちょっと怖いなぁ・・・と思ったが適度なスリルと水しぶきで、何かにつけ体験の少ない私は冥途の土産が1つ増えた(笑)。
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               京都府 保津川下り  7月30日
途中、長雨豪雨で水位が数メートル上がった痕跡が頭上の木の枝に引っかかったゴミでわかる。
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   終点嵐山で舟から降りると4人の船頭さんは手を振ってさようなら 

向こうに見える渡月橋・・・豪雨の時は橋の上にかかりそうな激しい水流がTVニュースで盛んに流されていた。
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嵯峨嵐山駅 9歳のオリバーは、5年前の4歳の時に同じ場所で私の息子のYと一緒に写真撮ったことを憶えていて懐かしんでいた。
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5年前 同じ場所でアリソン一家と・・・ まだ小さい三人の子どもたち

楽しく慌ただしい2泊3日を過ごして、私は一足先に富山へ。
アリソン一家も、3日後にスイスへ行く上の二人のハナとジェイムスは父とシンガポールへ帰国。
アリソンとオリバーが富山へ。富山では計画通り、富山県美術館、我々が女優デビューした?豪農の館内山邸、そして宇奈月温泉と黒部峡谷トロッコ電車、そして大岩山日石寺などなどへ。
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                      内山邸    8月2日                          
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 上市町にある大岩山日石寺へ。  
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大岩の滝ではオリバーが勇気ある挑戦!! He is smart, cool, and courageous!!!
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                   素麺はみんな大好き
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そして宇奈月温泉「ホテル黒部」に。  8月2日
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   富山地鉄 宇奈月温泉駅 後ろの噴水は50°程の温泉!!

ここの大女将さんは義母の従姉妹ということでこれで3回目。
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     朝、ホテルを出発してトロッコ電車に。素敵な若女将と鉄橋を背に。
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終点の欅平駅まで行く時間ないので途中の黒薙駅まで乗ることに。待ち合わせ10分で帰りの電車に乗れるようだ。
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そして8月4日、お別れの日がやってきた。大阪へ帰る三人。
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   Good-bye, Oliver! さようなら    次に会うのはいつのことでしょう。私がシンガポールへ行く勇気が湧いたらね(ひこーき怖い病)・・・
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ハーンが夢見た美の世界 〜富山八雲会公開セミナー・総会 

2018/07/07 00:11
6月24日(日)高志の国文学館にて平成30年度富山八雲会総会・公開セミナーが行われた。
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      総会前の役員会  会計・計画案などの打ち合わせ

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 総会にて 中尾哲雄氏が第4代目八雲会会長2期目に再選された
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中尾会長は若き日にヘルン文庫でハーンの文学・哲学を読み更けた富山県経済界のトップリーダー
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牧野弥一事務局長 が事業報告・計画案など説明 満場一致で議事は修了  一応私めは議長で(-_-;)   

そして2時より公開セミナー 富山大学名誉教授 丹羽洋介先生の講演
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フレスコ画「輪廻」〜 ラフカディオ・ハーンに捧ぐ  丹羽洋介・作 (富山大学中央図書館 2F)
富山大学の中央図書館の2階ロビーには、富山大学教育学部で絵画・芸術の教授でいらした丹羽洋介先生が、1990年に大学からの依頼で、ヘルン文庫のために制作された大きなフレスコ画が壁一面に飾られている。富山大学の前身である旧制富山高校の1923年(大正12年)開校を記念して設置されたヘルン文庫は現在は富山大学中央図書館5階にある。(フレスコ画とは絵画の技法の1つ。漆喰を壁に塗り、それの乾かないうちに水性の絵の具で直に絵を描く。)
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実際に中央図書館2階のロビーに掛けてある『輪廻』 八雲会を立ち上げた高成玲子富山国際大教授が12年前の八雲会行事でフレスコ画について説明をされている
高成先生はこの時から3年後にすい臓がんで63歳で急逝された・・。

制作した丹羽教授は製作者の言葉として当時、次の文を書かれている。
「題名の『輪廻』ですが、これは壁画の政策に取りかかる前はヘルンというと「耳なし芳一」や「怪談」しか知らなかった私にとって、彼に関わりのある文献を読んで最も印象付けられたヘルンのイメージをテーマにしたものです。ヘルンの思想、彼が目指したもの、そして結果としての彼の生涯は『輪廻』という一言に要約できるような気がしました。」

今回の公開セミナーは、丹羽洋介元教授が、このハーンの生涯を描いた『輪廻』とハーンの美の世界について講演をして下さることになった。
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   約50名の会員・一般参加者の前で講演される丹羽先生

丹羽先生のお話は、この壁画には直接関係なく、演題は「ヘルンが求めた二人のビーナス」
一人は天上のビーナス、ではもう一人のビーナスはだれ?どこに?という、広く自由な世界で話された。
ヘルンの定義は・・・古典主義 →ギリシャ →規範・・なのか、ロマン主義→束縛なし、自由、自信なのか、、
いやそうじゃない・・・などなど。ヘルンはカトリックになじめなかった・・・などなど。
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丹羽先生は面白く1時間半を話された。そのあと、丹羽先生がどんなお話をされるか見当がつかずあれこれ皆で悩んだシンポジウムが、机を八角形に(夢殿式に!)並べて全員参加で始まった。
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はじめ、欠席裁判で、私にシンポジウムの司会をするよう勝手に決められたが、そもそもこういう抽象的な本題は、そうでなくても人見知りのするワタシに、絶対、到底、無理です!!!!と強くお断りしたので適任の木下副会長がされたのだが、論客がおられるし、丹羽先生も質問を受けて臨機応変に対応され、40分ほどが無事successfullyに過ぎた。

そして、5時からは懇親会。30名の参加で、イタリア料理ベットラ・ダ・オチアイに代わって4月から入った文学館のレストラン仏料理「シェ・ヨシ」にて。
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    レストランベランダはそよ風で快適   ひらいさんとおおむらさん
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                 ご機嫌?なお二人
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         木下副会長の閉会の挨拶で楽しいひとときもお開き

そして今日は八雲会誌『へるん倶楽部』が発刊されました。
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     今回私が起こした原稿とヘルン倶楽部16号

昨年10月の公開セミナーでの、和歌山大学・江利川春雄教授の『英語教育におけるラフカディオ・ハーンと南日恒太郎』の講演をDVDを起こし再録する作業をしたが・・16号にはそれも載っている。この再録を通して、江利川先生にはメールで再度質問などさせて頂き、改めて江利川先生の偉大さを再認識というか、新発見したのだ。 今年も大きな新著を刊行し、英語教育は勿論、英語教育史を中心にしたその学問的な追究、活動に頭が下がります!
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           昨年講演の折りにヘルン文庫を見学される江利川先生

学生指導でも、また全国を駆け巡る講演でも精力的にしておられるのに、多忙な中、毎夜12時まで机に向かうとどこかに書いてらした。 さもありなん。そうでなければ著書はできないでしょう<m(__)m>
さらに、先生は政治的な思想も信念も、堂々はっきりとブログやFBで表明しておられる・・・そこが素晴らしい!
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千住博展を楽しむ 〜大学同窓会

2018/06/20 11:46
6月17日(日)、今年度の大学同窓会支部総会は、今富山で最も輝いている?富山県環水公園に1年前に開館した富山県美術館の千住博展(高野山金剛峰寺 襖絵完成記念)を鑑賞する企画を立てて下さいました。
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会食した「日本橋俵屋」から神通川・環水公園方面を見晴らす風景は素晴らしい

鑑賞の前に近くのオーバードホールの14階にある「とやま日本橋俵屋」で、総会・歓談をしながら大変美味しい昼食をいただきました。食いしん坊の私ですが、最近非常に感激した和食がなかったので(みな懐石料理だったためか)、今日のようなお豆腐・ゆば中心のヘルシーで珍味な日本料理は、全員「おいし〜〜!」と感嘆しました。広い窓から自然に飛び込んでくる絶景も美味しさをさらにアップ。
今年県立高校長を定年退職されたYさんも久久振りに参加、ずっとお会いしたかったのでそのお元気でパワフルな姿に接して嬉しかったです!
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       美味しいご馳走に舌鼓うちながら世代を超えて語らう楽しさ
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そして2時頃、歩いて10分あまりの富山県美術館に移動しました。食事の時に、長年、美術館の友の会会長をされている石川さんが、美術館のことや今日鑑賞する千住博展の見どころなどを説明してくださいました。

この富山県美術館は昨年3月に仮オープンして以来(8月に本オープン)、なんと150万人の来館者があったことは報道もされていました。 それまでの富山県近代美術館がなくなってこの美術館がオープンすることには、惜しむ声や不満がだいぶ聞こえていましたが、何と言ってもこの立地場所と建物の明るいデザインが人気の源でしょう。今や環水公園は富山県最高の観光地、特にうちの子どもたちを含む若者は、世界一美しいスターバックスもあることから、ここを富山の自慢のスポットだと思っているらしい
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                   木材の床がcomfortable
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廊下を歩きながら見る眺めと感じる開放感 今までの近代美術館の閉鎖性、暗さとは対照的
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     美術館3階から環水公園を臨む 今日は立山連峰も綺麗 
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               大作  高野山金剛峰寺襖絵  滝 

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                        色が変わる・・・


芸術家千住三兄妹で有名な千住博氏の作品は初めてだった。ダイナミックで素晴らしかった!と思います。
他の日本画作品の展示とともに楽しく鑑賞しました。
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               千住氏の非凡な作品製作動画も見ました

ただ今回驚いたのは、美術館でこの企画展のメイン作品が写真撮影OKだったこと。 外国の美術館と比べ、日本の美術館、美術展はどこも撮影NGで、メトロポリタンやボストンの美術館で貴重な名画思い出写真を撮って来て以来、なぜ日本はダメなのと不満と疑問でふくらんでいたので、今回collection(常設)展は全部OK,企画展の一部もOKだったことに驚き、怖い顔で監視されているムードもなくお蔭でこんな写真が撮れて幸せいっぱいでした。  お話によると「県民の税金で買った絵画は県民のものだから県民に開放して楽しんで頂く」と。他の鑑賞者の邪魔にならないよう注意することは勿論大事!!
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                常設展で和やかに
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美術館ガイドのかたが積極的に撮ってくださいました(笑) ピカソの絵と ↓
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          近代美術館開館当時からあるミロの絵画

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 こちらも近代美術館時代からあるアートのチェアたち

同窓会の1日、鑑賞のあとはたっぷりとカフェでお喋りして。
写真OK,お蔭様で今までの美術館鑑賞になかった思い出の写真を撮ることができました。
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富山県美術館遠景(手前の水辺に建つのは結婚式場・仏料理ラ・シャンス)
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女性の大敵に関する予防対策医学セミナー

2018/06/19 22:35
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1ヶ月ほど前から案内を頂いた『女性のための予防対策セミナー』
女性の大敵、乳がんと、皮膚がんまではいかずともシミとシワの予防対策についての講演。

案内下さったのは、このセミナーでお話する扇谷咲子さん(先生)。なかなか会える機会がなかったが、最後に会ったのは彼女が医学部に進学した頃だったからもう何年前になるだろう。
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お話の前にテーブルの上のハーブティと、小林麻央さんが富山大で治療を受けているとき毎日摂っていたという9種類の必須アミノ酸やポリフェノールがブレンドされた甘酒サプリメント・・・を頂く。

会場は定員の50人を超えて、見ると90%は女性の方々で、でもカップルでいらした男性も少し。

 女性のための予防対策セミナー 県民会館701号室にて 17:30 〜20:50  
        主催は前田薬品工業株式会社の[Skinee部門(化粧品)]
 1. Skinee の前田大介社長ともう一人のスタッフが アレルギーなどのメカニズムや治療対策などお話。
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前田大介氏も附属の出身、昨年末、立山町に美容と健康のリゾート施設を作ることを石井知事に報告するTV番組に出演されていましたっけ。既成の薬品会社にとどまらず、アクティブに活動されている方だな、と観てました。

そしていよいよ扇谷咲子さん。待機する姿に落ち着いた貫禄!
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声やメールなどではコンタクトがあったが…・十年?ぶりのご対面、ちょっぴりドキドキ。
その昔、最後に会った時だったか他の人と彼女は私の運転する車の助手席に乗って、時折視線を向けるとその横顔と長いまつ毛がとても印象的だったのを憶えています。思えば美人三姉妹みなさんが同じように白く綺麗な肌とお顔をされていたからDNAなんでしょう
皮膚科の医師になられたのは患者さんに説得力があると思います!

附属中で私が初めて関わった学年に咲子さんはおりました。元気で優しく素直な少女、今でもその時のクラスとお顔ははっきり憶えています。その後、富山高校、父上と同じ順天堂大学に進み、楽しく充実した大学生活をおくって、今では母校の附属病院皮膚科で、パワフルに活躍していらっしゃる・・・そんな今現在の咲子さんとその講演をぜひ聞きたい!と6月16日を楽しみにしていました。

 2. ほってはおけないシミとシワ  扇谷咲子先生
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シミやシワの原因の1つ、紫外線についてのお話。日焼け止めを使うこと。ビタミンAとDのバランスが大事。日光浴。アンチエイジング対策。そして皮膚の病気と症状、皮膚がんへの移行と注意、治療の実際について。
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咲子先生の声はややハスキーで透き通って可愛らしく、淀みなくやや早口で心地よく、うっとりと耳を傾けました。
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     30分余りのお話が終わって、「ご清聴ありがとうございました」

紫外線のこと、肌のアンチエイジングの対策、私にはかなり手遅れ・・・! もっと早く聞いておけば咲子さんみたいな透き通った肌で輝いていられたかな〜(笑)

 3. 乳がんの基礎知識  関 大仁先生(埼玉メディカルセンター)
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今、日本人女性の12人に1人が乳がんに。(アメリカは8人に1人) 30〜50代くらいが一番多い。 乳がんになりやすい「敵」は肥満である・・・とか、こちらのお話も改めてとても勉強になりました。その治療法や検診の種類あれこれなども。

講演が終わると、ロビーで参加者や講演者といろいろ歓談ができました。
咲子さんとツーショットするのは有り難いけど、あまりに格差が顕著過ぎて躊躇しました・・・一番ボケた写真を小さく載せます((+_+))(-_-;)
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講師の関先生と扇谷先生    「またぜひ参加させてくださいね」

記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0


大岩山日石寺と芦峅寺雄山神社へ

2018/06/14 20:59
梅雨入りし、県外からお客さんが来て、富山の1日を、富山らしいところへ行ってみたいということになり、私もしばらく数年行ってなかった中新川郡上市町の大岩山(おおいわさん)日石寺へ行った。
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                まずは日石寺本堂でお詣り
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[大岩山日石寺は真言密宗の大本山として知られ、行基菩薩が大岩川の岩に不動明王を刻んだことが起源と伝えられています。 高さ 3.46mの本尊不動明王像のほか中部地方の最高傑作として国指定重要文化財となっています。 毎年1月の大寒には境内の六本滝で白衣をまとった信者が滝打ちの業を行います。(上市町HPより)]

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まず大岩さんと言えばこの大岩の六本滝のしぶき、 苔の香り、神秘的な冷ややかな空気
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         今日も一人の若者が滝の中に入って行った
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                 うーん、冷たそう!
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ここの修業は真夏でも冷たい滝の水に真冬の雪の中でも打たれるのだ

私がこの前にこの大岩山やこの滝を訪れたのは7年前だが、もっと前、約30年前の夏、子どもたちや甥たちがこれを体験!!!(笑)  こんな写真が貴重にも残っていた。
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                        30年前の夏
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     この大岩の穴の中に行基が掘った石仏がある
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 さて、深緑の木立の中、大正レトロなお店でソーメンを頂きに・・・
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前もこのお店でソーメンを頂いたっけ  Y先生がMさんと私を連れて来て下さって
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そして次は立山町芦峅寺の雄山神社へ!!   
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   この立山杉千年の樹齢の神秘を肌で
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境内にある『剱岳・点の記』撮影の地・・・・だが木村監督の他の作品『春を背負って』も『散り椿』もみなここで撮影している。監督のお気に入りの地だ。それにつられて私は何度ここを訪れたことか・・。
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  神社の隣りにある立山信仰の宿坊だった教算坊の苔むした庭を散策
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お茶会をしていた教算坊で緑でむせかえりそうな庭を眺めながら抹茶を頂く

東大比較文化・アメリカ文学教授だった佐伯彰一先生の生家もこの傍にある有名な宿坊「吉祥坊」だったが、今はなく、佐伯先生も一昨年亡くなられた。 私にはそういう意味でも芦峅寺は胸に沁みる地である。
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教育研究実践発表会〜堀川小外国語活動を見学

2018/06/13 00:02
6月1日(金) 懐かしい小学校へ懐かしい英語活動を見学に行くことになりました(意を決して)
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  発表のクラスのALTはフィリッピン出身のRachelle(レイシェル)さん

レイシェルと私は、2年前の冬、スポーツクラブで知り合った。なんとなく微笑んでいる彼女と英会話のリハビリでもしようとどちらかともなく話しかけて仲良しになり、たまには喫茶店でお茶を飲んで帰ることも。

1か月くらいして彼女が「My husband says he knows you!」と言ったのだが「??」どういうことかわからなかった。
そう言えば、彼女は日本人の(富山の)男性と結婚して2か月前に日本に来た、と言っていた。
「なぜ貴女のhusbannd が私を??」「He went to F Junior High School」と言うので、えっ、と思い、彼の名前を尋ねると「Yuhei T.」と。  私は「え〜〜〜!」叫んでしまって・・・。だってその生徒は私にとってとても印象深くいつも心のどこかにひっかかっていたのだから」

写真を見せてもらったら間違いなく私の知っているYTくん。・・・というわけで、20年余りの歳月を経てレイシェルのhusbandと感動の再会dinner をした。
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               2016年5月 20年ぶりの再会

彼が手放しで賞賛するように、レイシェルはとても賢い女性、語学留学したYuheiくんとはフィリピンの大学で知り合った。レイシェルは優等生だったようだが、 二人とも頑張ってTOEIC満点の成績を取ったそうで、なんと時には私と彼女の間の通訳も流暢にしてくれるYTくんにもっとビックリ、感激。

そして昨年4月から念願のALTになったレイシェル。 さすが、と、実は驚きもした。日本に来た当初は日本語もままならなかったけど、持ち前の才能と勤勉精神で学んでかなり上達した! ALTと言えども、教室ではある程度日本語もできないとteaching は難しい。 とうとうレイシェルは希望を達成して教壇に立てたのだ!

そして互いに忙しい日々の中でこの半年余り会うことは少なくなっていたのだが、富大の岡崎先生からの一報で、彼女が堀川小の教育研究実践発表会の英語活動で担任の先生と授業performanceをすることを知った。
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         PTAで3年間広報を編集した思い出の小学校
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         今回頂いた研究会の資料

堀川小は昭和22年に昭和天皇も行幸された、元富山女子師範学校の附属小学校だった。それゆえ先生方も自負があり、伝統あるこの毎年の教育研究実践発表会も今年は第89回。創立120年?

さて今日の英語活動は「Hi, my teacher!」ということで、それぞれが考えて来た自己紹介とレイシェル先生への質問も入れたりして、レイシェル先生と1対1で対話をやるという。
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4年生の教室ではこどもたちが順番にレイシェル先生のもとに列を作って並んでいる

周りに見学する先生たちは、どんな会話がされているのか耳を澄まして観察。 今日の活動授業の助言者、富山大学大学院の岡崎教授も近くで耳を傾けている。後ろで見ている私や、教室の他の子どもたちにもその対話は聞き取れないが・・・
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           子どもたちと一生懸命対話するレイシェル
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傍で対話の内容に耳を傾ける岡崎先生 子どもたちに対するレイシェルの優しい真摯な向き合い方がいい! 
岡崎先生によると、レイシェルは子どもたちに使える数少ない簡単な語彙を駆使してわかりやすくパラフレイズしていた!と後の協議会で賞賛された。
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が、1時間では順番に並ぶ生徒も全員が対話を出来ずに次の時間に分けられた。30人ほどの他の生徒たちは、傍らに置いた小学生用和英辞典を見たり(この事典はかなりgood)、、 、でもこの教室の状況は、能率的授業から見るとかなり時間のロスを感じたのは私だけではなかったようだ。 質問をして対話をしている生徒はベストなチャンスだと思うが、それ以外の生徒にはメリットが与えられないような・・。

でも、レイシェルの笑顔とテキパキした英語で教室の雰囲気と子どもたちの受けはかなりいいことが感じられる。

授業後は、今の授業についての研究協議会で、全国から見学に来られている先生方を再認識。
担任の先生を挟んで指導主事と他校の先生が前に座り、左手に助言者の岡崎先生、そして他の見学の先生方が座る。 私はと言えば・・ちゃんと2千円の参加費を受付で(初めて)払ってきたものの、どういう立場か?、一番後ろで目立たぬよう小さくなっていました。
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     すごい! 名古屋から、東京から、長野から、見学に来られた先生方

そして今日の大発見は、私が小学校英語の草分け期に附属小でALTとやった英語活動と、こちらの小学校の先生が目指す英語活動は目的が違うということだった!

私は45分を目いっぱい使って、飽きさせぬよう、覚えさせるよう、楽しい英語入門クラスを目指した。使われるテキストもなく日本人教師の采配で何を教えるかも自由とされた10年前。プランを立てるのは大変だったが、いかに小学生に英語的知識を楽しくインプットするかの工夫はやりがいがあった。(同時に大変な準備時間が要り、専門でもない小学校の多忙な先生にこんな英語活動は無理だろうと思った。)
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           10年前F小で 名ALTのジョシュアさんと
今、藤原正彦先生、外山滋比古先生、鳥飼久美子先生、そして先日講演された江利川先生、みなさん、今の小学校英語に反対をしていらっしゃる。 私もそう思う。どんなに工夫した授業をしたところで、1週間に1度の授業で、「英語を話せる日本人」ができるはずもない。活性化された英語活動でも感じたものだが、1人のこどもが、その1時間で英語発話が何回できるというのだ。

そんな立場から今回の授業を見ると、さらに時間がもったいない・・と皆さん感じたようだが・・・
何と、担任の女性の先生の説明と意図を聞いているうち・・・ああ、そうなんだ、小学校では英語の知識そのものを詰め込むのではなく、一人一人の子どもの取り組みの過程や成長を見つめ、認め、励ましてやる、という大きな目的があったのだ。それは日々、子どもの成長を見つめている小学校の担任の先生でなくては出来ないことなのだ・・・と目からうろこでした。ここまできめ細やかに一人一人の子どもの変化を追っていくなんて!!

だからと言ってこのような小学校英語活動をぜひ取り入れて授業にすべきだということにはならないと思うけど。
英語でなくても、小学校の教育というのは、この研究会がテーマとしているように『個の学びと教育』、一人一人の個性の成長を重視するもの、他の教科でも行われているものだろう。

「お友達?」の岡崎先生とレイシェルのお蔭で、久しぶりに重い腰を上げていい経験をさせてもらった1日だった。
レイシェルには、彼女への褒め言葉が多々あったことを知らせてあげた。
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エキスポランド眺望♪

2018/06/12 11:44
5月末、大腸ポリープ除去の3泊4日の短期入院をする人がいて、こんな時でもないとなかなかx近くて遠いO大附属病院には行く機会がないと思ってお見舞い兼見学に?  14階建の病院、11階談話ロビーから広く清々しい初夏の景観を楽しむ。
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万博公園エキスポランドがはるか目の前に  なつかしい太陽の塔や観覧車  その傍の建物は数年前に出来たエキスポシティ。

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こうして見ると千里の中心にあるこのへんは緑が多い新しい街

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  病院の敷地にもこんな緑の庭園が患者さんを癒してくれるだろう

昔、もう30年余り前に大阪の千里ニュータウンの隅に4年間住んでいたことがあるが、年月の経つのは早いこと。今ではそこの幼稚園や小学校に通っていた子も、生まれた子も早くも成人人生まっしぐら。
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スカイレストランはリーガロイヤルホテルの経営らしいけど・・ランチを
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草間彌生展 All about My Love 私の愛のすべて

2018/06/03 00:34
5月15日(水)実家へ帰る途中 松本市美術館へ。
ALL about My Love.....私の愛のすべて・・・・英語もその訳も好き。
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松本市制110周年・松本市美術館開館15周年記念 の草間彌生展

草間彌生は1929年(昭和4年)長野県松本市の松本駅近くで種苗業を営む裕福な家に生まれ、幼いころから草花やスケッチに親しむ。その一方、少女時代より統合失調症(医学博士西丸四方が診断)を病み、繰り返し襲う幻覚や幻聴から逃れるために、それら幻覚や幻聴を描きとめる絵を描き始める。・・・・松本高等女学校(現松本蟻ケ崎高校)を卒業後、京都市立美術工芸学校を卒業・・・・・89歳。いくつかの叙勲を経て、2016年文化勲章受章。
 
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別にお揃いの色を意識していたわけでなく、あとで撮った写真を見て驚く。美術館好きの友人が2週間ほど前にこのツーショットスポットで撮った写真をFacebookに載せていたので真似しただけ〜〜〜。写真はサイズを極力小さくしたのに4枚アップした写真の中で1番大きく載せられ、お蔭でいいね!が過去最高(笑)。 最近抵抗があって(元気もなくて)投稿を休んでいたのだけれど・・。
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       中庭のこのカボチャがこの展覧会の象徴かな すごく印象的

実は今度松本に降り立ったのは、来年5月頃、大学英文科のクラス会をこの松本・安曇野でやろうということになったからです。2年に1度のクラス会(それより前は3,4年に1度)昨年は久しぶりに東京でしたが、東京以外で行われたのは3年前の大津の琵琶湖畔でした。

来年の長野県では、幹事は長野県出身であるK・Rさんと、この私、そして10年ほど前から諏訪郡富士見町に住むMMさん。 K・Rさんは今は安曇野に住み、高校は松本だったので1番の現地人。私は同じ長野県でも「東信」地方出身なので、松本はほとんどstranger ((+_+)) 初めて松本城へ行ったのは、大学卒業してから・・・というほど。 それで几帳面なK・Rさんが昨年から詳細に計画を立てて準備を進めてくれました。

この松本美術館もクラス会での訪問候補の一つ。 草間彌生は好きだったので、まずはここに「下見」に行くことから始まりました。撮影許可のおおらかさも気に入りました(制限付きですが)
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             四方が作品で埋まった大きな部屋
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この部屋には何枚の絵があるのだろう・・・細かい模様、モチーフ、集中して描き始めると他のことは何もできなくなるのだと・・。狂気的熱中! それにしても何時間何十時間没頭し続けたのか。
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絵だけではなく様々な’ケッタイな’造形物。・・・万人に好かれる芸術ではないようです。
照明を使ったり、手品のようなトリック的芸術・・・・細かい繰り返しのアート。 でもわかり易くて、地味なふつーの日本画より良かったと思います。何故か、もう1度訪れたくなる愛おしさは、彼女にあるのか、彼女の作品になのか・・・。
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[追記] 6月14日(木) 英語講座から帰宅すると安曇野の友人から!!<strong>「彌生ちゃん人形ストラップ」が送られてきました! 私としたことが先日これを買ってこなかったことが悔やまれていたのに、友人が今度行ったら買っておくね、と約束を果たしてくれた〜 これをバッグにつけたら元気でそう
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                   R子さんありがとう〜
R子さんのお手紙 「・・今日は草間彌生の追加展示されている平面作品「生命は限りもなく宇宙に燃え上って行く時」の原画と鏡張りの部屋「魂の灯」を見られたので満足です」
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GWのお客さま  [環水公園の巻]

2018/06/02 00:27
連休二日目からややこしくなり、三日目の5月5日は予定も何もめちゃめちゃ(笑)でした。
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富山駅北口にある富山県環水公園 子どもたちの小学校中学校時代は、富山湾へ通じる材木運びの運河だった(もう使われてなかった運河?) ザリガニも捕りに来たっけ 

最近、最も手っ取り早い観光案内は、ここ環水公園(正式名は富岩運河環水公園)。 世界一美しいスターバックスというのが出来たこともあり、県外の人への話題や自慢になるらしい。 まずは我が家の子どもたちは帰省するとここを訪れるし、高齢者もお客をここに連れて来ますね〜〜。昨年、富山県美術館が新しくここにオープンして入館数が100万人を超えたなどと言ってますし、何と言っても清々しく、ヨーロッパの公園を彷彿させるとか・・。
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             タワーブリッジがこの公園のシンボルかな
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         海へと運行する観光遊覧船ものどか 
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                 船を見ながら初夏の風に吹かれて
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そして第2弾のお客が早朝帰る予定だったのに、環水公園で遊び過ぎて昼になってしまいました(-_-;)
そこから慌ただしさが倍増し、第3弾のお客様を半分ほったらかしてしまって(-_-;)(-_-;)
でも、午後2時半、ようやくこのタワーブリッジに上って今日は綺麗に見える立山連峰を眺めることができました〜〜! 
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        今日はラッキー! タワーブリッジの上から立山連峰が綺麗
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とにかく連休3日目の(5月5日)富山は快晴で爽やかな風が吹き、人や車の賑わいも最高になりました。家から環水公園への道路が渋滞で動かないのです。
予約してあった遊覧船の出発時刻に間に合わないか!!というところで、車をようやく探した駐車場へ入れて来た私は、船出発場(船着き場)への150mほどを大疾走しなければなりませんでした(-_-;)(-_-;)((+_+))
疾走できたのは最初の50mほどで後は心臓爆発寸前で、まあ、とにかく半分動き出した船に最後の乗船者として飛び乗ることができました!
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                             (net写真)
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                  あちらに見えるのがスターバックス
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そもそも富岩運河環水公園の元は、昭和初めに作られた東岩瀬港と富山市を結ぶ富岩運河。以後の工業化に大きく貢献しました。この遊覧船は岩瀬港まで行くものと途中の中島閘門までのとあり、私たちは時間もないし中島閘門までの往復1時間ほどのクルーズでした。 
富岩水上ライン https://fugan-suijo-line.jp/?tid=100160 
中島閘門は富山市の富山駅北側付近から河口の富山湾まで南北に続く、富岩(ふがん)運河中流域にある現在も運用されているパナマ運河方式の閘門で、国の重要文化財に指定されています。中島閘門での水位調整は、まさに「水のエレベーター」。高低差2.5mもの迫力ある「水のエレベーター」を体験できるのは日本ではここだけです。
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というわけで中島閘門では貴重な体験と歴史のお勉強を、クルーザー乗り場では全力疾走のかつてリレーの選手だった経験を生かしました!(うそ、たった50m)



     
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GWのお客さま〜  [雨晴温泉磯はなびの巻]

2018/06/01 21:15
もう6月に突入!  1カ月前のGWに溯ります。 これはまあ私の日記のようなものだから。
外からのお客さんがあると、例え家族でもその前のお掃除が大変・・・。 数日は机の引き出しまで大整理大掃除!
5月3日は初めての、grandsonのお国入り(笑)。 3日から5日まで述べ10人の出入りがあり、ややこしくなり機能の衰えた脳の黒板にスケジュール表を作ってみたりしたけど・・・  なかなかシミレーションイメージが湧いててきませんい(-_-;)   とりあえず、5月3日は雨晴海岸近くの温泉「磯はなび」を2月ごろに予約してありましたので。
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富山県高岡市 この有名な雨晴海岸♪  まあなかなかこのような立山連峰が見える日はありませんけど

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 3日は 高岡の雨晴(あまばらし)海岸近くの温泉「磯ななび」へ

ここに初めて来たのは、もう10年も前になるのですね、2007年平成19年3月25日の能登半島沖地震のその日。 9時41分58秒に石川県輪島市西南西沖40kmの日本海で発生した、マグニチュード(M)6.9(気象庁暫定値)の地震。4年前に亡くなった義父を中心に親戚中がこの磯はなび(当時は「雨晴しハイツ?」)に集まることになっていました。  ところが、その日の朝、ぐらぐらぐらっとかなりの揺れが!!

大阪へのサンダーバードなど終日ダイヤが乱れ、東京からの特急は運休になり、東京の義弟は参加キャンセル。でも大阪、名古屋からの親戚はすでに電車や車で出発していたので、このまま決行することになり、何と震源地の能登半島へとみんな向かって行ったのです。
震源地近い輪島のほうでは道路も崩れて通行止めになったくらいの地震でしたから、その日は何ともなかったものの、翌朝、海を臨む絶景の露天風呂に入っていると、余震がぐらぐらっときてその時の怖かったこと! 裸で襲われる地震というのはこの上ない恐怖です。このまま飛び出さなくてはいけないのかっと!

そんな思い出もなつかしいですが、その後、私の長野の母や弟夫婦や義妹の両親なども2,3回やって来て温泉を楽しんで行きました。義妹の両親は当時92,3歳、今はこの世におりませんが。今回は私には7年ぶりかしら・・。
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海を見ながらのロビーは昔と変わらない
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海を眺めながら、海の風を感じながらの露天風呂は最高でした!

途中、海王丸パークへ回って来たら、スコールみたいな雨が降って降りるのは止めました。
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初めての飛騨高山へ

2018/05/25 17:24
最近、エネルギーがなくなって、ブログ更新が遅くて困る。5月も終わるというので慌てて振り返ってみると・・・まあこれと言ったイベントも行事もなくて・・・辛うじて遅ればせながらにピックアップしてみると・・。

4月7日(土) 4/10が期限の青春18きっぷが余っているというので(しぶしぶ?)岐阜の高山へ〜!富山に住んでいるのに私は1度も行ったことのない「高山」に、まあ1度は行ってみなくてはね。子どもたちは小学校や中学、中には高校でも、遠足に2回くらいは行っているのに。今にも降りそうな空が気になる。
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    富山駅でJR高山線猪谷行に乗る 乗客はまばら・・・ 
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うら寂しい猪谷駅(富山県最後の駅)で高山行に乗り換えます でも電車は新しい2両の車両
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もうすぐ雨が降りそうな初春の肌寒さ   車窓からの風景はなかなか素敵
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やがて神通川に合流するという宮川を右手に臨んでガタゴト電車は走ります

というわけで、がらがらに空いた電車は途中 飛騨古川で何故か若者がどどっと乗り込んだのは、映画『君の名は』のロケ聖地なんだとか??私は観なかった映画だけど(-_-;)
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無事に富山から鈍行(普通電車)2時間、高山駅に着きました
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 早速『飛騨ステーキ』を求めて街をさまよう(徘徊、いや散策)
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   街を流れる宮川・・・川っていいなぁ、金沢の浅野川の風景を思い出す
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         宮川にかかる「かぢはし」(鍛冶橋)と風雅な柳
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飛騨ステーキを食べさせてやるから・・と言われて、多分嘘だと思っていたけど、やっぱりウソ、実現しそうもない〜。古い街並みの中、何軒かのステーキ屋さんらしきを見つけたが、、 他の古風に装った小奇麗なお土産屋さんを覗いたり彷徨ってなかなか本格的なステーキはやって来ない。
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、、、
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それにしても、初めての高山は私のイメージを上回って、金沢並みの観光地であったのでびっくり。
街の規模も大きい。 金沢のようであり、高岡の金屋町のようであり、。。驚いたのは外国人観光客の多いこと!
最も多いのはアジア系(中国人?)でヨーロッパ・中東系も見かけるけど、何と言っても日本人がほとんどいない。それらしき東洋人は、結局中国人だった〜〜!
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        中国人の団体観光客のみなさん 中国語が飛び交う
 
 山の中というイメージの高山がこう大きな国際都市だったとは。勿論、富山県人として私が遅れていただけのこと。
帰って来て周囲のAさん、Bさんたちにこの驚きを言うと「そうよ〜!知らなかったの?20年前、 うちにアメリカの高校生がホームステイに来ていた時ここへ連れて来たわ」と。
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             帰りにこの店で高山彫の汁椀を6つ買った。
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            金沢の茶屋町みたい・・・
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 ようやく飛騨ステーキではなく飛騨牛重で妥協して・・・でもこれって吉野家の牛丼と同じ・・(-_-;)?
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         最後にこんな五重の塔が。国分寺だそうです。

岐阜の友人を思い出しました。 いつか長野と富山と岐阜からやってきて出会ったらいいな〜。 

でも、なんせ富山⇔高山の電車本数が少ない。 滞在時間2時間の青春18切符の旅でした!
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3月の思い出3つ

2018/03/31 13:17
明日で弥生三月もはや終わり。 なんと2日ほど前に気づいた?桜の満開!

まだ早春賦の歌にふさわしい初旬には私は優雅な結婚式に招かれて東京へ。 3・10
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                 永遠の幸せを誓って
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春の色の象徴だろうか桜のピンクとともに この菜の花イエローを基調にした品格あるセッティング そういえば学生時代に郷里の友の結婚式で来たことがある。
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2月末に急逝した新郎の友人K君の席が哀しい....附属中・富山高校のなつかしい人たちのテーブル
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          矢沢永吉的なエンターテイメントも楽しかったが・・・
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90歳を超えられた?新婦のお祖母様の秋田長持唄の素晴らしさに圧倒されました
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             格調高いホテルオークラのロビーでした


能登和倉万葉の里マラソン2018  3・11
東京から帰った翌日は能登半島、石川県七尾市の和倉温泉へ大阪から来たマラソンランナーたちを車で連れて行くことになっていました  翌朝6時に起きて6時45分出発。能越自動車道を使い、少なくとも2時間の予想より早く1時間半で着きました。
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この能登島大橋の写真は昨年の大会写真 今年は天気予報は雪・・・であったが朝はせめて晴れてくれました・・
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フルマラソン出場のマラソン2回目ランナーと10キロマラソンに出場するマラソン初体験者。気合だけは入っているようで・・。
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                        準備運動怠りなく
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      10時。 いよいよフルマラソンスタート 4500人
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       40分遅れて10キロマラソンがスタート  2000人
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結局、10キロマラソンはちょうど1時間で完走  練習の時は5キロしか走ったことなかったので、最後死にそうだったそうだが何とか予想以上に頑張れたと子どもみたいな達成感。
 
いっぽうフルマラソンは前日までの風邪熱がたたった上、突然の暴雨にも見舞われ、結局2時間半後に32キロ地点で泣く泣くリタイア〜〜 くやし〜〜

思いがけない幸運は、七尾湾の有名な牡蠣、採れたてを焼いて食べられたこと!その美味しさといったら・・・ フルマラソンを待っている間、イベント広場で。
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海辺のイベント広場ではテントの下で沢山の炭火が用意され、特別価格1つ百円の採れたての大きな牡蠣を思いきり焼いて食べました〜〜!(フルマラソンランナーさん、ごめんなさ〜い)
でも途中、突風と暴雨に襲われ、テントごと竜巻的に海へ飛ばされるのではとテントにしがみつきました〜〜〜〜〜〜〜  


 お彼岸の法要は美しいメゾソプラノの歌声で〜〜〜  3・24
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声楽家の堀江李理子さん、ピアニストの佐々木ゆき子さんに、立山町の善入寺で素敵なコンサートをお願いしました。 李理子さんは、指揮者としてコーラス指導で有名な堀江英一先生の奥様です。 その昔、中学時代、善入寺の住職夫妻の教え子だったとか♪(^_^.) 

1時間のお経と法話のあとは、40分ほどのコンサート、そしていらした方々はお座敷でお寺で手作りしたぼた餅を頂き、お茶を飲みながらほっこりしたひとときを過ごしました。
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 「春よ来い」「おぼろ月夜」「とんがり帽子」「みかんの花咲く丘」「あの子はだあれ」「この道」
「カチューシャの唄」「ゴンドラの唄」など、昔なつかしい歌とボリュームある美しい歌声に50人の檀家のお年寄りの方々は大感動。終わったあと、「良かったです〜〜」「涙が出そうになりました」と口ぐちに言っておられました。
ほんもののマイクなしのプロの歌声を、目の前で聴くことはめったにないことと思われます


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             本日 春の法要・音楽鑑賞会の演奏の方々と
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春の雪 新酒蔵出し 〜武重本家酒造

2018/03/27 22:34
春分の日。信濃路旧中仙道の宿場町茂田井の恒例の蔵出し・酒蔵開放の日が今年もやってきました
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2,3日前からの天気予報通り、長野県内はやはり春の雪が・・・ 明治元年(1868年...150年前!)創業の武重本家酒造は、佐久市の観光ポスターにいつも使われているこの建物も含め、屋敷も蔵も国の登録有形文化財。

浅間山や八ヶ岳など名峰に囲まれた佐久市は、市内の中央を一級河川・千曲川が縦断する風光明媚な地域です。武重本家は、明治元年(1868年)、十二代当主が酒造の権利を得て酒造りを始めました。現在は十六代当主がその伝統を受け継ぎ、生元(きもと)造りによる個性豊かな地酒「御園竹」を醸しています。
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代表銘柄の名の由来:
「御園」は皇室を意味しますが、そこに武重本家の家紋である「竹」の一文字を加え、代表銘柄「御園竹」の名が完成しました。ちなみに、もう一つの代表銘柄である「牧水」は、かつて同蔵元に逗留した歌人・若山牧水にちなんでいます。
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明治後半から大正時代、 お酒の好きな若山牧水がこの武重本家酒造に逗留し、その時読まれた3首が刻まれた歌碑・・・・も雪に見舞われて。 
   よき酒と ひとのいふなる御園竹 われもけふ飲みつ  よしと思へり
    
   しらたまの 歯にしみとほる秋の夜の 酒はしづかに 飲むべかりけり

   ひとの世に  たのしみ多し 然れども 酒なしにして  なにの楽しみ

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           酒を愛し 旅を愛し 自然を愛した歌人  
若山牧水(明治18年〜昭和3年 43歳没)宮崎県日向市の医家に生まれる 早稲田大学 生涯9000首の歌を詠み、全国に最多の300もの歌碑がある。
  
武重本家酒造HP http://www.takeshige-honke.co.jp/takeshige/frame-index-takeshige.html

さて毎年春分の日に行われる蔵出し・酒蔵開放の行事、今年で20回目だそうだが、なんと生憎の雪の日に。

富山からも駆けつけた私であるが、時には東京の従兄弟夫婦もやって来たり、近隣のいとこたちや、遠方安曇野に住む友人も来てくれたり、試飲試食コーナーはごった返し、懐かしい出会いの場にもなる。
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    突然の雪降りしきる中、どどどっと大勢の人がやって来た

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       新酒試飲・・・お酒好きにはこれがメイン
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        自家製野沢菜漬けをおつまみに、信州式酒の飲み方
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江戸時代からの酒造りの道具が展示されています そもそもここの地名茂田井(もたい)も古い酒造りの道具の名前

ところで、10年前に日本アカデミー賞を受賞した『たそがれ清兵衛』は山田洋次監督がここにオープンセットを作り撮影したが、今年5月25日(金)に公開される山田洋次監督の『妻よ薔薇のように〜 家族はつらいよV』も昨年秋にこの敷地内で撮影され、山田洋次監督とお話することができた私
その前売り券も特別販売されてばっちり買って来た。
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映画についてインタビューを受ける武重有正社長は東大工学部出身工学博士です

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武重社長と山田洋次監督、柳田佐久市長、俳優の西村まさひこ、夏川結衣さん 昨年11月
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  この辺の風景も映画に出てくるようです
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  こちらは今日はお茶の休憩所に 降る雪はなかなか風情もあります

さて、10時の開場を機にごった返した敷地内、醸造所などの見学もあり、また手打ちそば、麹のゼリーや甘酒、コロッケ、パンなども振舞われたり販売されたり。
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 私の目指すところは二十六(どぶろく濁酒)系の「二十六ライト」とスパークリング「泡泉花(ほうせんか)」、季節限定なのでつい・・・・もちろん「御園竹」や「牧水」の主流銘柄や、この蔵出しで新酒販売される「春花見」も魅力的!

1時間半かけて雪の中をかけつけてくれた友人夫妻、そしてそのお嬢さん、嬉しい出会いです!
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このかたは、母親の里が茂田井という共通項で知り合ったfacebookトモダチ。横浜から友人とはるばるいらして初対面。幼い時や子ども時代によく来たこの茂田井の地が懐かしいそうでした。

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  このたび方々の酒好きへのお土産や自分用に買って来ました
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折しも、お彼岸でもあり、帰り際に、小高い丘を上り、父のお墓にお詣りして来ました。酒好きだった父に「牧水」を5分だけお供えして(笑)母の健康と父の孫たちの安泰をお願いして
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2月、会った人、観た映画、読んだ本のこと

2018/03/02 23:49
久しぶりに雪に踊らされた1月2月。 普段の生活では大したことない大雪だけど、大阪、東京、長野など県外に出かけるとなると、特急が延べ5日半も運休した北陸本線、東京までの新幹線は終始動いてくれたけど、どうなることかと不安感を被る。

それでも何とか3月に入りひな祭りとなれば、気温の緩みも感じてほっとする。
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  今年もまたMさん宅の100年前のお雛様でわが桃の節句を 2/26

新しく嬉しい再会もあったが、哀しい、若き命との別れもあった2月・・・。いまだに胸の悼みは消え去らない。

2月上旬、大阪へ行った折り、昨年、30年もの海外赴任生活(主にドイツ)から戻った従兄弟夫婦の家を訪問した。家への訪問は20年ぶりかも知れない。故郷信州の話し、幼い日々の思い出、などすこぶる楽しいひとときを過ごした。
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 2月3日に公開された映画『羊の木』を観た。 昨年初夏の『追憶』以来の映画館だ。基本的にあまり映画を観ない、私。 近年、『剱岳・点の記』を皮切りに、富山県では県が率先して映画ロケを支援し(多分、富山をアピールする最強の手段ということだろう)多くの映画が撮影されている。
『レイルウエィズ』は我が家の周辺的だったので観たが、『人生の約束』、『ナタラージュ』などなどその後は『追憶』まで観たことはなかった。が、『羊の木』は、先日1年半ぶりに会ってサンマルクで4時間!お喋りした魚津の友人の街だし、魚津市長の村椿さんが新聞誌上の監督との対談で力入れしていたこともあって。そして、松田龍平くんも出演しているので・・・。
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でも・・・残念ながら、あまり好きではなかったな〜〜。 ミステリー、推理構成はいいとして、残酷部分が私には印象に残って。 松田龍平君は、仮出所して更生の生活を始めた不可解な6人の中では一番爽やかで好感度が高かったのに、何と一番問題で、残虐性を帯びた主演的キャラクターとなってしまった。 

「見たくなかったな、、、もちろん、もう1度なんてとても観れない」と観ているときから不快感がじわじわと。 原作は人気漫画だそうだけど、仮出所の元囚人を市役所の係以外は全く秘密裏に受け入れると言うところから在り得ない、架空の街の架空の物語だ。 そのようなストーリーではせっかくの魚津の街も、単なる村興しが必要な錆びれた田舎に映ってしまう。

でも、主演の錦戸亮さんは(実は彼の存在を初めて知った)明るく優しく真っ直ぐで、とても良かった!

しかし、魚津でロケをした、というのですぐに観に行った義姉は「よかった〜〜、面白かったよ!」と。「私は嫌だったけどおねえさんは、はらはらドキドキが好きだからいいかも」と冗談に言ったんだけど。

誘おうかなと思ったけど結局一人で観に来た今回だったが、映画が終わってロビーに出て来るとその誘おうと思ったMKさんとロビーでばったり。 別の映画を観に来たのだとか。 何だか嬉しくなって移動して二人でパフェ―を食べて帰った。

 昨年末、「プレゼントよ」と頂いた文庫本『散り椿』をベッドサイドリーディングで読んだ。作者の葉室麟は昨年暮れ66歳で亡くなったが、『散り椿』は昨年初夏、木村大作監督が富山でロケした映画の原作。 
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実は、時代物小説を読むのは初めてだったような・・。というのでしぶしぶ?読み始めると面白い。・・・こちらも架空の藩でのお家騒動を背景にする推理もの、そして男女の愛の複雑な心理が謎のように全体を貫いている。

時代物は初めてのせいか・・・江戸時代といっても、これはまるで現代社会の構図そのものじゃないか、いいの?こんなんで・・などと笑ってしまった。出世だとか賄賂だとか・・・ふむふむ、どの時代にもあるというものの、まあentertainmentだからこれでいいのね。

それにしても、主演の岡田准一はどの役なのか? 二人主要な剣の達人がいる。もう一人は西島秀俊だけど、
どっちがどっちの役なのかな・・と想像するのは楽しいが、これも今よりも命がないがしろにされる江戸時代のこと、切腹、暗殺(これ現代語ではないか?)、決闘、やはり私には重すぎるな〜〜〜(-_-;)
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  この散り椿のシーンは富山市の豪農の館 内山邸で撮影されていた

岡田准一は格闘技の免許?資格?を持っているとか、その剣術技の素晴らしさに木村監督は感銘したと言ったが、まさにこの映画は剣の技が重要な意味と場を持っている。 作者葉室麟も剣道をやったのでなければなかなか書けない描写だ。
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推理ものとしては面白くて、最終の章は一気に読み過ぎて寝不足になったが、あまり感動しなかったのは、私が願う結末にならなかったからだ。 主人公二人の剣士は、1人は劇的な死で結末を迎え、1人はそれまでの不運から安堵の結末が用意されたのに、それを断って去って行く。  つまり私は単純で、ハッピーエンドの暖かい物語でないともう受け付けないらしい(笑)

ところでうちの散り椿・・・いや、本当はサザンカだというが、みごとに赤い花びらを散りばめて、雪の中でも咲き続けた。今もなお、だ。
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              ところで我が家の散り椿(さざんか) 上も下も2月
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今年は久々の大雪

2018/02/14 22:26
ここ数年、温暖化のせいか富山の降雪は少なくて、雪かきらしい雪は降らなかった気がする。

最後の大雪の思い出は、もう8年前の1月末、3年前に亡くなった義父が90歳の時、当日が入院して大腸がんの手術をするという日なのに、病院へ行く前、いつものように家の前の道路を雪かきしていた。

義姉と私で怒って慌ててスコップを取り上げ、「お父さん、入院するというのに雪かきしている場合じゃないでしょう!!」と車に乗せて病院へ向かった。
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                   皆に見送られ手術室へ向かう義父
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                   無事に終わって

あの時は結構降っていたかも知れないが、義父は雪が降ると即道路の除雪をしないではいられなかった。 今でも近所の80歳の一人暮らしのかたが、「雪が降るといつもお宅のお父さんを思い出すの。本当にお宅の前は隅々まできちんと綺麗に除けてくれるので、ありがたかったわ〜」
人に優しくて几帳面な義父だった。

そうだ、8年前のその年は、『剱岳・点の記』の映画のロードショーが6月に控えて、木村大作監督が芦峅寺の雄山神社から車で全国キャンペーンに出かけ、私たちは雪に埋もれた神社で見送ったっけ。義父が手術した翌日だった
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              お祓いを受けて出発

一家に誰か除雪人がいると他のものはやらなくなる。この私も・・・そして思うにうちの息子たちも雪かきしたのをほとんど見たことがない・・・(-_-;)  「雪なんかいつかはきっと融けるのだから・・」と言ったり、「お父さんは雪かきが趣味だったのかも知れない・・・」なんて勝手なことを言っていたが。

でも、今では真っ先に雪と格闘するのはこのワタシ、そして夫もかなりやるようになった今、義父の気持ちがわかるようになった。そのままにしておくと落ち着かないのだ。
除雪車が通った後など、雪の塊を置いていくのでどかさないと車がガレージから出ないのだからやらざるをえないし・・。

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 2月12日からのこの冬3回目の寒波が1晩の降雪としては一番多かった。一晩に80センチは積もっただろう。朝起きて辺りはお餅がふくらんでいるみたいに可愛く盛り上がっていてびっくり。
北陸本線は13,14日と2日間運休。先週には3日半運休だった!
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                  寒椿も雪の塊(2階から
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            ベランダの歩行器も雪に埋もれた
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                80センチくらいはあるかな、ベランダの雪
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内から見るとガラス戸の外、床から50センチほど雪が押し付けている かなりエキサイティング

東京、大阪、埼玉、岐阜、長野の友人・親戚から大雪見舞いのメールや電話を頂いた。感謝。
でも、ほとんどの方が第2寒波の先週、福井の国道8号線で3日間立ち往生した沢山の車のニュースを見て、私も雪の中に、あるいは車の中に閉じ込められているのでは、という心配をしてくださった。(ちょっと笑ったけど)

道路と言えば、立山の雪の大谷化した今回、除雪車や融雪システムが間に合わなかったのか、アイスバーンより厄介な「モーグル」道路。 ぼこぼこぼっこ、でまるで今やっている冬季オリンピックのモーグルの如く車の中で揺さぶられながら、ハンドルをとられそうになり対向車にぶつかるかも知れないスリル満点で運転する!
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                アスファルト路面が見えない道路
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       交差点 除雪車が積み上げていった雪の山

しかし、山の雄姿と同様、雪の立体感も写真では表現できないもどかしさ。  facebookでも何人かの友人が興奮して?この大雪をアップしているが、(例えば駐車場のマイカーの上にお餅のように積もったまるい雪の山)、
その迫力はやはり写真ではわからない!

そんなこんなの今年の大雪! そんな中を1つラッキーだったことは、3日半運休のあと、限定的に動き出したサンダーバードに乗って大阪に2泊し、渋滞も途中停車もなく無事に行って来れたことだ。翌日からまた運休だったのだから。

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平成30年の幕開け・・・ちょっと遅ればせながら

2018/01/25 23:44
主婦としては師走と新年の忙しさは相変わらずですが、気がつくともう新年が明けてひと月が終わろうとしています。 
昨日から今年2回目の大寒波。今日などは近年ない真冬日に見舞われ、市内の幹線道路は、1つを除いてみなアイスバーンのよろよろ運転でした。 たんこぶのようなごつごつ雪面もあってゆっさゆっさと揺れて舌を噛みそうでしたよ。
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       今夜 9時 窓から近隣の雪景色 今はしばし降雪休止
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     昨夜10時 雪の夜は雪明りで夜とは思えない不思議な明るさ

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     こんな夜更けに雪かきする人も(笑) 運動不足解消と

この大寒波と格闘しながらも、今日はこんな雪の中、午前中は英語講座に、そして終わったあと文学館に竹久夢二の特別展ショップの「いちご夢二」というお菓子を買いに、ヨロヨロ、のろのろと車を動かし出かけたのでした。 1週間前に夢二展を見てこのお菓子に惹かれ買ったのです。
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      竹久夢二デザインのパッケージの中は可愛い餡の和菓子・・・


さて、昨年末から抱えていた「音訳ボランティア」の録音の仕事と、富山八雲会恒例の2月発刊のニューズレターの原稿ノルマ・・・。そう大した仕事ではないのですが、胸にひっかかり、背中に重く負lっていたものを、さらに未完成のまま、先週末は第1回目の恐るべき寒波の中、東京へ向かいました。

思うところあって、長年ご無沙汰していた東京の親戚を訪ねたのです。 いろいろな都合と観点から「今しかない!」と。
大学時代とてもお世話になっていたのに、私が東京を離れてから次第に距離的に遠のき、なんと16,7年ぶりにようやく訪問。 正確に言うと父の従姉妹にあたるかたの家族。 
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            11歳のわんちゃんきなこも迎えてくれました
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もう88歳のおばさまは膝関節が痛いという辛い悩み以外はとてもお年には見えない。今回は私にとっては初めてのN子ちゃんの家に。
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        90歳というおじ様はまだかくしゃくとした現役! 

マタ従妹のN子ちゃんは私より6歳年下で、大学時代、家庭教師として週末泊りに行き勉強した後、お料理好きな叔母様の美味しい夕食を頂きながら『8時だよ!全員集合』を見るのがこの世の1番の楽しみでした〜。当時の大学生はだれもTVなんか持っていなかったですからね。

妹のY子ちゃんは当時中学生、ピンクレディの全曲を私の前で踊ってみせたよね〜〜という思い出も。
今も昔も、変わりなく、私にとってオアシスのような暖かい親戚でした。

N子ちゃんもY子ちゃんもそれぞれ父上のあとを継いだ仕事に就き、家庭を持って今もバリバリのお仕事を続けています。 N子ちゃんは両親の近くに住んでいます。 私たちの関係感覚はまったく昔のままでした・・二人とも私を「○○子お姉ちゃん」と呼んで・・。そんな会話を聞く人がいると、どんなギャルたちが話しているかと思うでしょう(笑)
おじ様もおば様も信州の同郷なので、昔の思い出話は久しぶりに尽きませんでした。

父は90歳、母は88歳よ〜、早く遊びに来てくれないと会えなくなっちゃうよ!という誘いに、出不精で人見知りの私もついに決心したわけです。
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美味しいワインを飲みながら・・・調布駅近くの行きつけの日本料理のお店・・信州の血統は長寿でお酒が強いのです!


皆、とても喜んで下さり、私自身も15年をひとっ跳び、昔の感覚が内からもりもり湧いてきて、雪で覆われた富山から新幹線に飛び乗って本当に良かった、と思いました。

東京は快晴! そして翌々日、母に会うため途中下車した信州も寒さの中で雲一つない快晴でした。  新幹線が日本海を見る頃、ああ、まだ雪雪雪の銀(灰色)世界、あまりの落差に笑ってしまいました。(昔は泣きました)
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         軽井沢駅出た後新幹線からの浅間山!

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               中仙道塩名田宿付近からの浅間山!

そう言えば、往きの新幹線で読んだ「婦人公論」林真理子さんの記事が出ていました。数年前から、林真理子さんが当時96歳のお母様(東京女高師出身の! 著作『本を読む女』の主人公のモデルだった)を、ほぼ毎週特急で甲府へお見舞いに行ってることを当時のブログに書いてあり、関心と共感を持って読んでいたのですが、ブログも2年ほど前に無くなり、今回の記事で「母は102歳で亡くなった」と知り胸にじんときました・・。それでもスゴイ! 天寿を全うされたお母さんと、超多忙な日々をぬって甲府まで頻繁に足を運んだ真理子さん。
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マラソン応援初体験

2017/12/09 23:48
話は前後しますが、11月末の日曜、第7回大阪マラソンの応援に行きました。
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大阪城公園前をスタートし、インテックス大阪をゴールとする42・195キロ。
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10月末に第3回のとやまマラソンが、人気上昇の中、今年は雨天のもとに行われ、ロンドンオリンピック代表選手の藤原新選手が、初回に続き優勝したのは嬉しかったのですが、、、テレビでの応援でした。
ですからマラソンコース現場へ行くことになって、応援ってどうやるの?と勝手がわからずどぎまぎ。

そして応援するランナーSさんも、テニスをしていたスポーツウーマンとはいえ、マラソン初出場
昔は短距離のリレー選手だった私でしたが、今だったら多分300mも走れないでしょう。42キロなんて・・・彼女の完走すら半信半疑でした・・・。しかし完走どころか、彼女の目標タイムは4時間とか(+_+)!

そしてついに当日。大阪城公園9時スタート。大阪市内の地理がほとんど真っ暗な私にSさんはコース地図とどのへんが応援するのに最適か調べて知らせてくれました。
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大阪城公園を9時にスタートした3万人のランナー〜〜〜〜三万人・・・富山マラソンだって1万3千人だった・・・(写真はnet newsより)

私が応援をする地点が決定。25キロの折り返し点で納得
花の御堂筋では道路が広くランナーはまだひしめきあっているだろうから・・・。
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地下鉄堺筋線恵比寿駅4番出口から出たところ、11時半前後に通過の予定・・とご指定! 25キロ地点の折り返し点。通天閣の近くらしい。  4番出口を出ると広い道路も今日は車の通行止め。現場はすぐ目の前に。
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     マラソン現場初体験にとっては折り返し点だって珍しい風景
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      思い思いのカラフルファッションで走る姿は楽しく壮観です

それにしても、私の予想とは違って・・・。25キロ地点などもう半数のランナーはくたばって一人二人とばらばらに来るかと思いきや、ほぼ変わらぬスピードで集団走行でした! す、すごい〜〜! 1キロ2キロだって驚異なのに25キロでこのお祭り状態。 
しかし・・ここからSさんを見つけられるのか・・・・(-_-;)案外あっという間のスピードで走り過ぎていくランナーたち。 折り返し点は往きと帰りと2回探せるかも知れないが、ランナーが倍増して目がちかちかするばかり〜〜〜!
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途切れなくエンドレスに走って来るランナーは、あっと云う間に走り去り、ここに立って40分ほど過ぎる

11時半の予定時間を過ぎても、瞬きをこらえて必死でSさんを探すが現れない。あるいは見落としたのかしら・・と不安は募ってきます・・・あ〜〜、見落とすヘマして応援出来なかったらどーしよう(T_T) それとも・・体調悪くて倒れたんではないだろうか・・・などなど余分な心配も。
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実はSさん前日教えてくれました。ウォーリー君ファッションで走ると!でもこのオジサン3人目のウォーリー君(笑)

 しかしついに11時45分(予定より15分遅れたのはスタートが最後尾になってしまったからとか)、5番目のウォーリー君があちらに見えて、あ、あれかも知れない、と思っているうち、Sウォーリー君は折り返し点を通過、当日朝手作りした横断幕を持った私を探しながら歩道の応援群に近づいて走って来たのです!

「余裕だ!!」と感じる。 そして互いを見つけ、少し走りをゆるめ、頑張ってという声援に応え言葉を交わす元気ぶり。しかし、彼女はあっと言う間に後ろ姿となり、私は見つけられた安堵と感動とで一瞬虚脱状態?
しかしせっかく「取材」に来たのに念願の写真撮影はとても無理だった
(あとで聞くと、この辺は余裕だったが35キロあたりが最高の苦しさだったとか)
   
もっと応援したかったが、次の応援地に行こうにも地理がわからず電車路線もわからないのでこれにて応援を終了。
私が家に帰宅した時、「無事ゴールしました!」とラインが。 
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何と、初マラソンでSさんは4時間を切ってゴールできたのでした! それは初マラソンでは驚異的記録なんだそうです。目標に向かって夏以来もくもくと練習した意志と努力の成果でした。
私にとっても初マラソン、いや貴重な初マラソン応援体験でした。

それにしても、42キロ、4時間も走り続けるなんて・・・すごい!としか言いようがありません。
Sさんも、そしてこんな大勢の老若男女ランナーたちもスゴイ! 人間てすごい!と感動した1日でした。
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 宮本輝の特別展 〜高志の国文学館

2017/12/06 20:43
10月14日から1カ月半にわたって開催された宮本輝展が12月4日(月)に幕を閉じました。
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        富山県立高志の国文学館開館5周年記念特別展

なぜ5周年記念特別展が宮本輝?
やはり富山県にとって近年最も関わりの深い作家であるからでしょう。

31歳の時の芥川賞受賞作品『蛍川』は、不運な小学校時代、1年間住んだ富山市を流れるいたち川周辺で過ごした日々が基になっています。 いたち川は我が家のすぐそばを流れる歴史ある川(平成の名水百選に選定)、そして彼が富山に来て2度めに移住した大泉本町はまさに当地です。そんな生い立ちから、宮本輝は、彼の小説を読んだことのない富山の人たちにとっても特別な存在なのかも知れません。私にとっては、ほぼ同世代ですし、富山、大阪、長野(軽井沢など)と関連している地にも絆を感じます。

富山との現在の一番の関わりは、井上靖のあとを継いで、1992年45歳の時北日本新聞文学賞選者に就任されたこと。
短編小説に与えられるこの賞は、年々有名になり、わわが友人のN先生は10年以上も応募して毎年一次審査は通過されます(今年は二次審査通過しますように!)。その後も彼の小説は『ひとたびはポプラに臥す』『田園発港行き自転車』など北日本新聞に週1の大紙面で連載されました。

そんなわけで・・・ようやく閉展に近い10月30日、めずらしく、作品は読んだことないけれど、近所に住む宮本輝と小学校時代一緒に遊んだ(に違いない)と錯覚して親近感を抱いている夫も伴って高志の国文学館へ。
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展示は本当に充実していて素晴らしく、展示された半生の年表を丹念に見ながら、経済的困苦や自身の精神的病的苦難など、その波乱の人生に唸りました。 このどん底からここまで多くの愛される小説を書いたエネルギーと才能の源は何なのだろう・・と終始問い続ける私でした。  同時に、『錦繍』が印象に残っていると、ある時話してくれた大学時代の友人(沢山の作品を読んでる)を思い出していました。

帰宅後、この特別展をFacebookにアップしました。

高志の国文学館開館5周年記念 宮本輝展にようやく行って来ました。 (10/14〜12/4) 
彼は昔も今も富山とは関係の深い作家。 作品の内容や舞台、テーマにも何か特別な共感、繋がりを感じ、それぞれの作品にも思い出があります。 

芥川賞作品「蛍川」はうちの傍を流れている「いたち川」ですし、小学生時代富山に住んだ1年余りのうちの数か月は、まさにうちから15mくらいの所に住み、当地の本泉神社でも遊んでおられたとか。

子供時代からの苦難と波乱万丈の半生や、自伝と関連した膨大な作品、写真等を見ていると、「よし、残りの人生は宮本輝を30冊読もう」なんてむらむら炎が燃えてきました。


FBでアップしたら(12月4日までですよ!と)多くの人がリアクションして下さり、そのコメントの中に、昔々東京のM学園で担任したU子さんのコメントを見つけました。
若い頃から大好きな作家です☺今も読み返していたところ…特別展、いいですね。


そこから突然発展し、翌日2日(土)、、長野県の白馬に住む彼女は中学時代と同様、エネルギッシュに、仕事を休んで2時間かけて車を飛ばし文学館に到着しました!再会は25年ぶりでした!
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             文学館 紅葉も終わり頃の中庭
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宮本輝氏の書斎で(展示 撮影スポット) 感動のスリーショット?!(笑)

たっぷり展示を見た後、ランチを食べながら積もる話。 そして今日のハイライトは、我が家の近くを流れる『蛍川』の「いたち川」を見ること!
(彼女が富山の私を訪れるのは実は25年前から2度目。思えば東京の学校を辞めて以来、東京から富山まで4か所の地の私を訪ねてくれました)
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    実際の宮本輝さんもこのへんのいたち川で遊んでいらしたようだ
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   彼女をいたち川に案内するなんて昨日まで夢にも思わなかった

2日は幸い、それまでの冬型雨日からからっと晴れて神の恵みの晴天小春日和。いたち川べりを思い出や近況を話しながら・・・楽しいひとときでした。 我が家へ案内、まさに見どころ立山連峰を見渡しました。   「夢みたい・・!!」
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宮本輝さんもこの立山を見て過ごしたことだろう  辛いことも多かった富山は特別な思いのある地だということ
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          剱岳もくっきりと! U子さん撮影の2枚です

最後に、富山市内を通って環水公園をさーっと見て、彼女は高速を飛ばして長野県に帰って行きました。そのエネルギー、明るさ、スマートさ、そして昔と変わらぬ真摯で一途で努力家・感動家の彼女を確認して、とてもふっくらした気持ちになりました。互いに互いから元気をもらった、という1日でした。
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今回求めた2冊 『宮本輝 人間のあたたかさと、生きる勇気と』(高志の国文学館/姫路文学館 編  エッセイ『命の器』2005年初版
実は初めての彼のエッセイ・・・とても惹きこまれています。
人間のあたたかさと、生きる勇気と この特別展のテーマがまさに宮本輝への気持ちです。
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山田洋次監督『家族はつらいよ V』〜故郷で撮影

2017/11/29 18:13
1カ月に1度は故郷の母を訪ねたいと思っている。
先週23日の祝日をはさんで今回は1人で新幹線で帰省した。
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         上越妙高の駅付近でふと反対車窓を見ると妙高山が

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            妙高駅を出発し走り始めた車窓から

この春以来雲に隠れて一度も見ることができなかった妙高。曇り空が残念だったが、わが敬愛の山である。

さて、今回の帰省はちょっと楽しみなプレミアムが。
私が生まれて湯浴みした母の実家のある、中仙道の宿場「茂田井」で、山田洋次監督の松竹映画『家族はつらいよ V』の撮影が行われることになっていた。 親戚の武重本家酒造でのロケだったが、ここは15年前に同じ山田洋次監督が『たそがれ清兵衛』(日本アカデミー賞最優秀賞)の撮影をしたところ。当時は広い本格的なオープンセットを作って1カ月余りをかけて撮影が行われた。
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 この武重本家酒造の建物を中心に旧中山道の街並みが保存されている
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             撮影現場に急ぐわが仲間〜〜

山田洋次監督の『男は辛いよ』シリーズは30年も続いて、今でも日曜夜のBSで時々くすくす笑いながら見ている国民的喜劇映画だが、この『家族は・・』は3年前から橋爪巧、西村まさ彦などの出演で始まっており、今回は3作目とか。 
22日夜は雨の中、さらにホースで雨のシーン。
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この向かいの家が主人公長男西村まさ彦の妻が夫と喧嘩して飛び出して戻ってきた「実家」とか 昔ながらの屋根の造りと白壁が茂田井宿の特徴

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武重酒造の前には、昔定期的に逗留していた歌人若山牧水が日本酒銘柄「御園竹」「牧水」の名酒を詠った和歌三首の歌碑がある

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夜になりホースで激しい雨のシーン  西村さんが車に乗って来て降りるシーンを撮影

こんな雨降りの寒々しいシーンを見に来る野次馬もほとんどないのに、初めてロケを見るというわが野次馬は興味津々、いつまでも動こうとしない(笑) 山田洋次監督も寒い中、テントの下にスタッフに守られて演技指導や指示をしていらした。

そして翌日は晴天、朝から酒造会社の構内で俳優さんたちのリハーサルを見る。
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                  撮影はこの奥で

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                 江戸時代創業の酒造りの道具が

何度も何度もリハーサル。 俳優さんの肖像権でカメラは俳優さんには向けられない。
昼になって、紹介して下さる人がいて、山田洋次監督とちょっとお話できて、写真も撮って頂きました〜(相変わらずミーハー)優しい穏やかな想像通りの素敵な方でした。もう86歳とか・・。
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「関係者」と記念撮影♪  子どもの時から見慣れた杉の玉の下がったこの門の下で。
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午後は、映画クランクインのメディアの取材が行われ、長野県のTV,新聞はじめ、全国紙数紙(富山の北日本新聞にもカラー写真入り記事)が出た。 

[SBC信越放送ニュースより] 
 山田洋次監督が佐久市で「家族はつらいよ」3作目のロケ
  
山田洋次監督の人気映画「家族はつらいよ」の3作目のロケが、佐久市で行われています。
山田監督の喜劇「家族はつらいよ」の3作目「妻よ薔薇のように家族はつらいよV」の撮影は、佐久市と立科町にまたがる旧中山道・茂田井宿で行われています。

橋爪功さん・吉行和子さん演じる夫婦とその息子、孫の3世代が暮らす平田家の面々による喜劇の第3弾は、夏川結衣さん演じるしっかりものの主婦・史枝が、西村まさ彦さん演じる夫・幸之助の気遣いのない言葉から家を飛び出してしまうというストーリーです。

きょうは実家に帰った史枝が同級生が継いだ造り酒屋を訪ねるシーンなどを撮影しました。
ロケが行われた武重本家酒造があるのは佐久市と立科町にまたがる旧中山道の茂田井宿で、山田監督は過去にも「たそがれ清兵衛」を撮影しています。
山田監督は茂田井宿の魅力について「山に囲まれた盆地が広がり立派な家が並んでいるのは信州独特で、昔の形を残した代表的な宿場だと思う」と話していました。
夏川さんは「大所帯にも関わらず、地元の方に温かいものを用意していただいてとてもうれしい」と話していました。

ユーモアの中に現代の家族が向き合う問題を描いてきた「家族はつらいよ」の第3弾のテーマは、家事に忙殺される「主婦への賛歌」です。
西村さんは「映画を通して家族のあり方、人間としての向き合い方を考えるきっかけになればいい」と話していました。
「妻よ薔薇のように家族はつらいよV」は来年5月、全国の劇場で公開される予定です。
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晩秋の里山life を訪ねて

2017/11/21 21:09
北陸の初冬は毎日雨に見舞われます。先週末も雨に始まり雨に終わりました。
先日の芦屋とはまた180度異なった、けれど同じように個性で確立した里山の住家を訪ねました。
射水市の山里にあるこのお家の屋号は『One's Way それぞれのあたりまえ』というのだそうです。そこの住人はわが大学の同窓Mさんとそのご主人。 今回ちょうどこのご夫妻が開く里山ライフを紹介するイベントがあるというのでお知らせ頂きました。

1人では人見知りし、また方向音痴の私は、ようやくもう一人の同行者が現れてくれて、天の中を、往きは高速にのって、同行者は別の車で、予想通りそれぞれが少々彷徨いながら霧雨に霞むお家に到達しました。
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この橋的通路の先に玄関が・・橋を渡ると別世界がありそう・・・
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 ご夫妻で出迎えて下さった玄関を入るとまずはこんな室内が目の前に
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     なんと言ってもこの広い窓の向こうにに見える秋の色
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         近郊の作家さんたちの作品が窓際に並ぶ

広い窓の外、二方向に見下ろす紅葉の庭が雨に煙ってロマンチックな眺め・・・・普通の家ではめったに見られない貴重な光景。 そして窓の外から内を振り返ると・・・
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              部屋の中心はこの薪ストーブの偉大な存在!
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ご主人がせっせと里山から得た太い薪を燃やして部屋は隅々まで暖かく

単に建築や環境への趣味というのではなく、この素敵なお家にはM夫妻の強いこだわりと生き方がつまっていることを、ご夫妻のHP One's Way それぞれのあたりまえ を奥まで読んで知りました。
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          http://www.ne.jp/asahi/ones/way/ 
  One's Way HPより
One’s Way[ワンズウェイ]は我家の屋号です。
天野一男さん設計のもと、宮田邦彦さんに建てていただいた家。Leaf’s[リイフス]の柿谷美穂子さんのデザインで施工していただいた庭。bue–due[ブーエドゥーエ]の中村和生さんに作っていただいた家具など、多くのヒトの知恵と技術が詰まった空間がOne’s Wayです。

なぜ、One’s Way[ワンズウェイ]なのか。
My Way, Our Way, Your Way, His way, Her Way, Its Way, Their Way…, そのヒトらしさ、そのモノらしさを大切にしたいという想いを込めて、屋号をOne’s Wayとしました。

One’s Way[ワンズウェイ]に期待すること。
One’s Wayがヒトやモノとが交差する場であることを願っています。そして、One’s Wayで交差したヒトやモノとに化学反応が起こり、新たな価値が創造されれば本望です。たとえ化学反応が起こらなくても、移ろう景色、小鳥のさえずり、頬をなでる風、木々が放つ香り、淹れたて珈琲の味…、お越しいただいた方それぞれにOne’s Wayを楽しんでいただければ嬉しいです。

美味しい豆から挽いたコーヒを、高岡のレストラン製作のイチジクブレッドと美味しく頂き、さらに2階も案内して頂きました。
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2階の書斎にはご主人のアイデンティティ?の自転車が壁に。 自然の生活では欠かせない自転車でもある
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      2階から見下ろす風景がすてき 
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               2階から玄関を見下ろして

このお家をここに作るまでのお二人の並々ならぬ努力とこだわりを知り、そこまで価値観と生き方と目標を共有できるなんて・・・・改めてお二人を思い浮かべて感じ入ってしまいました。

 
One’s Way HPから入れるブログにはこの暮らしへの長年の過程が書かれています。    http://onesway.asablo.jp/blog/ 
 ヘンリー・デイヴィッド・ソローをこよなく愛す私たちが、里山暮らしを始めて丸16年が経ちました。結婚直後から土地探しに5年、構想を練りながら新築資金を蓄えるのに5年、計10年を費やし、21世紀の開始と同時に念願の薪ストーブが似合う場所に家を構えることができました。
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ところで、この不思議な・・・そうワンダーランドのような不思議なway of life 訪問もギタリストの方のギターの音色で幕を閉じました。この時までに、訪問者の間に新たな出会いが生まれたり、これも不思議なひとときでありました。雨に叩かれる紅葉の木々とベランダを見つめながらギターの曲が体に染み入るのを感じました。
最後の曲は 中川イサトというギタリストの有名な曲「1310 イサト」であることを教えて頂きました。

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芦屋の日差しの下で

2017/11/15 00:09
11月10日、いつも慌ただしく行って帰る大阪だが、今回は1日延ばして芦屋に住む友人を訪ねた。
あまり新しい地や知人の家をを訪ねるのは精神的に得意ではない私(ホントウです)、今回は思い切って「行動的になろう」と決心した!
兵庫県は神戸に数回、西宮に2回ほど行ったことがあるが、セレブで優雅との風評の「芦屋」は今回初めて
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車で行ったので最後にちょっと迷って1時間半もかかってしまったが、小春日和の日差しの下で芦屋らしい豪邸が並ぶ街並みを行くと(途中まで迎えに来てくれた友人と出会い、彼女の指示通りのオススメパン屋さんやジャーマンソーセージ店に寄ったあと)彼女のお住まいに到着。

あとは、一昨日書いた彼女へのメールで・・・・

さん、先日は楽しい夢のような訪問をさせて頂き本当にありがとうございました!
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びっくりするような、いかにも芦屋、そしていかにもさん、というお住まいでしたが、よく考えてみますと、さんらしい、想像通りの、エレガントで素敵なお家でした。
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暖かい秋の日差したっぷりの明るいお部屋。もう8年間もそこでお住まいされたのですね。
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楽しかったです! 富山へいらした時は、食欲も私とは隔たりがあり(-_-;)、何だかちょっぴり心配に思ったのでした・・が、芦屋でのさんはお元気そうで声も動作も弾んでおられました!富山では「緊張していた」って??
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絵画か映画のパンフレットになりそうなお部屋、さんのセンスでばっちり固めてあるのが印象的でk感心しました。それにしても、1点の無駄のない、見事に合理的に整頓されたお部屋・・・・。
全体的に原色から遠い、白とベージュ、グレーを基調とした落ち着いた色彩の品格ある室内装備は・・・まるで美術館!   (帰宅してから予想通り落差に落ちんこんだ私です(笑))
中学時代は建築家に、社会人時代は家具のデザイナーになろうと真剣に考えていたというお話も納得。
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テラスというかお庭はとても意外、広くて立体的で素敵でした。しかもその彼方に海!海が見える家なんて・・・
何だか私、まだ酔っているのかしら・・(笑) 

トーマス・ピケティのベストセラーをフランス語原書で読みディスカッションするという驚異のお話は2年前にお聞きしましたが、他の豊かな趣味の世界も見せて頂き溜息と感動。私の名前を書いたカリグラフィーの小作品ありがとうございました
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そんなカリグラフィーの現実を忘れる楽譜タッチの芸術に目を凝らしていましたら、「今、このテノール歌手にはまっているの」とCDから流れてきた曲は、私たちの知らない宮里直樹という芸大出身のオペラ歌手、素晴らしい声がお部屋に響きわたり、さんワールドの構成要素をまた1つ認識しました〜。
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原子力の話では同行者♪と盛り上がっていましたね(-_-;)
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11時に着いて気がつくと3時、あっという間の時間でした

昨日の帰り、京都市内に入ってしまい時間がかかり、結局普通より2時間もオーバーして6時間半かかって午後4時半に富山へ着きました。途中から大雨にもなりました。3泊家を空けたことはめったになく、でもとてもリッチな気分で帰宅しました。
そして今夜、夕食に芦屋のベーコンと茹でたポテトを炒めて頂きました。確かにとっても美味しかった〜!
頂いたパン、これも絶賛お薦めの通り、本当になんと美味しい味わいの深いパンだったことでしょう!もう1度絶対食べたい芦屋のブレッド!!・・・・・・
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公開セミナー(その2)〜 江利川春雄先生の講演

2017/10/28 00:23
午後1時30分から富山八雲会公開セミナー「英語世界への誘い」が始まった。

第T部は恒例の、英語と日本語によるハーンの作品手作り紙芝居上演。今回は「団子をなくしたおばあさん」を8名の会員で演じる。
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男性の方々は元高校の先生(校長先生)ばかり・・・化学、国語、英語、社会科など。なぜか先生がたは演技力抜群(笑) 紙芝居の世界に陥っておられる
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        こちらは英語と日本語のベテランナレーター! 

第U部 講演「英語教育におけるラフカディオ・ハーンと南日恒太郎」 江利川春雄先生
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   会場には南日のアルバムから抜粋した写真が・・・
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   実は講演前日、数時間かけて写真を並べ貼り付けた

思いついて、南日のお孫さんである松井副会長からばらばらに保存された写真をお借りして20枚ほど拡大コピーして貼り付けたパネル。写真には日付が記されていなかったので、年代と場所、人物名を突き止めるのに思いのほか時間がかかった。彼の年齢順に並べようとしたが、11人もの子どもがいたので、抱いている子が長男か次男か三男か・・・??(笑) それでようやく1つ画期的発見をした。恒太郎先生がヒゲを生やしたのは学習院時代からである。これで少し年代が解明された・・・(笑)
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 2時 江利川先生の講演が始まる  60枚のスライドと(参加者にはそのレジュメが)用意された

今日の講演は「英語教育におけるラフカディオ・ハーンと南日恒太郎」。 二人ともヘルン文庫のキー・パーソンである。大正時代の終わりに、ラフカデイオ・ハーンの蔵書を決死の覚悟で遺族から譲り受け、旧制富山高校にヘルン文庫として設置したのが、初代校長の南日恒太郎であるが、単に初代校長とかヘルン文庫誘致としての存在だけではなく、ハーンも恒太郎も日本の英語教育のキー・パーソンであった。・・・ということをお話して頂く。
ちなみに、私がfacebookにアップしたイベント案内では

[富山八雲会公開セミナーのお知らせ]
英語教科書や副読本でラフカデイォ・ハーンの「MUJINA(むじな)」や「耳なし芳一」「雪女」など読んであのフレーズを今も思い出しませんか?
長い間、ハーンの作品は日本の英語教育や入学試験に使われてきましたが、いつの間にか教科書から消えました。
英語教育史研究の第一人者・江利川春雄和歌山大教授が、ハーンと英語教育の関係、そしてハーンの蔵書を旧制富山高校に誘致した初代校長で、日本の英語教育、英語学の金字塔である南日恒太郎について講演します。  富山県の偉人・南日恒太郎についてはその学問的業績をぜひ知って頂きたいです。 


江利川先生に講演を依頼した背景には、先生の英語教育史に関係した貴重な著書がある。
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この著書の中には、教材として、また受験問題としてハーンの作品が明治以来、群を抜いて使われてきたことが興味深いデータで詳しく記されている。 また南日恒太郎は、後世の日本の英語学者や英語教育者、また実際に彼のテキスト、参考書を使って大学受験した多くの学生が絶賛する通り、「南日の前に南日なく、南日の後に南日はない」と言われるほど、学習としての英文法を確立し、読解参考書や辞書等を出版して、英語教育界を席巻したことにも多くのページを割いている。

江利川先生はこのような研究を踏まえて、この講演のために特に精力的に内容をまとめて下さり、60枚のスライドをパワーポイントで示しながら大変わかりやすく明快な言葉でお話され、1時間半just(これも凄い!)で終えられた。 
先生のスライドから抜粋。
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              スライド1〜3
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                    スライド12
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                スライド13〜14
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              スライド16
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                     スライド21〜22
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                   スライド23〜25      
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               スライド31

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            スライド44〜45
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スライド50 「英語青年」は南日恒太郎が1928年7月に急逝したあと11月号で『南日恒太郎追悼号』を出している。  恒太郎が大礼服(宮廷服)を着用しているのは、学習院教授時代高松宮様の御教育係を務めたからである

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             江利川先生のお話に耳を傾けます
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 講演1時間半が過ぎてぴったり3時半に修了されたことがスゴイ!!と。
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最後に、いきなりご指名あり講演の感想を述べる吉田先生。 さすが英語の元校長先生!

講演のあと、参加者は先生がはるばる持参された実際の資料本(南日の著書など)10冊余りを手に取って見たり、南日恒太郎の写真パネルを見て富山県が産んだ英語界の偉人に思いを馳せた。
そして会員10人ほどが江利川先生と同行された遠方からのゲストと研修室でお茶を飲みながら歓談した。

江利川先生はじめお二人の先生方が、富山での時間をとても楽しかったと喜んで下さったことは嬉しかった。

私は、その後のいくつかの私的行事が一段落した後、ずっと前から注目していた江利川先生の2冊の著書を買い求めた。読み始めてみると、予想以上に面白い、驚きの素晴らしい本だった! 改めて江利川先生に感嘆している。 先生はブログや英語教育の内外の活動でも、柔和で軽快なムードとは対照的に、ご自分の意見や考えをはっきりと表明される「快適な」かたである。
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       英語教育をこのような視点で研究したかたがいただろうか

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富山八雲会公開セミナー(その1) ヘルン文庫見学

2017/10/23 22:19
半年前から企画していた、秋の富山八雲会公開セミナーが終わった。講演をして頂く江利川春雄先生(和歌山大学教育学部教授)は、英語教育、英語教育史がご専門
演題は『英語教育におけるラフカディオ・ハーンと南日恒太郎』十数年の富山八雲会の講演で初めてのテーマである。
英語教科書の変遷や英語教育史に少しばかり興味のあった私が、英語教科書の定番だったハーンの作品MUJINAなどについて、八雲会の紀要に書く際、参考にしたのが、江利川先生の著書だった。もう5年ほど前のこと。
そんなことから、3年前に江利川先生に6月総会での講演の依頼をしたのだが、間際だったため実現せず、この秋に三度目のトライでようやく願いがかなった。
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           木下晶副会長製作の定番八雲会イベントチラシ 

英語教育の学会でお目にかかったことがあり、富山大での学会の時に講義もお聞きしたことがあるのだが、英語教育史の分野でのお話は初めて聞くことになる。 まずは、当日参加者が少ないと先生に申し訳ないし、富山でもセミナーの14日(土)はいろんなイベントがあるし、頼みの英語の先生方への呼びかけはいつもながらあまり当てにならないので、当日まではいろんなプレッシャーが・・・(笑)

前夜に富山入りされた江利川先生と、同行の英語教育史学会事務局長のK先生(広島県立大)、そしてもうお一人は江利川先生の講演を聞きたいと京都からいらしたM先生(同志社大)、ご希望で富山大学図書館にあるヘルン文庫を見学された。 
[ヘルン文庫]
ラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn, 1850〜1904の旧蔵書で、洋書2,069冊和漢書364冊及び「日本:一つの解明」(「神國日本」)の手書き原稿上下2冊1,200枚からなっています
洋書のうち1,350冊が英語719冊がフランス語の書物であり、これらの大部分はハーンが日本へ来てから集めたもののようですが、中には彼がアメリカのシンシナティやニューオリンズ滞在中、貧しい記者生活のなかから買い求めたと思われるものもあります。
和漢書はセツ夫人の説明を通して、ハーンの文学的創作の資料となったものであって、大半は木版刷りの和本です。このほか、南日文庫267冊及びハーンに関する研究文献約2,600点も所蔵しています。

図書館のヘルン文庫担当の松嶋さんが特別出勤されて9時に開館して下さり、人文学部でハーンとフランス語(文学)という新しい分野を研究されている中島淑恵教授も説明、案内をして下さり、またヘルン文庫の中には、南日(恒太郎)文庫、中土文庫(ハーンや南日など英語関係の書籍を戦前から出版してきた北星堂の中土社長の出版関係書)もあるのだが、中土文庫を親戚として寄贈された千田篤氏も来て下さった。お〜〜、富山はなんと皆さん積極的にご親切なんだろう〜〜。
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図書館脇、旧制富山高校の前身である人文学部前にある旧制富山高校初代校長南日恒太郎の胸像
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       図書館に着いてまずは南日恒太郎の銅像前で写真を

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人文学部のフランス語教授中島先生が説明される  ヘルン文庫でハーンのフランス語書籍を調査、研究されている先生をよくお見かけする

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「ハーンの洋書の半分はフランス語なんですよ」「ハーンとフランス語との関係の深さを感じますね」
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  ハーンの最後の直筆原稿『神国日本』もあります
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                    熱心に見入る先生方
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        このへんで記念写真を撮りましょう♪
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          閲覧室で松嶋さんの説明に耳を傾ける皆さま
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ヘルン文庫の充実した内容に感銘を受けられたという先生方、千田氏からは、中土文庫から発見された、生徒が書いたハーンの授業ノート『ラフカディオ・ハーンの英語授業』をお土産として贈られた。(2014年富山大学ヘルン文庫出版)
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ヘルン文庫の見学を終わり、まだ昼食の11時半まで小一時間あったので、富山運河環水公園へお連れした。
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あれが「世界一美しいスタバ」だそうでーす   今日は立山連峰が見えなくて残念
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    ここはハーンとも南日恒太郎とも関係ないんですが(-_-;)(笑)・・・
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会場の高志の国文学館内にあるベットラ・ダ・オチアイで会員の方々と昼食を
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                   松井副会長とM事務局長も
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                本日の主役 江利川春雄先生
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求む、名文

2017/10/02 23:08
8月半ば、「著者贈呈」で立派な本を送って頂いた。
昨年から順次発刊されているH先生の著作集第15巻『ハーンは何に救われたか』である。
どっさりと重さのある526ページの圧巻。 2012年に初めてH先生の講演をお聞きしてから5年間、著書や論文も読み、感想文(手紙)を何十通?も書く機会が降りかかり、お蔭様でアカデミックな世界を少しだけでも垣間見せて頂き、比較文学という存在も知った。
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ところが、3カ月ほど前に、著作集第8巻『進歩がまだ希望であった頃〜フランクリンと福沢諭吉』は購入したのだが、H先生からの、巻末の○○についての記事の感想を知らせて下さい、という課題はそのままになっていた。 著作集は先生の数十年の学究人生の集大成で既に発刊されたものであるが、前書きや後書き、巻末付録には新たに他の方々の批評文や対談記事なども付加されていた

今回贈って下さった第15巻は大いなる光栄の気持ちで拝受したが、前の感想と、そして頂いたからには今回の読後感も含めてお礼状を送らなければならないだろう・・・(-_-;)。というプレッシャーが、2冊の本を目の前に並べるとズッシーンと押し寄せてきた。 自分の頭脳の衰えと共に、知的体力的エネルギーも消失しつつある最近である。 が、86歳になられた先生はご自慢のいまだ黒々とした髪同様、中の頭脳も、何一つ曇りもない鮮明さで執筆活動をされている。2冊の著作集の、最近書かれたあとがきをちらっと読んだだけでも、文章の重みと輝きは変わることなく伝わってきた(-_-;)。

あれこれと雑事に追われる中、それでも2冊の本のあちこちを齧り読みし、何とか絞り出して手紙をしたためたのはもう8月の最後の日だった。 この「手紙書き」が確かに貴重な勉強になるのは認めるところ、実際、このような高度の内容は面白く、ちゃんと向き合って完読したら、わが知識の倉庫を何倍にも膨らませてくれるだろうと思った。それにしても、わが語彙の引き出しはみな錆びついていて思ったように開いてくれない。
そもそも何を書いたらいいのか? その見つけた個所をどのようにズームアップしてどんなふうに組み立てようか・・・((+_+))
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とにかく、数日のた打ち回ったあと自己満足にも至らない完成度ではあるが、8枚にも及んだ手紙を何とか封に入れ投函した。苦しんだのはわが想いを的確に表現できない貧しい語彙と表現力だ!
いつも忙しい忙しいと叫んでいる理由にはかなりこのような「手紙課題」があり、これは他人に言っても理解されない。


投函してこの8月31日の北日本新聞を開くと、先月末のとやま夏期大学、私も参加した木村大作監督の講演内容と翌日の立山散策ツァーの様子が一面を飾っていた。
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1か月前のことであるが懐かしく、講演の内容が書かれた記事を読んでいくと、木村監督の直感その場表現のトークも、この記事では、前後の話を組み合わせて、ちゃんとストーリーとなって読ませてくれる。その構成の力はさすが新聞記者さん、プロの技を感じた。木村監督の映画人生から、『剱岳・点の記』の映画への道のりや撮影秘話、そして今回撮影した『散り椿』のきっかけや思い入れ、映画への昔も今も変わらぬ情熱とこだわり・・。私にはとてもこのように簡潔にまとめられないだろう・・・。H先生への手紙内容を思い出しながら冷や汗が流れる。


そして翌9月1日の北日本新聞文芸らんには、8月下旬の第16回モナコ世界演劇祭での創作舞踊「カルミナ・ブラーナ」上演のレポート、感想が載っていた。富山を代表する可西舞踊研究所と劇団文芸座がモナコのサル・ガルニェ劇場で上演し、気迫に満ちたステージに観客は総立ちで拍手を送ったと報道されたのは新聞等で見た。
感想を寄せたのは、現地で鑑賞した県芸文協の吉田泉名誉会長。
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吉田名誉会長には2,3度お会いしたことがある。昨年東京学士会館で行われた東大比較文学主催の「佐伯彰一を偲ぶ会」にも富山勢として同じテーブルにおられた。
私はこのような舞踊芸術はほとんど鑑賞したことがないが、読み始めてその生き生きした新鮮な文章に引き込まれ大いなるインパクトを受けた。 陳腐な定型センテンスはなく、自分が感動したからこそ書ける美文が精彩を放っていたのだ。 さすが・・・。 以下は記事から抜粋・・
「カルミナ・ブラーナを見て」
 ・・・・それにしても、矛盾する表現を許してもらえるならば、何と言う生命力にあふれた「死」が観客の前 に展開していくことだろうか・・・・
…舞台上の躍動するダンスのスピードには追い切れない激しさがあった・・・
・・・チェコのイバンカ・クビツォバー先生の振付と演出は、カール・オルフの音楽の1音符をもないがしろにしない、徹底的な主張を踊りの中に込めていた・・・・
・・・日本女性にしか出せない優美さとたおやかさを表し出した・・・
・・・どんな「生」の行き着く先にも必ず「死」は待っている。可西晴香さんが渾身の力を振り絞って踊った「死神」はそれほどに説得力があった・・・

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

いつもは特に感じ入ることもない記事であり文章だったかもしれないが、H先生への「感想文」の産みの苦しみのあとだから応えたのかも知れない。
文章力衰退を自分の老化のせいにしているけれど、実は衰退ではなく本来のわが実力なのだとも思い、また最近長編の読書をしてないせいでもある、というのは反省している。
H先生はわが手紙を受け取り、すぐにまた大それた課題を与えてこられた。 それだけはもうすぐに、速達で丁重にお断りした・・・もうアカデミックライフ?は無理無理無理。(T_T)((+_+)) この頭では、生きるための諸々の社会的家庭的ノルマを果たすのでやっとなのだ・・・。
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羽田孜元首相・・・の思い出

2017/09/09 23:24
先月8月28日に羽田孜元首相が82歳で亡くなったことが報じられた。政界を引退し大分経っていたし、晩年は国会でも病気のため歩行も困難になっておられたので、その死は当然静かに報じられ受け止められた。
今日9月8日は民進党と羽田家の合同葬儀が報道された。
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羽田元首相は、1935年(昭和10年)8月24日生まれ、2017年8月28日、82歳で亡くなった。
衆議院議員(14期)、内閣総理大臣(第80代)、農林水産大臣(第9代、第12代)、大蔵大臣(第88代)、外務大臣(第121代)、新生党党首、太陽党党首、民政党代表、民主党幹事長、同党特別代表、同党最高顧問などを歴任。2012年(平成24年)に政界引退し、晩年は民進党長野県連名誉顧問を務めていた。

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 1994年(平成6年)新生党主として連立与党の内閣総理大臣に任命された
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             在任中話題になったクールビズスタイル

しかし、国会議員として華々しい経歴であったが、1994年(平成6年)4月に羽田内閣少数与党内閣として発足したが、わずか64日で現憲法下最短命の内閣で終わった。

羽田孜氏との思い出・・・羽田孜氏の父親は羽田武嗣郎 (ぶしろう)といってわが故郷長野2区から選出された衆議院議員、孜氏は父親の後継者として政界に入った。生まれは東京であるが、第二次大戦末期から数年、上田市に疎開して在住した・・ということだ。

羽田氏が衆議院選で、長野2区トップ得票で初当選し政界入りしたのは1969年(昭和44年)だった。
わが故郷は何か政治的雰囲気(といっても田舎的な・・)が漂っており、私の家は、遠い親戚筋として代々、やはり大臣など歴任した井出一太郎という衆議院議員を支援していた。(のちに定年退職したあとの父はずっと井出氏の長男で後継者の井出正一氏の選挙対策委員長などしていた(-_-;))また羽田孜氏の熱烈支援者も勿論あちらこちらに存在して、当時は子どもの就職や結婚などにも議員の力が関与していたような・・。

ちょうど大学を卒業した年、故郷の小学校中学校の幼なじみのS子ちゃんの結婚式に招待された。結婚式はお相手が東京の人だったので東京で行われ、確か品川?にあった「ホテル・パシフィック」という大きな高層ホテル(今もあるのかな)。 東京に住んでいた私は友人としてスピーチをすることになっており、振袖など着て参列した。
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     やっと探り当てたその時のスピーチの写真(手が震えていた)

やれやれ、それが私の結婚式スピーチデビューとなったが、初めてなのではらはらドキドキ、美味しいご馳走もほとんど喉を通らなかった! 100人はいる招待客は10人ずつ程ののテーブル席についていた。S子ちゃんの父親は田舎のある程度の名士(お金持ち)だったので、スピーチをする人は皆父親の関係がほとんど。今か今かと受験前みたいに待つ私の前はもう5,6人の・・・そう決まりきったつまらないスピーチが行われて、退屈と共に自分の番がくるのが気になって落ち着かないことこの上ない。

でも、その「本日はまことにおめでたい・・」という定番スピーチを、多分誰一人まともに聞いている人はいないのではないかという中、私の向かいに座っている男性に気がついた。 彼は、あちこちの席に立ってマイクを渡される人のほうを椅子をずらして顔と体を向けてしっかり耳を傾けていたのだ!!!

やがてとうとう私がマイクを渡されるのだが、いや〜〜足もマイクを持つ手もガタガタ震えるもんですわ〜〜。
暗記してきた言葉も出だしから震え声・・。ああ・・と思ったその時、目の前の若き(中年の?)その紳士が私の方を見て一言一言に頷いてくださっているのだ! 私は神に出会った気分で、その優しい頷きに支えられたように力が湧き(辛うじてだが)スピーチを終えることができた。今では何を話したのかまるで覚えがないけれど。

その当時は参列者の名前も与えられていなかったと思う。披露宴のあとで「(なんとなく見たことのあるような)あの人は?」と聞くと、彼が2年前?に父親を継いで初当選した羽田孜衆議院議員だということだった。私は学生時代から東京に住んでいたので故郷の選挙の立候補者の顔などあまり知らなかったのだ。
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初当選して1年半ほど経った頃だからこんな感じだった? いや36歳くらいだったからもっとお若いか?

政治手腕はわからないが、人柄の良さでは定評がある、という言われていた羽田孜氏。あの時の稀に見る誠実な優しい視線と姿は今も胸にしかと残っている。
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木村大作監督 〜夏期大学 その2 室堂散策

2017/08/05 17:49
夏期大学2日目は、講演翌日の「木村監督といく立山・室堂ロケ地散策ツァー」。朝8時富山駅出発、8時45分立山国際ホテル出発。 私は国際ホテルまで30分車を飛ばして集合した。

あいにく今日は曇り&霧雨の天気。約70名、貸切バス2台で、まずはホテルから数分の芦峅寺雄山神社散策
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雄山神社は、「剱岳・点の記」「春を背負って」そして今回の「散り椿」でもロケ地となった、木村監督のロケ聖地だ。
霧雨の中では、神社の立山杉の神秘性がいっそう映え、監督の撮影思い出話しに興味深く聞き入る。 「剱岳・点の記」では、山案内の長次郎(香川照之)が魔の山剱岳への案内を反対する息子を、ばしっと平手打ちするシーンをはじめ主要な個所の撮影が行われた。
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2008年4月の雄山神社ロケ 香川照之さんが息子を叩くシーン (このシーンは木村監督自身の反抗期の息子との痛い経験から取り入れたとか)

スケジュールを知らせてくれたスタッフのお蔭で、パートナーの和子さんと何度ロケ現場に走ったことか。この平手打ちシーンもしっかり見て撮った。育んだ我が子のような映画「点の記」の公開ではスクリーンを見ながら涙が止まらなかったものだ。
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雨の中でも監督の雄弁は止まらない!なんか風采が次第に師匠黒沢明監督に似て来たのでは・・・
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そしてバスは、ケーブルカーを使わない分、さらなるくねくねルートを通って約1時間後、室堂のちょっと手前の天狗平山荘に着いた。 (朝、酔い止め薬を飲んだのが効いてバス酔いはばっちり無だ)
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天狗平山荘は、木村監督の「点の記」撮影のルーツとなった芦峅寺佐伯賢輔さんの山荘。和子さんのお蔭で、点の記が立山撮影を開始したとき、この山荘で撮影隊と一夜を共にし、剱岳へ向かうロケ隊を室堂で見送った。最年長の木村監督は大丈夫だろうか? 若いスタッフは過酷な山のロケに耐えて落伍せずに戻ってくるだろうか、と実に不安だったことを憶えている。
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天狗平山荘では、全員が、撮影後木村監督命名した「点の記ラーメン」を食べた。天狗平山荘をツァーの中に入れた監督の心配りが嬉しかった。
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  中央のノリが剱岳、それにしてもお世辞抜きになんて美味しいラーメンなんだろう。昔ながらの「支那そば ちりちり麺」!
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思いがけなくスリーショットをして頂いた。それで、はっと、10年前を思い出した 

10年前にも同じ場所同じ3人のスリーショットがあった・・・!
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(笑)(笑)10年間のブランクがありますか〜〜やはり? 前代未踏の映画に挑む監督は、御飯も喉を通らない程緊張の塊だった!


さて画面はライブ、現在のツァー、天狗平山荘にて。
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     撮影時から好き嫌いの多い監督が珍しくお気に入りのラーメンだ

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全員食事を終え、12時半には室堂へ出発。実はこの室堂風景は、前日案内人の佐伯知彦さんがFBにアップしたチングルマと立山(雄山)の、室堂からの絶景。今回は霧雨スモッグの中で、展望はかなり悪かった!
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    室堂に着いて皆5つの班に分かれて散策。          
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           散策しながら監督の撮影秘話に耳を傾ける
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  後ろは10年間木村監督の映画作りを追う記録映像監督の大澤嘉工さん
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       まだ雪残る登山道は滑らないように・・・
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 霧雨の中でも記念撮影! 涼しくて展望は悪いが山の空気は心地よい

そして2台のバスはゆらゆらと室堂をあとに立山国際ホテルに戻って行く。帰りの私たちのバスには木村監督が乗って、昨日のメイキング映像を流し、疲れることなく映画の話、エピソード、を語り続けるタフネスに脱帽。

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車を置いてあるホテルの駐車場から、三々五々に家路に。霧雨も晴れて爽やかな高原の風。
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監督は大澤さんと東京へお帰り。撮影終わった「散り椿」の編集が大忙しだそうだ。
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 私の頭には室堂ターミナルで買った,息子へのお土産?の「剱」の帽子が。  今では「剱岳・点の記」ともう1つ新しい意味がある・・(笑)
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木村大作監督〜 とやま夏期大学 その1

2017/08/04 23:34
今年もとやま夏期大学がやってきた。今年は木村大作監督が3度目の講師となった。北日本新聞社などが主催するこの夏の講演会では、木村監督は「剱岳・点の記」のロードショーの年に初めて講師をし、次は「春を背負って」公開の2014年夏、そして今回は3度目である。(私は去年、富山出身の本木克英映画監督の講演にも来たが、今は亡き田部井淳子登山家、秋山仁数学者などの顔ぶれで、夏の立山山麓の豊かな自然に囲まれ、興味深いお話を聞くことができる)

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今夏は登山テーマで、木村監督とかのエベレスト無酸素単独登山の栗城史多氏。それぞれが、翌日も立山室堂散策ツァーを組み、私も明日の「木村監督と行くロケ地散策ツァー」にも参加する。

 夏期大学1日目 講演「だれもやらなきゃ俺がやるちゃ」 at 立山国際ホテル 13:30〜15:30p.m.
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会場は満席 空いていた講師席の真ん前に「剱岳」以来の追っかけ?和子さんと座った。(前にお会いしたのは、昨年?の県民会館での講演(北日本新聞社のかたとの対談だったっけ)。
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今回も、相変わらずのマイクなし。7月13日に78歳になった。そう、点の記の撮影が始まったのは2007年4月だった。その1年前に立山の天狗平山荘に1ヶ月余り逗留し、「剱岳点の記」のロケハンと構想を練ったという話は今日も講演で語られた。あれから10年余り・・・何という年月だろう。彼は10歳年をとり、その間富山で3つの映画を監督し、1つの映画のカメラマンをした。

始めの20分ほどを、今回撮影を終えた「散り椿」のメイキング映像を見て、それからいつもの脚本なし、マイクなしの、しかし淀みないトークショーが2時間にわたって展開された。

時代劇「散り椿」の主役は、今年公開された降旗監督・木村キャメラマンの「追憶」に主演した岡田准一さん。何故岡田さんかと・・・前作から、高倉健を彷彿させる、と語っていたが、今回は特に彼のオールマイティ能力、そしてその殺陣の上手さ、スピードに感嘆した、そうだ。

「点の記」は15万人が観た、次の「春を背負って」は8万人、この間の「追憶」は4万人・・・次々と数が落ちて行くんだ!と会場を笑わせる。「追憶」もロケ地を北海道と決まっていたのに富山にひっぱって来てやったのに・・・
倍倍と観客数が減っていく、今度の「散り椿」はこの調子だと2万人・・・ということがないように! ずけずけと自虐他虐のトピックで、相変わらず本当に可笑しいトークだ。・・・私は相変わらず大笑いして受けて・・やっぱりレベルが低いのか?? (笑)

彼は意外と?読書家であり、言葉に感動、言葉に思い入れる人だ。「点の記」のときも、「悠久の自然 はかない人生」というテーマフレーズを造り出したが、今回の映画では「人は大切なものに出会いさえすれば幸せだと思う」という主人公(岡田准一)のセリフを示した。映画の主題としたいと共に、木村監督の思い、人生が込められているのだろう・・・。  

などなど彼の映画人生と過去の映画の思い出や思いが止まることを知らず語られた。
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 講演が終わって、やっぱり・・・と控室に寄ると、お馴染みの「応援者」たちも監督を囲んでいた。 ひとしきり歓談して、監督は今夜知事とプライベートな食事をするので今から富山へ下りて行くんだと・・・とても気が合うのだそうだ、「剱岳・点の記」の時から。 
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素敵なコーラスコンサート

2017/07/16 23:23
今日は、元附属中学コーラス関係の『クール・ファミーユ』という合唱団のコンサートだった。
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今年で10周年記念コンサート。多忙な日々に一応ちょっと息抜きが出来た日曜日、facebookでコンサートを知って、前からずっと聴きたいと思っていたので、出不精の?私にしては思い切って一人出かけた。しかも駐車場の心配があるので開演2時の2時間前に家を出た!
何と、10年のブログCASABLANCAの中で、コーラスのコンサート記事を書くのはこれが初めて。コーラスとは何故か疎遠で?無粋なワタシである。

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クール・ファミーユを主催する指揮者の堀江先生は子供たちの中学時代の恩師でもあり、そのコーラス指導の厳しさには定評がある

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               教育文化会館ホールもいっぱいに

時折襲う梅雨の名残りの不安定な気候でも、3連休の真ん中でもあったためか、800の座席は満席だった。
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プログラム 第T部はイギリスの作曲家John Rutter (1945〜)の数多くのアンセム(聖歌)の中の2曲を。
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第U部は、寺山修司の詩による6つのうた「思い出すために」より
「虹」(森山直太郎作曲)、 「ゆけゆけ飛雄馬」(男声)アニメ主題歌  「青春譜」(五木寛之作詞) などなど楽しい素敵な歌・・! 舞台衣装も歌に合わせてカラフルに。
そして、第10回コンサート記念委嘱作 「野原のポプラ」(新川和江作詞)が初演披露された。
作曲は、附属コーラス部出身で作曲家となった横山和也さん。今日は舞台に上がられ、挨拶を。附属中では丸刈りくんだったが今は素敵に大きくイメージチェンジ。
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         堀江先生と団員司会者からインタビューを受ける横山君(氏)
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そして第V部 混声合唱組曲「水のいのち」  ・・・日本の合唱曲の中で最も人気の高い作品の1つで、合唱曲のバイブルのような存在、とか。〜プログラムリーフレットより。
1.雨 2.水たまり 3.川 4.海  5.海よ と続くが、知り合いのSima氏の感想は、最後の「海よ」が最も背筋がぞくぞくした、とfacebookに書いておられた。

アンコールで「川の流れのように」など2曲を歌われ第10回記念コンサートは盛会に終わった。
ロビーではクール・ファミーユの合唱団員たち(数えたら女性27人男性14人だった)と多くの観客が賑やかに興奮冷めやらぬ笑顔で談笑してた。

初めて参加した私は、そこで何人かの懐かしい人たちに会うことができた。 息子の同級生たちやそのご家族、特にNくんの両親とおばあちゃまが前の座席におられたのは驚きだった。幼稚園、小学校低学年時代にはおばあちゃまがせっせと孫のN君のお世話をし、誕生会などで大いに面倒を見て頂いた。あれから30年近い歳月には我ながら驚きと感動。N君は仙台の大学を卒業した後、今は富山に勤務されているとか、合唱団の中核になり合唱に心を注いでいる様子が伝わってきた。
そしてほかにも新たな、言葉に書き尽せない再会や出会いのコンサートだった(+_+)。
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小泉八雲の「ちんちん小袴」〜オペラと紙芝居

2017/07/07 09:30
富山八雲会総会が行われ、続く公開セミナーは今年は富山県高志の国文学館と共催で『メゾ・ソプラノ青山恵子が魅せる小泉八雲の世界』をテーマとして行われた。 
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ラフカディオ・ハーンの作品『ちんちん小袴』は、富山大学ヘルン文庫にある「ちりめん本」と呼ばれる5作品の1つ、八雲会では2009年にそれらを会員手作りの紙芝居にして催しや小学校などで上演してきた。今回は、メゾソプラノ歌手の青山さんがちんちん小袴をご自身でオペラ化(小歌曲)されたものを初上演されることになった。青山さんは島根県出雲市のご出身、ということから、八雲への思いもあり、今までに『耳なし芳一』『雪女』などもオペラにして歌われている。

その青山さんの上演の前に、八雲会としてはストーリー紹介のためにも紙芝居作品「ちんちん小袴」を”前座”にすることになった。8年の間に1回しか上演していなかったので、急きょ絵や脚本を整備・加筆リフォームして準備した。
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「ちんちん小袴」は、ものぐさでだらしない娘(嫁いでも)が使った爪楊枝を捨てずに畳の縁に挟んで隠していたのを、爪楊枝の小妖精たちが怒って夜な夜な現れ娘を懲らしめるという小怪談(妖精物語)。       
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などなど、これらを含め9枚の絵から成る。

上演前にいつものように集まって練習。今回はほとんど初めての上演なので、構成、キャスト、物語の内容などについて大いに議論し、結局配役は、英語・日本語 含めて3人ですることとなった。
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   本番1週間前の土曜日夕方、文学館で
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・・・そもそも「ちんちん小袴」って楽しい妖精物語なのか、こわ〜〜い怪談なのか・・・なんて議論も始まり、結局若い女性の声だけですらりと演じることに。
たかが紙芝居、されど紙芝居・・。今回は初めて文学館との共催ということでプロのオペラ歌手とのプログラムなので“学芸会”では困ります、という厳しい文学館の注文も。(-_-;)

とにかく6月24日(土)夕方から3時間ほど、当日の文学館ロビー特設ステージで直前最終リハーサル・・・個人的に言えば、親戚の重要と言われる法事と重なって、責任ある立場の私が遅刻の失態しかも、私の説明原稿が間に合わず・・・
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     本番前日リハール



25日(日)2:00〜  雨の中でも、何とか大入り満員の特設ステージ。 文学館の緑の木々と雨の背景が美しい・・・・と脇から見ていた。
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      紙芝居本番! OK!!
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そして青山恵子さんのオペラが始まる。
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   ちんちん小袴  すごい声量、歌唱力・・・・!
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    雪女・・・・・ 青山恵子さんは東京芸術大学・同大学院の出身、日本初の声楽で博士号を取得されたメゾソプラノ歌手

青山さんのお弟子さんも数人賛助出演されて、最後は「ふるさと」を全員で歌い、大盛況に終わった。
同じ作品を、紙芝居とオペラという全く違う表現で鑑賞することは、私たちにはオペラの内容が全く知らされていなかっただけに、大変興味深く展開を見守った。
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    花束を贈られ「ふるさと」を全員で歌う青山さん  
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 終わってロビーで。  今年度の八雲会総会&公開セミナーでした。

公開セミナーについて八雲会M事務局長からの報告(メール転載)
・・・・公開セミナーですが、今年度は高志の国文学館との共催で「メゾ・ソプラノ青山恵子が魅せる小泉八雲の世界」として、青山恵子さんをはじめとして5名の方の出演による「ちんちん小袴」の上演等を行いました。天気が悪く参加者が少ないのではないかと心配していましたが、100名以上の聴衆で大盛況でした。演目は初演の「ちんちん小袴」にバリトンの堀野浩史さんが加わり重厚なものになりました。また引き続く小泉せつの「思い出の記」から「雪女」の上演では、朗読とオペラがマッチしてたいへん素晴らしいものとなりました。
さらには日本歌曲の演奏と最後に会場の鑑賞者全員で「ふるさと」を歌うなど、たいへん感動的な公演でした。

 [福井から参加された会員のAさんの感想」
○紙芝居とオペラ
 たいへん楽しく観覧・拝聴させて頂きました。一流のオペラ歌手というのは、すごい声がでるのだなと改めて感心しました。
 青山先生は、洋楽と伝統的歌唱法の融合を研究されてるとのことですが、紙芝居とオペラの両方を観て漠然と感じたことは、西洋と日本の表現法の違い・・・というようなことです。
 絵本、紙芝居、オペラ、能、歌舞伎、平曲のような琵琶語り、朗読、アニメーション・・・漠然とその違いについて考えました。
(中略)
今回、八雲会の紙芝居は「オペラの前に話の内容を観客に理解してもらうため」とアナウンスがありましたが、
私には、同じ話を「紙芝居」と「オペラ」の両方で表現するという点が、とても面白い企画であると感じました。必然的に両方を見比べました。(後略)


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琵琶湖と彦根城へ

2017/07/02 23:31
6月中旬以降は、数日の真夏日のあと肌寒い日が続いた。

  初めての彦根城へ
 
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      彦根城 1622年築城 彦根藩主はもちろん井伊家である

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彦根城はずっと行きたかったお城だった。今回は彦根城の城郭内にある元藩校であり、滋賀県で最も古い彦根東高校を卒業した義兄の一周忌で訪れることになったのは哀しいことであった。一周忌の翌日、大阪へ帰る前に息子と三人で初めての彦根城に。

彦根城といえば15代藩主で幕府の大老となった井伊直弼である。NHKの大河ドラマ第一回は『花の生涯』、主役井伊直弼を演じたのは尾上松緑、その他長野主膳は佐田啓二、二人に関わる女性村山たかは淡島千景、すでに皆さんこの世におられない。昭和38年、私は日曜の夜、試験勉強の合間に目を凝らして熱中した。
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安政の大獄など歴史上重要な人物であった井伊直弼は、大河ドラマから私には印象深い存在となったが、再び井伊直弼が私の胸に飛び込んできたのは2008年の大河ドラマ『篤姫』の時だった
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。『篤姫』の虜になった1年間、敵対する井伊直弼と篤姫の茶室のシーンは、録画を10回以上繰り返し見ては魅了された。
CASABLANCA 2008年8月『篤姫』桜田門外の変―茶室のシーン
http://marilyn-m.at.webry.info/200808/article_4.html 

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彦根城は広大で城郭そのものも昔のまま保存されて、思っていたよりはるかに素晴らしい立派なお城だった。
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いくつもの急な階段を手すりに掴まりながら天守閣を登って行くと、山の上に建ったお城はかなりの高さ。
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            井伊直弼にも出会えた!
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天守閣からは眼下に琵琶湖が見渡される・・・ああ、井伊直弼はここから琵琶湖を眺め幕末の日本を考えたのだろうか。
そしてこの琵琶湖は、昨年、72歳で急逝した義兄が、城内にある彦根東高校のボート部でボートを漕いだ青春の日々・・・その思い出は何度も聞いていたので、天守閣に登り、琵琶湖を見渡しながら、しばし義兄の思い出を話した。
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彦根城は彦根山(金亀山)という山に築かれている・・・その全体は昔のまま見事なお城、義兄が晩年全国のお城めぐりをしていたのも、ルーツは彦根城だったのだろう。
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              お馴染みひこにゃんにも会えました

前夜は琵琶湖のほとりにある、義兄が愛したゴージャスなホテルで一周忌の法要がしめやかに営まれた。
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シンガポールからかけつけたお客様イギリス人Alison !商社に勤務していた義兄は20年来の家族ぐるみの友人Alisonと、英語で上手にユーモラスな話をしていた・・・・。
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初夏から梅雨へのアラカルト 〜その2

2017/06/30 23:31
去年の6月は良き思い出と哀しい思い出と沸き起こった季節だった。
今年もまた・・・新しい出会いと思い出を運んで時は流れていく。

@ 東宝映画 『散り椿』木村大作監督第三作 撮影開始 5月18日〜7月上旬
  初めての時代劇映画、主演は『追憶』以来の岡田准一、他に西島秀俊、黒木華など。
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            原作は直木賞作家 葉室麟
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 6月初め、富山市内の旧豪族の館浮田家(富山市重要文化財)にてロケーション  
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       ここは『剱岳・点の記』でも何日間もロケで使われた
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1時過ぎ、午前の撮影が終わり、昼食の時間。昼食のカレーには木村監督がキライなので人参が入っていない((+_+))

今日の監督は、あの長く伸ばして縛っていた髪が・・・丸坊主に。一昨日、いつものように石井知事が訪問した金岡邸ではまだ髪は長かった。「自分が出るシーンが終わったから(Katoさんみたいに)髪をまるめたんだ」とおっしゃる。 人の名前と顔をよく憶えているかただ。
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『剱岳・点の記』のロケは2007年に始まり、今年で10年経った。相変わらずの情熱とファイトの人。負けてはいられない、と発奮するエネルギーは私にはもうないが、持ち続けている彼は凄い人だ!

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6月24日(土)は内山邸のロケ  『春を背負って』ではここで2日間エキストラになったっけ(笑)
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内山邸の庭に季節外れに?咲いた椿 助監督の宮村さんもいつもお馴染みの木村組のかた


A  6月第2週の日曜は、例年、大学の同窓会富山支部総会。今年は気持ちを楽に同窓の方々との念に1度の出会いを楽しめた。 数年ぶりで高岡で。高岡御車山会館見学、そしてお食事は和食の「柿里」
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2週間ほどまえの5月下旬、天皇皇后両陛下が植樹祭で富山を訪問、魚津市の植樹祭式典会場のほか、この御車山会館も、高志の国文学館も、富山県美術館もご訪問された。
このお写真を見て、今回はおそらく富山へのご訪問は最後になるだろうがお迎えもお見送りもできなかったので、とても嬉しかった。
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絢爛豪華な山車、富山県には、長野県では見たこともないこんな山車の大きな祭りが各地にあるのだ。
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              ちなみに本番のお祭りはこんな勇壮な姿(HPより)
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                    御車山ゲームに興じる皆さま
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                    「柿里」の涼しげな夏の和食



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初夏から梅雨へのアラカルト 〜その1

2017/06/28 22:39
何と忙しい5月、そして6月だったのだろう。このブログは今や日記の役割としてみれば結構日々の雑事ややイベントを記録してあり、後でめくって役に立つことも多々あるのでメモとして綴っておこう。

@ 鯉くんがあの世へ
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3年前に亡くなった義父と6年前に買って来た我が家のコイ・・・たった1匹になってしまって夫が可愛がって育てていたのに、2,3日エサを食べず元気がないと思っていたら、5月半ば、たまたまこの写真を撮った3日後に、とうとう・・・。こんなに大きくなって優雅に泳いでいたのに・・・

A 5月末、Mさんの大学時代の友人ご夫妻が、金沢への旅行の帰りに富山へ寄られた。私はお二人とは初対面だったけど、「運転手」も兼ねて短い間のお伴を楽しませて頂いた。 お二人とも85歳を超えられるのに、なんと知的でユーモアあふれる素敵なお喋りをされる方々なのでしょう。ご主人はドイツ文学者、奥様は英文学者・・・
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             ご夫妻は初めて訪れた環水公園を絶賛された
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         Mさんが案内された「五万石」の和食も富山のおもてなし

B 藤原正彦先生の久しぶりの講演(5月18日) at 第一ホテル
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           演題は「日本のこれから 日本人のこれから」
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お茶の水女子大学数学科名誉教授で、エッセイストでもあり「国家の品格」などベストセラーがたくさん。作家の新田次郎の二男。・・・私は20年来の彼の著書(エッセイ)のファンで、講演を聞くのもこれで6回目であり、彼の著書ははぼ全部読んだと思う。 その何とも言えないユーモアが好きだ。私が、映画『剱岳・点の記』を応援したのも、藤原正彦氏VS木村大作氏の対談が映画撮影前に上市アルプス文化センターにあり、それを聞きに行ってすっかりのめりこんでしまったのだ。 

最後に先生にお会いしたのは、2009年の『剱岳・点の記』の皇太子さま試写会の有楽町ホールだった。私たちのすぐ近くの席に皇太子さまと藤原ご夫妻、木村監督がおられた。
8年ぶりだったがご挨拶すると、名前を憶えていて下さってしばしお話させて頂いた。 嬉しくなって、いつものように帰りに本屋で週刊新潮の先生のエッセイ「菅見妄語」を立ち読みした。すると何と、「蘇る昭和」と題してあの富山出身の「東京大衆歌謡楽団」のことが書いてあったのだ。
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                  富山出身の高島三兄弟・・・なつかしい

6月に故郷富山でコンサートを開くと聞いていたが、私は県外なので、この藤原先生の記事をコピーして、富山テレビのTアナウンサーに、彼らに届けてくれるようお願いした。藤原先生にもお手紙を書いたら「高島兄弟にがんばるよう伝えて。私もまた本拠地浅草の神社境内へこっそり聞きに行きます」と書かれていた。

C 東宝映画『追憶』5月6日〜 上映中
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  5月下旬 少し遅れて映画を観た。感動して泣いた。以下はFacebookに投稿した私の感想である。

富山で撮影された映画『追憶』を観ました。
映画の底を流れるテーマは「母と子」だと思いました。
・・・泣けました。さすが降旗康男監督の深みある映画!
そして木村大作カメラマンの富山の風景は素晴らしい!

帰宅して母の日に贈られたカーネーションを見ると、絆を断たれた子供たちが背負った運命が哀しくて、もう1度胸がつまりました。
母である人には一層強い感動が迫ることと思います。
あらすじは読まないで映画館へ行って下さい。

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初夏の東京〜♪〜クラス会

2017/05/17 22:49
3年に一度だった大学クラス会が数年前から2年に一度になりました。初めて東京以外の地で行われた一昨年の琵琶湖クラス会に続いて、今年は東京に戻って、幹事さんが素敵な1日をセッティングしてくれました!
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         みんな生まれて初めての(笑)東京スカイバスツァー

バスは東京駅から10時半に出発するため、迷った末、前日から思いきり二泊することにして、いつになくゆっくりと、今日的な東京、旧友との交流、そして独り身の自由時間を楽しみました。
バスは東京駅丸の内側の中央郵便局傍から発着。下のコースで約60分。
  日比谷⇒丸の内⇒三菱ビル前⇒皇居⇒東京タワー⇒レインボーブリッジ⇒豊洲⇒築地⇒銀座⇒

何より嬉しいのは晴天の初夏の風(ちょっと強め)。懐かしい顔が集まって来て、再会の挨拶そこそこにバスに乗りました。
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遠くの東京タワーがどんどん近づく・・・カメラを抱えてときめくのは子供と同じ。 中学の時田舎から出てきて出来たばかりに上り、そして大学で1回上ったかな〜〜
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レインボーブリッジも初めて渡った〜東京湾の向こうのビルは何だかNYを思い出す
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晴海だとか有明だとか豊洲とか築地とか、今では懐かしくまた今騒がれている地名を聞きながら、感激できょろきょろ見回しつつお喋りにも花が咲く・・・。
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あら〜〜お魚!築地ですものね。 豊洲も近くにまだひっそりと?東京を騒がせているご当地に臨場感がつのります! 

やがてバスはもう銀座に。信号で停まると右手に歌舞伎座が!
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  クラス会のあとはこちらを鑑賞する人も。
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          銀座お馴染みの場所、和光が。あの時計が懐かしく・・・
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もう皇居内堀通り、丸の内の帝国劇場が。大学のとき、ESS英語劇の大道具の参考にと、ここでやっていた『風と共に去りぬ』(レッド・バトラー高橋幸治 スカーレット那智わたる・・だったっけ)を仲間と観に行ったものです。

三菱一号館美術館など気がついたら通り過ぎるところ・・・まあ、人生はバスツアーの車窓から見る景色のようなものでしょう。  夢のような1時間が過ぎ、名残惜しくバスから降りて記念写真。次は地下鉄に乗り神宮前へ。そのへんは幹事さんに言われるまま小学生の如くお喋りしながら付いて行きます。
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昔ながらの佇まい原宿駅を鑑賞し記念写真 今から待望の会食で〜す  
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こういう素敵な街を歩きながら・・・ということです。おのぼりさんはきょろきょろしながら「やっぱり東京のこのへんは素敵ね!」
さて、名前から素敵な「青山 星のなる木」 (渋谷区神宮前 ラ・ポルト青山4F)へ到着。

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                        再会を祝して 
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                 楽しいおしゃべりとご馳走〜〜

最後のメニューは根津美術館(港区南青山)。 初めて知った美術館でした(-_-;) こんな素敵な美術館を知らなかったなんて遅れてる私。 新緑の中でちょうどカキツバタが満開。尾形光琳の「燕子花図」の特別展が開催されてました。
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         絵画鑑賞のあとは素敵な庭園を散策  
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2年ぶりの1日はあっと云う間に終わりました。 そして次のクラス会は2年後の信州に決まりました。みんな元気で再会できますように
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舟川べりの桜 水墨美術館の枝垂桜

2017/04/17 22:51
立山はまだ深い雪に埋もれ、ようやく室堂までのアルペンルートも開通したところ。
里では暖かい陽気の中、最後の桜を求めて車を走らせた。

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    富山県の東端、下新川郡朝日町の舟川べりの桜並木

2014年春に公開された映画『春を背負って』は、富山県の立山が舞台、映画『剱岳・点の記』の木村大作監督の第二弾目の作品。 観光化されていない春の良い風景はないかな?という木村大作監督に、朝日町出身のK氏が、この舟川べりの桜を教えていたが、監督は早速前年の2013年4月にここを撮影。映画の始まりのタイトルバックに使われた。
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   『春を背負って』で映像として使われた舟川の桜。後ろに白馬連峰が。

というわけで数年前まではそれほど知られていなかった当地も、今年は地元新聞はじめいろんなところで大きく写真がアップされた。 大阪からお花見大好きな親戚が来て高速で30分、朝日インターで降りるとすぐだった。
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駐車場が遠いようだったので徐行で現場に近づくが、路上駐車は禁止されている
新聞やネットでは朝日町舟川べりの「春の四重奏」と称賛。
朝日岳・白馬岳など 白馬連峰を背景に、舟川両岸600mに280本の桜並木早咲きのチューリップ、菜の花、四重奏、素晴らしい饗宴。
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多くの人が訪れ歓声を上げていた・・・・桜並木とチューリップと白馬連峰の取り合わせがすごい。 ただ、桜はちょっと時期が遅かったかな。もう2,3日早く来ればピンクの色が鮮やかだったかも。

                
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            富山県立水墨美術館

さて、家に帰るとメールが来ている。Y先生も前日舟川の桜を観たとか。 そして今年は水墨美術館の枝垂桜がことのほか見事、そろそろ葉桜に・・ということだった。以前水墨美術館の館長をされていたY先生だから、あの水墨の象徴枝垂桜は我が子同様なのかも・・。もともと行こうと思っていたので早速翌日の午後、駆けつけた。まず桜を堪能、次に開催中の「石ア光瑤展 花鳥画の煌めき―没後70年」を鑑賞。
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              庭の一本枝垂桜   
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館内のソファーに腰かけて桜を眺める至福のとき  今日は空の青と雲の白が素晴らしい

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                           常設展と喫茶店を臨む

他にもさまざまな桜の名所がある富山、そして日本全国・・・この桜のシーズンの高揚を見ると、日本人は桜が好きなんだな〜とつくづく思う。 
過去にもよくブログアップしたっけ。何と言っても松川べりの桜の人気は一番かもしれない。 そしてこの水墨美術館の枝垂桜。 今年は舟川も入ったけど。

2015年4月松川 桜の遊覧船に初乗船  http://marilyn-m.at.webry.info/201505/article_1.html  

2012年4月 富山の桜その2  http://marilyn-m.at.webry.info/201204/article_2.html 

2012年4月 桜が咲いたー富山市の松川べり    http://marilyn-m.at.webry.info/201204/article_1.html


な〜〜んだ、何度も何度も松川べり桜、同じような写真をアップしていた(-_-;)
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今年も桜の季節

2017/04/09 15:11
 今年もめぐってきた桜の季節、何だか今春は桜前線関係なく、東京も大阪も富山もほぼいっせいに満開になった感じ。
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        市内桜の名所松川べり 4月8日花曇りの午後

第二土曜日午後、4月の八雲会例会がちょっぴり早く終わり、会場の高志の国文学館の近くを流れる松川べりへ足を向けてお花見を
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 何十年来の英語仲間であり八雲会仲間(私は後輩ですが)Mさん、Nさんと

夕方から雨も降りそうな曇り空だったが、風もなく何と快適な柔らかい春の空気。上着も不要な幸せ気分。ほとんど3週間ぶりに会ったので、川辺の石段に腰を下ろし、あれこれ1時間余りのお喋りが楽しかった。


我が家の桜も・・・古木にも拘わらず今年も頑張って咲きました
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3年前の2014年春、桜の好きだった95歳の義父は、前年暮れから入院中であった。義父が毎年桜が咲くとそうしていたように、ひと枝折って花瓶に挿して病室に持って行った。年齢と発熱の後の体調で、ほとんど笑顔と言葉のない日々だったが、桜の枝を髭を剃っていた義父の前に置くと、「綺麗だなぁ」とはっきり声を発した!
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義父は翌年の桜を観ることなく、96歳の誕生日を迎えてすぐ開花直前に旅立った。


 今朝の北日本新聞に大きく出ていたお二人の対談。昨年桜の開花間近に富山でロケをした映画『追憶』が公開間近ということで。。
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『剱岳・点の記』以来の”気の合う?友達”であるお二人 木村大作さんと石井知事

ちょうど昨年の今頃、富山市の八尾や桜木町でロケをしていた。剱岳以来の映像カメラマンの大澤嘉工さんに連絡頂き、対談にも出てくる街中桜木町の”飲食店”でのロケで、『剱岳』以来の”応援隊”3人でロケ現場を訪問した。
このときロケ現場の降旗監督、木村カメラマンに差し入れ訪問された石井知事にも出会った。
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1週間後の魚津の海辺のロケでは、降旗監督とのツーショットを出演の安藤サクラさんが撮って下さった。
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あれから1年、いよいよ5月6日全国ロードショー
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春遠からじの夕べ、「恩師を囲んで」久々に懐かしい昔の集いが、「日本料理丸の内」にて 
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             どれが恩師で生徒なのか・・・
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店主兼料理長さんは「北前船で秋田から来ました・・」とか(笑)  富山のワインと海の幸が美味しかった〜
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今宵は東京(京都)から駆けつけた恩師N先生を囲んで 15年前の恩師3人生徒3人

 春を待たずとも、この冬もスキーで元気な人たち〜
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             立山山岳ガイド佐伯知彦さん
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                変わらず颯爽と 元T大心理学教授大石先生
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                    山岳医森田先生この冬30回の滑走
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わが弟カップル スキー歴50年 今年3月志賀高原にて 元気な二人だ(-_-;) 
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惹きこまれた明治日本・・・

2017/02/27 23:11
2月最後の土曜の夜。 珍しくDVDをレンタルしてきた。
ちょっと古くて店の人に差し出すのも恥かしくなる、2009年〜2011年に放映されたNHKのスペシャルドラマ『坂の上の雲』
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             全13巻のうち5巻を借りた
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ご存じ明治の新時代に貢献した3人の物語 原作は司馬遼太郎の「坂の上の雲」

3年に渡り1〜3部と放映されたので、最初は3,4回観たが、次の年からは見てなかった日も多かった。
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主人公の秋山好古・真之兄弟  明治黎明期の陸軍と海軍の基礎を築いた
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こんなロマンスも楽しみな好古(阿部寛)と未来の妻となる多美(松たか子)。他に秋山真之(本木雅弘)と正岡子規(香川照之)がこのドラマ(原作)の主人公 

(1巻を見ただけでもやはり明治の若者の夢や生き方に感動の兆しを感じたが、10代の主人公たちを演じるために、年相応でない若さと情熱を見せなければならない俳優たちは、やたら元気で騒々しく跳びまわる・・・(苦笑))
本当は原作を読めばいいのだが、その時間もエネルギーもないこの頃。それに映像のほうが内容がしっかり記憶に残りそうだ

 このDVDを借りたきっかけは・・・
直接にはその前々日23日(木)の英語論文講読自主講座
この日私が訳や解説当番が当たっていたテキストに、この秋山好古・真之兄弟が出てきたのだ。
そのテキストとは、東京大学名誉教授平川祐弘先生圧巻英語論文 『Japan's Love-Hate Relationship with the West』 (日本対西洋の愛憎関係)2005年 Global Oriental社
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2012年暮れに富山大学人文学部のラフカディオ・ハーンシンポジウムで基調講演された時が初対面だったが、平川先生の博識と膨大なる学問業績、頭脳の回転に感嘆した。英語は勿論、フランス語・ドイツ語・イタリア語を話し、中国文学を翻訳する。 その圧倒的な数量の刊行書だけでなく「英語の著書」もあると聞き、アマゾンで買った(-_-;)! 文字通り550ページの圧巻で、昼寝の枕か神棚に供えて崇拝するしかない洋書だったが、英語自主講座の6人に提案したところ、それを読みましょう!ということになった。 
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原書の文字は小さすぎるので1ページをA4サイズに拡大してもう1冊のコピー本にしてもらい読み始めたのだが、・・・2013年にから遅々としてもう4年も読み続けている。(-_-;)(-_-;)

だが、平川先生が「これが面白いですよ」と推薦して下さったいくつかの論文はすでに読み終えて、実はあまりに好評なので中途で止めるのは惜しく、推薦外のものにも取り掛かった。そして今はようやく、ポストスクリプト(あとがき)にまで漕ぎ付いたところだ。
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      この英語論文にも関係する何冊かの平川先生の著書

 この著書はどこが面白いって・・・
平川先生は東大大学院の比較文学比較文化の教授だった。
そもそも、比較文学とは何ぞや?である。 私たちの大学時代には聞いたことがなかった科である。
この英文著書の題名『日本と西洋の愛憎関係』も惹きつけられるが、私たちが読んできたこの著書で扱っている作家や人物、歴史等を見れば、比較文学の様相が伝わってきそうだ。

[内容]
・ベンジャミン・フランクリンと福沢諭吉〜その自伝の比較
・日本の近代化について、夏目漱石と恩師マードック先生の見解の違い
・ビルマの囚人たち ―竹山道雄「ビルマの竪琴」における以前の敵のイメージ
・能「初雪」の翻訳におけるアーサー・ウェイリーの美学 
・知的孤独と知的友情 〜漱石と魯迅による外国人教師の横顔
・西洋の「愛」と東洋の「友情」〜漱石とウェイリーが気づいた詩的好み
・晩年の作品に見られる森鴎外と母との矛盾した感情関係
・詩人彫刻家高村光太郎と西洋の愛憎関係
・日本文学に対する評価の変遷 〜バジル・H・チェンバレン対アーサー・ウェイリー 
    などなど・・・

ところで私たちは、今まで読んできた英米文学とは違う、この平川先生の論文内容が予想外に気に入った。明治日本の文豪、夏目漱石、森鴎外、福沢諭吉、ラフカディオ・ハーン、そして源氏物語や能などの日本の古典など、欧米と関係しつつも、身近な日本人作家や日本文化が多々扱われているが、それを英語で読む味わいはなかなか独特である。

しかし、私を含めて、身近だといいながら、それらの日本を代表する作家たちの作品をほとんど、いや全く読んでないことに気付いた戸惑い。またそれに関連する当時の世相や政治家、世界の作家や思想家たち、そして日本史、世界史も次々と関連させて登場するが、 その都度(ずるくも)Wikipediaで調べたり他の資料を見つけたりして、訳の当番に当たった人は簡単な知識の発表をする。 そして得られた知識を喜びながら、あ〜でもない、こ〜でもないと、それぞれの(あまりアカデミックではないのも含めて)意見や感想が飛び交う。そこから現在のマスコミを騒がせているエピソードや事件にも話が及んで・・・。

  さて、「坂の上の雲」の三人はどこに出てくるのだろう。実は今読んでいるこの膨大論文のあとがきで、平川先生は、元アメリカ大使のライシャワー教授が所長を務めるハーバード大学日本研究所での自身の英語講演(1978年)を掲載している。そこで、自身が教授をする東大院の科を例に、比較文化比較文学とは何か、やその研究対象・意義に言及している。 そこに秋山真之の名前が・・。

「・・・比較文化と加えたのは、単に文学だけではなく、例えば岩倉具視使節団や、明治海軍の秋山真之のアメリカ留学、など明治日本の様々な職業分野の日本人の外国体験もその研究の対象になるからだ。(漱石、鴎外、光太郎・・・のような文学者の海外体験だけでなく)」 

ちなみに比較文学とは
文学研究の一部門および一方法。二国以上の文学の間の交流・影響関係・対応を研究し、全世界的な文学の流れを明らかにしようとするもの。(大辞林 第三版)
2国以上の文学を比較し研究する学問。文学相互の影響関係やそれぞれの特色などを実証的に調査・検討し、さらに国際的な文学の流れを明らかにしようとするもの。(デジタル大辞泉)

 そうか、秋山真之はアメリカに留学したのか・・・兄の好古はフランスで騎兵隊を学んで日本陸軍の祖を造った。 あの明治時代に海外に留学する日本人の、2つの文化の狭間での稀有な体験はこの上なく興味を惹かれる。
もう1度あのドラマを見てみたい。・・・!!!。平川先生のあとがきには秋山真之の思想とか影響力とか本質的なことは書かれてなくて、ただ、「比較文学の対象」となる例として。 彼については昭和54年に創設された東大比較文化の初代学科長であった島田謹二教授が著書『アメリカにおける秋山真之』で見事に書いているとか。

 ところで、余談だが・・・
秋山好古・真之兄弟、そして彼らの親友正岡子規は松山の出身 私が勤務していた東京千代田区九段にある三輪田学園は明治13年に三輪田真佐子が松山で開いた漢学塾明倫学舎が始りだ。
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真佐子は後明治20年にに東京へ塾を移し、明治35年現在地に私学の三輪田女学校を設立した。ここに秋山好古の長女(大正3年卒)と三女(大正11年卒)が卒業生として名が残っている。好古の妻の家がすぐ近く市ヶ谷にあったのと、三輪田女学校には当時軍の高級将校や華族の子女も少なくなかったこと、何より、松山で秋山兄弟や正岡子規の家がこの明倫学舎のすぐ近くであることから、彼らは三輪田真佐子をよく知っていたに違いない――という縁で好古の娘たちの学校選択となったようだ。このことをNHKはドラマ制作にあたって三輪田学園に取材に来てTVでもドラマのあとで紹介されたようだ。
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明治末〜大正時代、秋山好古の娘たちが通っていた三輪田学園中学校高等学校(千代田区九段北)

木曜日午前中の2時間はあっという間に過ぎていく。毎回、「このテキスト、今までにない面白いテキストね!!」と叫んでしめくくる。 レンタルDVD,これから13巻まで見るのは久々に楽しみ。

余談その2 正岡子規役香川照之さんの激やせ役作り
レンタルDVD第7巻で、結核性カリエスの激痛と長年闘っていた正岡子規が、俳句芸術の新境地を開き後世に名を遺したその壮絶な人生の幕を閉じた。(34歳)
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               正岡子規と子規役の香川照之
香川照之さんは結核を患う子規を演ずるため、17キロの減量をしたという。

ちょうど、私たちが2年に渡って追っかけ(応援)をした『剱岳・点の記』が完成し6月のロードショーを前に1月、富山で関係者向け完成披露上映と東映による「感謝の集い」が開かれたとき、監督と俳優さんたちが映画館とパーティー会場であいさつに立った。(私たちも県知事などお偉方と共に、追っかけの努力が認められ?栄えある集いに招待されたのだ!(笑)) その時、2年間の撮影時と違って、こけた頬と青白い顔の香川さんを見てびっくりしたのだが、NHKの『坂の上の雲』の役作りのためだということだった。
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 2009年1月名鉄トヤマホテルにて  精悍な山案内人宇治長次郎から晩年の病状六尺の正岡子規になった香川さん 
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山が光る〜〜富山・新潟・長野 真冬の晴天

2017/02/07 00:48
2月4日 土曜日。 珍しく富山にも朝からお日様の光がふりそそぎ、この真冬に長野へ車で行く億劫な気持ちを振り払ってくれた。土曜日は全国的に穏やかな暖かい日だとニュースが伝えていたので、1月に行けなかった母のもとへ行く決心をしたのは前日。 

富山インターから入るとすぐに目の前に立山連峰が現れるが、最も美しいパノラマが迫って来るのは5分ほどした水橋付近
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まさに立山に向かって突進していく感覚・・・この世のものとは思えない、自分の存在さえ忘れる圧倒的な風景だ。
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やがて立山のパノラマは富山市を過ぎようとする頃は右手に流れていく。

北陸自動車道、富山・新潟県境へんから26もあるトンネルを23ほどくぐるとお決まりの名立谷浜SA(上越市)で一休み。富山インターから1時間ちょっと。 海が見えるSAで海を見ながらほっとする場所。今日はいつもの日本海の灰色とはちがってマリンブルーの素敵な春の色〜
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海の向こうに見える山は何だろう・・とネットでこのSAを調べてみたら 「天気の良い日には佐渡島も見える」 と!
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  やったー!まさかの佐渡島!28年前に珍しく家族旅行したっけ。

ここで佐渡島が見えるとは・・・、何度も立ち寄っているのに、もしかしたら見た時もあったのに知らなかった〜〜〜(-_-;)

そして、SAを発つと北陸自動車道のトンネルも残り3つをくぐり、上越ジャンクションを通過、あの、妙高高原を通る。立山がこんなに綺麗にみえるんだから、妙高山ももしかして、いえ、きっと!あの姿を現してくれるんではないかと胸が高鳴って来る・・・だってもう3,4年顔を出してさえくれない。
日本海側から直角に上信越自動車道に入るとしばらくして右手に・・そして行く手に・・・妙高の威容なパノラマ
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    まずはいきなり右前方にこんな姿で現れた 「こんにちは」みたいに。

やったー、今日はほんとにラッキーな日。 こんな真冬の長野行きは天候という大きなブロックがあって、天気予報とにらめっこ。雪は降らないらしいから・・という期待だけで来たのに、まさかこんな雲一つない青空と曇りもなく輝く妙高山に出会えるなんて!!!
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そして大入道みたいに妙高が行く手に立ちはだかる (新井SAあたり)
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私はこの山に魅せられる。富山と長野(東京にいた時期も)を往復した40年余り、威容を誇る妙高山の存在を知らなかったのだ。大学時代、1年生の夏に赤倉温泉で合宿し野尻湖とか妙高の間近に来たはずなのに。

それが、あるとき、高速で通った春、「なに?!あの山は!」と叫んでしまった妙高山の驚異的姿。そう、高速ができて富山から長野まで車で行くようになったのは父がなくなった平成10年からだったかもしれない。電車の時は気がつかず、そしてその後も、こんなふうに美しい姿を現したことはめったにない妙高だったから、初めて姿を見たときは驚き以外何ものでもなかった。(実際には妙高山を赤倉山と大倉山が挟んで妙高連山みたいに)

それに、この妙高高原は交通の難所、というより天候の難所で、暴風雨と暴風雪と濃霧に見舞われ遭難するかもしれないと思ったことも何回か。
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妙高山(みょうこうさん)は、標高2,454mの成層火山。日本百名山、北信五岳の一つで あり、その中では最高峰。妙高戸隠連山国立公園に属している。
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やがて妙高の山々は右前方から右手へそして右後方へと去って行く。
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妙高をたっぷり堪能し(でも走っている車からはなかなか会心の写真が撮れない)、次は小布施のSAがお決まり休息所。というより小布施products を眺めて楽しむ。 
ここまで来ると東御・湯の丸インターもあと1時間。なんと言っても雲のかけら1つ見えない今日の青空・・・

弟や従姉妹たちとの会う時間に間に合うよう故郷佐久市へ向かう。そこにあるのはあの浅間山・・・
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生まれたときから見てきた浅間山 我が家とは少し離れたところから  やはり晴天の空の下に輝く
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浅間山(あさまやま)は、長野県北佐久郡軽井沢町及び御代田町と群馬県吾妻郡嬬恋 村との境にある安山岩質の標高2,568mの成層火山。山体は円錐形でカルデラも形成 されており、活発な活火山として知られる。

神様に感謝の1日だったが、翌日は予報通りの小雪舞う暗く寒い日。 長野の最低気温はマイナス8度。朝起きたら室温は0度だった・・・。先日はマイナス12度の日があったとか。
雪はすぐ止んで、また高速で富山への帰途に。 ああ、長野から向かうときの妙高山がまた素晴らしいのに、今日は期待できない。 
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妙高は雲がかかっていたけれど左手の赤倉スキー場ではスキーヤーが見えた
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      やがて妙高高原を過ぎると日本海の香りが前方に

その昔、実家から富山へ帰る電車の中で、灰色の日本海に迎えられ、「ああ、また富山の毎日が・・」と、わが心もグレーになったっけなぁ〜〜。(笑)

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エジプト芸術と・・ 思い出

2017/01/20 00:03
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      エジプト展が富山にやってきた(1/13〜3/26 県民会館美術館)
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最近美術館からちょっと遠のく日々だったけど、この美術展はかなり早く昨日18日に駆けつけた。
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私は「エジプト美術 エジプト芸術 エジプト遺跡」にいつからか何故か惹かれるものがある。思い入れというか・・。
でも実は今回は・・「もしかしたらあんなTシャツが在るかも知れない」という鑑賞からはずれた邪道の期待(-_-;)。 

     〜〜〜    〜〜〜
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               NY メトロポリタン美術館2010年9月
もう6年余り前になる。初めてニューヨークに行き、メトロポリタン美術館で、素敵なご夫妻と初めてお会いした。メトロポリタン美術館に50年も学芸員としてお勤めだったかたで、エジプト芸術・遺跡が専門分野だと言われた。ちょうどその特別展が終わった直後で、ショップに案内して下さり、エジプトのファラオの装飾をデザインしたTシャツを2枚選んで下さった
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  メトロポリタン美術館にて NY富山県人会長土肥氏ご夫妻 2010年9月
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メトロポリタン美術館にも、後に行ったボストン美術館にもエジプト芸術・遺跡は素晴らしいものがたくさん展示されていた。(写真は2010年10月 メトロとボストン美術館のエジプト遺跡)今日も撮った写真をめくりながらしみじみとあの時の思い出に思いを馳せた。
      〜〜〜    〜〜〜

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                         富山展
この富山展、今日は時間が無かったので、まず入場するやショップへ行って、様々なエジプトグッズの中から、あの装飾を探した。
すると、・・Tシャツや装飾そのものは当然?無かったけれど、それらしき絵画や絵葉書が!
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                 パッケージに描かれていた絵   
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                      そして絵葉書 

その2枚のTシャツ・・・私は今でもお気に入りで大事にしているのだが、当時お土産として買って来たら周囲の人たちには不評で、とても着れないからいらない!というので回収してしまったのだった・・・(-_-;)(T_T) 確かに、特に金綺羅のほうは・・。でも、一人長年の英語友達のMさんだけはこの2枚のTシャツを見るや否や、「欲しい!」と言って早速翌日の会合に着て行かれた。当時78歳Mさん・・。
          これがそのTシャツ〜〜
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私の宝 この2枚のTシャツ!スポーツクラブなどで着てもうだいぶよれよれになってきた(-_-;)

2度と手に入ることはないと思いながらも、この富山のエジプト展に、まずそんな期待の動機で飛び込んだのだ。やっぱりなかったけど・・・・
私がこのTシャツが気に入っているのは・・・息子と歩いたニューヨーク、マンハッタン、ボストン&メトロポリタン美術館と、毎年富山を訪れておられる土肥氏夫妻の思い出がつまっているからだろう・・・。
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翌日からこのTシャツを着て! at ボストン美術館 モネの 『日本の娘』の前で (海外の美術館は写真OK・・・写真はメモリー濃度を10倍にしてくれる!)
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             好きな絵の前で撮ったのだが誰の絵だったか(笑)
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             憧れのケネディの生家(ボストン)へ・・Tシャツで・・・
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年末年始 〜2016年から2017年へ

2017/01/09 23:43
2016年年末
月日の過ぎる速さは年々ますますひしと胸に堪える。もう1年が終わってしまうのだ。
2016年師走にいろいろな仕事と行事が押し寄せる中、1週間ほど珍しく風邪気味となった。食欲はあるものの、1日珍しく37度5分の発熱もあったので1週間ほど家に引き籠った。後から人の話を聞くと、今年富山市で猛威をふるったというインフルエンザA型だったらしい。お蔭で年賀状が例年になく早く出来上がり、20日には投函できたので年末のお正月準備は余裕だった。

思い切って24日のクリスマスに、新幹線日帰りで長野の母に会いに行った。やはり母に会わないうちは今年の仕上げが出来ない。ついでに、第二の故郷上田でやっているNHK大河ドラマ真田丸館に行く最後のチャンス。『真田丸』は15日に最終回を迎え、ああこれは真田家の父昌幸と子の信之・信繁兄弟の絆のドラマだ、と最後に胸いっぱいに感じとったので、ぜひわが第二の故郷(高校時代、親から離れて3年間を上田で過ごした)をもう1度感じたかった。
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                新幹線はくたかで上田駅に降りる
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               この城内に真田丸館があります
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                    よくあるツーショット
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                臨場感あふれる館内のセット
壮大なスケールの「真田丸」を見て、真田家の歴史、偉業を初めて知ったが、中核は父と兄弟の絆がテーマであった!と、昔から私の周りの「真田一族」への心酔を感じさせる人々に思いを馳せた。富山でも、今は亡き親戚のHK氏は82歳で亡くなる晩年までいつも六文銭のついた巾着袋を愛着していたっけ。
少年の日から「真田十勇士」のファンだったって。

帰りに駅で信濃毎日新聞を買うと、『真田丸』チーフプロデューサーの屋敷陽太郎さんのインタビュー記事が載っていた。ラッキー! 
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 信濃毎日新聞12月24日版   屋敷さん、思い入れ強い『真田丸』の成功おめでとうございます


上田まで迎えにきてくれた妹の車で母のもとへ向かう途中、生まれて二度目となる北国街道海野宿(うんのじゅく・東御市)の宿場の街並みを見学
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母を訪ねて、濃密な?3時間を過ごした。今まで私が出した絵葉書や写真を見ながらお喋りしたり・・・私は旅の疲れで30分ほど夢うつつの居眠りの世界。まだまだ思いは充分ではなかったけど、バスの時間を待って夕闇の佐久平駅に着くと、駅前は絢爛豪華なイルミネーションの広場、新幹線の発車まで50分ほど凍てつく空気の中で光の世界に浸った。
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そして子どもたちを迎え大晦日とお正月がやってきた
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いつも大晦日になると不漁だったりして手に入らないカニを今年は何とか首尾よく手に入れることができ、みな大喜び

それにしても年末年始のわが労働は並々ならぬもの(笑) 三十余年の訓練の賜物だが、結局てんてこ舞いしているうちにいつもの如く、出し忘れたご馳走もいろいろ(-_-;)。
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いつもの我が家定番の料理のほか、元旦夜にはこんな大阪の名物今井の「うどんすき」セットが3つも届いて感謝
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 謹賀新年  2年連続雪のないお正月 家の屋根によじ登って立山連峰を
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                   近くの神社でお詣り
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        そのあと皆で元旦恒例の環水公園詣り
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ここ環水公園の「世界一美しい」スターバックスは満員御礼 屋外で熱い飲み物を

そして皆が二日に帰って行くと、夕方は今36歳のF中学卒業生のクラス会がホテル・グランテラスで。前のクラス会にも招かれたが、あれからちょうど10年、互いに10年ぶり、60人余りが集まった。半分以上が東京、など県外からの参加。懐かしい。でもすぐに名前がわからなかったらどうしよう、というわけで、皆が旧姓のままの名札を付けてくれたのはgood idea だった。
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そして翌日は思い立って金沢へ
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     壮麗な鼓門は加賀百万石の象徴 夕闇の中さらに威風堂々
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兼六園 前に来たのは13年前 ベスさんと、心理学会で講演されたスイス・バーゼル大学のシュタイナー教授夫妻を案内したなつかしい日を思い出す。
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 兼六園の象徴・徽軫灯籠(琴柱(ことじ)灯篭)の傍に鷺がいました
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今年も健康で良い年でありますように。
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Y くん父になる

2016/12/10 22:06
昨日 facebookを開けると、ひときわ大きな写真が飛び込んだ!

F中学ではちょっぴりユニークな生徒だったYくん。 今もかな(笑)
そこには第一子出産の感動が綴られていて、汗と涙の出産を終えた新家族三人の幸せ写真が!

(Yくんに facebookの写真と記事・ 掲載了解を得ました。本名出してもいいですよって・・)

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 12月8日 · #至福のひととき
#出産予定日 を4日越え#陣痛 38時間を乗り越えて、長男が#誕生 しました( ^ω^ )
一晩中ずっと付き添ってもなかなか出てくる気配がなく、痛みと時間に苦しんだ嫁さんを
どれだけ思っても、どれだけ身体をほぐしても代わってあげられない#無力感 さえも感じた。
ロクに食べ物も食べられず、水分補給しか出来ない中で、本当に#チカラのかぎり を尽くして頑張ってくれたお嫁さんに、本当に感謝と、愛を贈りたい!!
お互いに#ヘトヘト になりながらも、泣き声と共にお腹から出てきた瞬間、目を合わせ、またその瞬間に2人して#涙があふれた…>_<……>_<…

沢山の時間の中で、こんなにも愛を感じた瞬間はなかった!!
こんなオレと#夫婦 になって、こんなオレとの関係を、こんなにも大切にしてくれて#本当にありがとう !!!
これが新たなスタートだって分かってはいるけれど、改めて感謝と愛を込めて、#ありがとう、#お疲れ様、これからもヨロシクね ( ^ω^ )🐯( ^ω^ )
ちなみに名前は、人生を自由に翔びまわって楽しんでほしいの意を込め、飛楽(とら);です。
めっちゃ可愛いから是非愛でて下さいw



Y君とは1年余り前にfacebookで再会し「友達」になった。
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中学以来会ってなかったけど、彼の投稿記事や写真をみると、バスケットボール、スケートボード、が大好きなスポーツ少年、いや、もう33歳の立派な青年! 今年はスポーツでアキレス腱を切断して手術、長期の不自由な治療をしていた様子が時々足の写真と共にアップされた。「がんばって」なんて皆が書き込みで励ましていたけど、Wedding のニュースが今年の夏にアップされて、私も「おめでとう」ってコメント書き込んだっけ。
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支え合って生きていきます(。・Д・)ゞ
">#婚姻届 #カキコ
沢山の人と出会い、別れ、この出会いは今だから結ばれたものであり、きっとこれが最短の道のりであり、今までがあったから惹かれ合ったんだと、そう言い切れる、そんな人生最良の人と。
#全てが必然 #そう思わせる出来事たち
#アキレス腱断裂 でさえも。
#少し歩みを止めなさいと。
まぁ、あっちへフラフラ、こっちへフラフラ、と思ったらまた次ですかと!
いろいろご存知の方も多いでしょうが、これからは夫婦として歩んで参ります٩( 'ω' )و ٩( 'ω' )و
違う意味で夫婦であっちへフラフラ、こっちへフラフラして人生を豊かに過ごし、育んで参りまする(。・Д・)ゞ
式は来年を予定してますので、また追ってご連絡致します(。・Д・)ゞ
ホンマ#人生なにがあるかわからないから楽しいな (2016 7/11)

彼がパパになると知ったこの投稿・・これも感激だった。

">#嫁さん妊娠30週目 #オレみたいもんが親に #世界最高に愛され愛するぱぱになりたい ٩( 'ω' )و (9/27)
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嫁さんとウォーキング٩( 'ω' )و
明日は7か月検診٩( 'ω' )و
楽しみすぎで検診欠かさず付き添いw      (2016 8/10)


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#マタニティフォト ってやつ(。・Д・)ゞ撮ってきました٩( 'ω' )و
#小道具いっぱい準備 嫁さんの友達#千鶴ありがとう
#着飾らない #あるがまま #そんなスタイルが好き・・・・
#高校の同級生 に依頼。 帰ったら嫁さん家族と#かにパーティー
足1本で口の中いっぱいになるよな蟹!
カニ鍋と茹でカニとカニ飯、激ウマでした٩( 'ω' )و
ご馳走になり、本当に感謝感激でした٩( 'ω' )و
感謝感謝の1日でした。 沢山の人と出会って、イキイキした今がある٩( 'ω' )و
#人生最高な毎日 (10/17)

そして12月4日の予定日には・・・まだbabyは生まれなかったけど。
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      楽しい二人、いや三人です「赤ちゃん、待っているよ」と。


そしてトップに戻って、みごとHappy Birth!  沢山の祝福コメントに囲まれた二人でした。


 [追記] 1月7日 生後1ヶ月〜〜YパパのFBより
      Y君、素敵なパパやってますね〜〜!
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.#早い #早すぎるぜ #生後 #1ケ月
#おっぱいほしがりさん
おっぱいいらない時は首を横に振ってイヤイヤってするので楽チンです٩( 'ω' )و
夜はいい子に寝ている#息子ちゃん
#とら すくすく育ってくれてありがとう( ^ω^ )
#嫁さん いつもとらを大切にしてくれてありがとう( ^ω^ )

パパは家族のために#資格 を取ろうと勉強を始めました٩( 'ω' )و
受験は2ケ月後です爆
近年の合格率39.9%と30.9%なんだってさ爆
受かる?受からない?さぁ、みんなどっちだと思う???
パパはやってやんぜ٩( 'ω' )و

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富山市議会議員補欠選挙 〜八雲会公開セミナー 〜木村大作トーク [11月のメモリー]

2016/11/30 21:34
1)  11月6日(日) 富山市議会議員政務活動費不正辞職で13人の補欠議員選挙 

F属中学関係の二人の無所属候補者が当選!! 嬉しいです。一人は上野ほたるさん(32歳)2児のママで,働くママたちの代表、最年少というのでTV,新聞で騒がれました。 もう一人は3年前に中学校教師を辞めて今回再度市議会議員選挙に挑戦された島隆之先生。 正義感とやる気とガッツ、二人はきっと富山市議会に新風を吹き込んでくれることでしょう。
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  2児のママ  ママ友たちの応援が素敵だった 9位で当選 
 
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島先生は剣道部顧問で技術家庭の先生 絶対毎日発行する学級通信は生徒の心をつかんで引っ張っていった。 
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お金をかけない選挙を目ざして、1人でスピーカーをかついで演説。 でも先生は結果的にちょっと反省。 もしかしたらまさかの落選、ちょっとひやひやの結果だった。13名中11番目・・ 
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 3年前に教職を辞して以来、富山型学童保育経営と漁業が先生のなりわい。漁業は毎朝4時には漁港に参じて親方様のもとで漁獲。毎朝「今日の掘り出し物」の収獲写真をfacebookでアップ。
そのほか公立中学の剣道部の指導、特殊学級の指導や世話もボランティアでされている。
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二人は附属中学で師弟の間柄。ほたるさんは剣道部のキャプテンでもあった。 左は島先生のさらに?深い師弟関係であるH君。  無所属の二人は「政策チーム 光」という会派を立ち上げて市議会で頑張ろうとしている。
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2) 11月19日(土)八雲会公開セミナー『ハーンの世界に触れる』 富山大学中央図書館
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   ラフカディオ・ハーンの蔵書「ヘルン文庫」見学とハーンの作品の英語紙芝居上演

今年の参加者は33名も。 まず図書館5階のヘルン文庫に案内、元図書館司書で八雲会員の栗林さんがわかりやすく説明してくださった。
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          2435冊のハーン(八雲)の蔵書を納めたヘルン文庫
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     なぜハーンの蔵書が富山大学にあるのか・・に耳を傾ける

そして次は、八雲の作品を会員が手作りした紙芝居を上演。 今回は『MUJINA』と『若返りの泉』
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 ハーンの作品はみな英語で書かれている。その英語を生かして、英語と、そして日本語であとを追うように熱演して上演。今回は、図書館2階の広間にある、ハーンの生涯を描いたフレスコ画(丹羽洋介元富大教授作)の前で、初めてマイクなしの肉声で頑張った。
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2週間前の5日(土)夜、高志の国文学館の2階で、読み合わせ、練習。 紙芝居はやっているみんなが一番楽しんでいるかも。
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   元校長先生たちの英語&日本語セリフ演技力はただものではない! ノリノリ過ぎて大笑いで中断 


3) 11月24日(木) 久々に木村大作監督のトークショー 
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高倉健さんの三回忌というので、健さんと9本もの映画を撮ってきた木村さんの思い出トークと、健さんの映画『駅・ステーション』の上映。 映画の方は以前見たし時間がないので前から3列目でお話を聞いた。
相変わらず元気いっぱいの変わりない監督のトークに大笑いして元気をもらう。 点の記を追っかけたのは2007年2008年、今から9年前だ。監督はもう77歳だって・・・・・・!
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             健さんにもらった靴だとか・・・北日本新聞11/25

今年富山で撮影した、降旗康男監督、木村大作カメラマン、岡田准一主演の映画『追憶』について、そして来年は富山で木村監督で時代劇を撮るのだとか・・・夢、夢、大きな声で相変わらず夢を追って威勢がいいかたでした。
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池上彰さんの講演を聞く〜 富山市議会議員問題

2016/11/22 21:42
 『民意と歩む 議会は変われるか』 11月12日(土)9:30〜12:30
北日本新聞主催
 
    ニュースキャスター池上彰さんの基調講演・シンポジウム 
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内容は、当然ながら、この夏以来発生し、全国的にも名を轟かせた富山市議会議員の政務活動費不正請求とそれに関連した13人もの議員辞職問題について。この問題から、政治と民主主義の根本を考える・・・。

あらかじめ、北日本新聞社に参加申し込みはがきを出して、二人分の整理券を頂きました。(珍しく夫も同行・(笑)) 会場は快適そうなANAクラウンプラザホテルの鳳の間(800人定員)だったのも、かなり行く気になったのですが、何と何と開場前から長蛇の列。押すな押すなの意気込みで、参加者は、この市議会議員の不正問題への怒りが会場整理していたホテルのスタッフに向けられて? 「その口調が上から目線だ」とかつっかかっている光景が((+_+))。
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ちょっと早めに着いたので、かなり前の席がとれた。これも池上さんの表情をもしっかり拝見するため・・(笑)
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会場には、この4月に発端となった、市議会議員報酬月10万円値上げ決議問題を機に一連の政務活動費不正請求問題、13人の議員の辞職という事件が映像で流されていた。改めて、その汚い政党の体質、政治土壌に怒りが膨らむ。

それにしても、保守王国富山で、これほど政権に対して面と向かって抗議の声が上がり、マスコミに取り上げられたことはいまだかつてなかったと思う。地方新聞はほとんどイエスマンの御用新聞と言われていたから。

 そしていよいよテレビではお馴染みの池上彰さんが登場。
ちょうどアメリカのトランプ氏が勝利した大統領選の長期間の取材から帰国した直後だということでした。
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アメリカ大統領選のお話から、民主主義とは何かを考え、そして富山市議会の今回の問題にもいつの間にか迫って、深く考えさせられました。議会や議員の活動をチェックするのは選んだ市民の義務、そしてそれを後押しするのは不正を監視する目としての地方新聞の大事な役割であると。

1時間の45分くらいはアメリカの選挙制度やヒラリーさんの敗因、などなどで終わりそうでびっくりしましたが、そのことが必然の経路で私たちの(富山の)身の回りの選挙や政治的状況に結びついて、まさにこの後のシンポジウムの基調講演にふさわしいものでした。
1時間、全神経が池上さんに惹きつけられ、素晴らしい内容と淀みない話術(こういう言い方はしたくないけど)、一瞬も聴衆の心を逃がさない見事なお話でした!800人満席。
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              北日本新聞 11月13日(日)版

地方新聞の役割と言えば、今回これほどに不正問題が浮上し掘り下げられたのは、まさに北日本新聞という地方紙、そしてチューリップテレビというテレビ局の報道努力であったことを指摘し、政治を監視する地方紙の役割の大きさを語りました。また「その逆を言えば、今までこのように不正が何年間も続く状態を、マスコミは放置し何も取り上げようとしなかったし、監視してなかったことになります。」と言われました。

今回もたまたま、1市議会議員が議員報酬のことで取材した北日本新聞記者を小突いてメモを取り上げた、という横暴行為に新聞社がいつになく?怒ったことが発端だったと思います(revenge?(笑))。 今から思うと、小突いた議員バンザイ、と言いたいくらい不正追及の貴重なスタートとなったわけです。
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宇奈月温泉 & 黒部峡谷トロッコ電車

2016/10/24 11:18
10月17日(月) 大阪からお客さんが来て、宇奈月温泉へ行くことになった。
久しぶりの宇奈月温泉。 その昔、義父母が元気だったころ、親戚を呼んでホテル「延楽」へ行ったり、勤務校の3月送別会で毎年「延対寺荘」で1泊した。院にいたときは「宇奈月国際ホテル」で合宿、また数年前、弟夫婦が長野から双方の母親を連れて来て私も一緒に泊まったホテルもここだった。

今回は「ホテル黒部」、うちとは「親戚」ということで、今回目的があって初めて訪ねることになった。2002年公開の、富山出身・本木克英監督の『釣りバカ日誌13』のロケ地にもなったホテル。
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翌朝、ホテルの部屋から撮った黒部峡谷鉄道トロッコ電車の鉄橋 心配していた雨も上がって秋晴れ、紅葉の山々  
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                     ホテルの玄関へ
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前日は遅く出て来たのでもう暗くなった高速道路を黒部インターで降りて、到着したのは7時前。まずは私たちにとっては初対面の親戚(亡くなった義母の従姉妹にあたる女将さん)の方々とご挨拶してすぐに夕食。
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リッチな富山の食材のディナー  浪花のお給仕さんがオモロイ会話で笑わせてくれる
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    HPで見たホテルの大女将とお嫁さんである若女将とお孫さんたち
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(翌日)ロビーで、今回の目的である家系図の補足をしていただいて、大女将といろいろと思い出話を。彼女は朝日町泊の伊東家(江戸時代の十村という加賀藩の由緒ある家柄)からこちらに嫁がれた。彼女の母上は義母の父親の妹(明治40年生まれ)で我が家から嫁いだので、つまり義母とこの大女将は従姉妹どおしとなる・・という間柄。馬の血統しか興味ない人たちには混乱するかもしれないけれど(-_-;)。
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                 トロッコ電車 ホテル黒部号(笑)

さて夜の温泉は勿論快適だけど、朝の渓谷の風景に包まれて、その露天風呂はもちろん、大浴場も広い窓から紅葉の山が目の前に。
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ずっと緊張と多忙と不安の日々が続いていたあとなので、こんなに温泉が幸せに感じたことはなかったかもしれない。部屋も6階の最高の部屋をとって下さったらしく、秋晴れの朝、赤い鉄橋にトロッコ電車が走るのも見えた。

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ホテルのバスで1分の黒部峡谷トロッコ電車駅で10時の電車に乗った。紅葉のシーズンで、平日でもお客さんはほぼ満杯。
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          往きはちょっと高い窓付きの車両(窓無しは売り切れ)

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トロッコ電車が動き出すとすぐ向こうにホテル黒部が そして何とベランダであの給仕さんが大きな旗を振っているのが見えた!
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                立場を変えたらこんななのだそうです(笑)
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           脇を流れる黒部川は目の覚めるようなアクアグリーン
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           ;ヨーロッパのお城のようなロマンチックな発電所
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途中の駅で行き交うトロッコ電車と待ち合わせ・・・大勢の中国人観光客が微笑んでくれてこちらにも「シェシェ」(知っている日本語を駆使?)などと叫び、慌てて「ニーハオ」と声をかけるとにっこり、互いに笑顔で手を振って国際交流。
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道中の案内アナウンスは富山県魚津市出身の女優室井滋さんでした!

1時間20分、終点の欅平に到着。 大学2年のとき、友達と夜行列車で黒部に着いてトロッコ電車に乗った。終点に何かあるのだろうと、道中二人は居眠りばかり。しかし、欅平は単なる河原でしかなく、道中の眺めこそ楽しむべきだった・・という思い出がある。結局欅平からの帰りも夜行列車の疲れで、ひたすらごとごとのリズムに揺られて眠っていたので、ずっとトロッコ電車には乗り直ししなければ、と思っていたのだ。

あれから○十年。 欅平はすっかり観光地になっていた。
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秋の黒部宇奈月温泉&黒部峡谷トロッコ電車の旅でした。
ホテル黒部HP: http://www.hotelkurobe.co.jp/ 
黒部峡谷トロッコ電車: http://www.kurotetu.co.jp/
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音楽夢工房 初体験

2016/10/20 22:18
10月15日(土)、下新川郡朝日町泊(とまり)にある、情熱と精魂こめて造ったオーディオコンサートホール、 音楽夢工房へ。
高速で富山インターから富山県の端、朝日インターまで約35分。 まずネットのHPで場所と時間を確認して、秋晴れの午後の北陸道を急いだ。
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            音楽夢工房http://www.ne.jp/asahi/otoyume/home/ 

このオーディオホールは、かとうとしひささん(元高校物理教師・校長)の生家で、3年がかりでオーディオルームに大改造したもの。音響機器はかとうさんが試行錯誤で手作りした50年の歴史の集大成とか。
メインホールに入るといきなりバーンと圧倒するのは・・・世界一の音響効果を誇る大スピーカー。
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今日は、オーディオ素人の私には幸い、ベートーベン特集で、『英雄』『田園』ミサ曲など6つの曲のCDを、世界最高水準のオーディオ装置で、“生演奏以上”の素晴らしい音質で聴いて楽しもうというわけである。月に1回の愛好者・ファンのミーティングが行われている。過疎化する町の「町興し」の役割も意識しているとか。
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      2階の天井を抜いて吹き抜けにしたホールを上から見ると
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 30ほどの座席も、開会時間がくるとなじみのオーディオファン(中高年、男性が多い)で埋まっていった。

確かに、この音感素人の私でもお腹に響く感動。ベートーベンの力強い曲が響き渡った!
きっと眠ってしまうだろうと敬遠していたのが嘘のようだった。
やがて前半の3曲が終わり、二階の喫茶コーナーで 20分ほどのtea or coffee タイム。皆さん常連さんのようで、慣れたように階段を上ってお茶とお喋りを楽しんでいた。また2階から見える田園の風景を楽しんでくつろぐ人も。
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この休憩の合間に誰かが「例の夢工房のデモ曲をかけて!」とリクエスト。 するとみごとな太鼓?ドラム?をベースにしたまさにここならではの素晴らしい音楽が家全体に響き渡った・・・!あの太鼓の音は何だ!!!数分だがすごい時間だった。
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さて、喫茶室から階下の様子を見るとそろそろ次のプログラムの始まり。

実は、私が今日突然音楽夢工房を初訪問したのにはわけがあったのです。
 附属中学の卒業生で、ピアニストとして活躍されている戸島園恵さんが、ゲストでベートーベンの生演奏をすることになっていたからです。 今までずっと彼女のコンサートを逃してしまって、いつか素晴らしいピアノの腕前を聴きたいな、と中学校卒業以来の対面を楽しみにしていました。
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戸島園恵さんは、呉羽高等学校音楽コース、桐朋学園大学音楽学部演奏学科を卒業。
その後ドイツへ渡り、マンハイム音楽大学、同大学院を卒業(2013年)。各オーケストラとも共演を重ねる。第24回富山県新人演奏会にて、県知事賞並びに北日本新聞音楽奨励賞受賞。第39回パルマ・ドーロ国際ピアノコンクール(イタリア)第2位(1位なし)、第3回カラーリオ国際ピアノコンクール(イタリア)第3位、ニース国際ピアノコンクール(フランス)第3位受賞。これまでに、大坪亮子、川島伸達、ローベルト・ベンツ各氏に師事。
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この細身の体から、どうしてこんな力強いベートーベンの曲が飛び出てくるのか不思議なほど。 彼女のピアノから溢れる強い空気と風を体で感じた十数分でした。

生演奏以上のオーディオの音、というべきか、オーディオとは比較にならない生の演奏の素晴らしさ・・・と言うべきか、・・・実際の私の感想は・・目を閉じていたら、オーディオなのか生演奏なのか区別がつかない・・というものでした(-_-;) いや、どちらも素晴らしい! 確かにここでCDを聴いたら、自分のステレオプレーヤーでなんて聴けないだろう!
かとうさんのこの音へのこだわりは、この1,2年でいくつかの新聞、TV、雑誌にインタビューを受け、とりあげられた。
下は、5月に朝日新聞富山版に載った記事である。
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ハーンの松江でF中学同窓会?

2016/10/01 22:43
9月17日(土)のこと。夜明けからの激しい雨の音で目が覚めて、・・・結局その雨は止みそうもなく、新幹線日帰りで信州の母のところへ行くという昨日の決心を諦めざるを得なかった。晴れていたら市電で駅まで行くのだが、このどしゃぶりでは市電の停留所へ行くまでにずぶ濡れだろう。その日は送ってくれる家人がいなかった。

というわけで午前中は、今月はもう母のところへは行けないだろうと悶々としながらfacebookを見ていると・・・
昔F中の生徒だったK・T君の投稿が入った。

 [K・T] 
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大雨の影響で新見とかいうT山県にもありそうな田舎駅で2時間足止め食らっている件について。車体に施された「ゆったりやくも」の文字がもうそういう意味にしか見えない(笑)

ん? やくも?松江市?そういえば昨日のFBには彼のこんな投稿が。 
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電車の旅スタート。本読んだり寝たりスマホ触ったりぼーっとしたり。乗り換えあるけど21時頃までこの状態。幸せ。

K・Tくんは結婚1年の新婚なのに一人でえっちらと電車で松江に?出張??
なんとなく寂寥としていた私は、思わずこんなコメントを入れた。

大変ですね(-_-;) 松江へは「特急やくも」ですか。松江はアメリカ人ラフカディオ・ハーン小泉八雲が英語教師として最初に赴任した地、妻のセツさんと結婚したのも松江です。ぜひ八雲の住居を訪問してくださいね。(富山八雲会会員より)

するとこんな返信がK・T君から返ってきた。

 おおお、それは知らなかった!ぜひ行ってみたい。けど、ちょっと時間的余裕が無さげです。(でもこれを機に小泉八雲にもう少し目を向けてみます。)


しかしその1時間後、再び投稿されたK・T君の返信は何とこの写真!!
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彼は小泉八雲住居、小泉八雲記念館に行ってくれたのだった。写真は次々とアップされた。
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そして彼のコメントに・・・私のコメントがチャット式に始まった。

 小泉八雲、俄然興味が出てきました。(東大教師として)夏目漱石の前任だったんですね。漱石の夢十夜や坊っちゃんは八雲の影響を受けているとか。
そもそも出雲神話に興味を覚え島根に来た、ていうのがなるほどという感じでした。


  とうとう行ってくださったんですね! ありがとうございます。素敵な写真です。実は富山の八雲会員はみな行ったことがあるのに私はまだ行ったことないのです!

 先生、足運ばれたことなかったんですか笑
何気に時間があり、松江駅からわりと近かったのでサクッとタクシーで移動していま見てきたところです。
記念館も旧家も、規模は小さいですがなかなか良かったですよ。
八雲の本、読んだことがなくて。次に読む本は、彼の著作のどれかにします。まずは怪談系ですかね。


 八雲についてさすがKくん、要点を調べてくれました。 そうなんです、八雲は夏目漱石と深い関係があるばかりでなく、松江、熊本の旧制高校で英語教師をしていたとき、そして最後に東大で教壇に立った時、のちに日本のリーダーともなる高名な人たちを教えました。富山出身の愛弟子がいて、それが富山大学にある八雲の蔵書ヘルン文庫の由来となりました〜〜。八雲について関心を持って頂き嬉しいです。富山八雲会の会長中尾哲雄さんは学生時代ヘルン文庫で八雲の本をたくさん読んで現在の自分があるとおっしゃっています。  とにかくありがとう、嬉しいです!

 松江の尋常小学校で教鞭をとっていたようですが、この学校は現在の松江北高校で、この高校、(今はどうか分かりませんが自分が高校の頃)合唱部が強くて、その演奏が好きだったために、(それだけのことですが、)おお、となりました。
熊本では生徒たちや教師陣の気質の違いに驚いていたようですね。
影響を受けた人に志賀直哉や柳田國男なんかもいるとか。(っていうことなんかも記念館には詳しく記してあって、作品を読んだことの無い自分でも楽しめました。)


 八雲は単に「怪談」の作者だと思っていたら、実はもともとジャーナリストで、民俗学者で、英語教師でもあり、そう哲学者と言っていいほど。東大で八雲のあとの授業を夏目漱石が受け継いだ時、学生たちが八雲の授業を慕って、漱石の授業は理屈ばかり、と不評、漱石は嘆いたそうです。八雲の著書は沢山ありますよ。
 富山大学のヘルン文庫(5F)には八雲の全蔵書2500冊とともに沢山の八雲研究書や関係本があります。
ヘルン文庫は富山県の知の財産と言われています。なぜヘルン文庫が富山(旧制富山高校)に来たか、というのもドラマチックですよ。ではこのへんで。

この時、もう一人F中の卒業生Y・N君の投稿が入って来た。

 羽田経由で松江へ。羽田から先は天候調査中、、、飛びますように。

えっ、なんで同じ日にあんな遠くの松江にF中の元生徒が偶然にも・・・。あ、そうだ、このY・N君とK・T君は同学年・・・!とひらめいた時、O・R君のスレッドが入る!

 きっと飛ぶと思う!!遠路はるばるありがとうね!

ああ、そうだったの。今日はO・R君の結婚式だったのだ・・・と気付き、「O君におめでとうと伝えて下さい」とK君との会話の中に書き入れるとに、挙式を待機中O・R君のスレッドが入った

 先生、大変ありがとうございます。ぜひまた、きちんとご報告されてください。八雲と松江、そして富山の縁は、私にとっても意義深いものです。いつか、お話を伺う機会があれば嬉しいです

あれあれ、今日はFacebook上で嬉しいF中同窓会となった。八雲の住んだ松江に私も集合気分。

そして、この直後、O・R君は、「3年も前の話ですが、地元地方紙にリレーコラムを書くときには、八雲の話をさせていただきました。」と八雲を引き合いに出した朝日新聞のコラムを送信してくれた。さすが、八雲と富山の関係をしっかり知っていてくれたO・R君。
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思いがけず、FB上でO・R君とも再会を果たし、しかもここでも八雲が絆を。さらに思いがけず、飛行機経由で松江に向かったN・Y君が私たちのやり取りを見て、さらなる八雲取材をしてをFBに投稿してくれた。彼もO君の結婚式の帰りに八雲記念館を訪れたのだ・・
[N・Y] 
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小泉八雲記念館と旧居へ。
小泉八雲 ラフカディオ・ハーンといえば、富山大学ヘルン文庫、そして中学時代の国語のF先生による”耳なし芳一”の話が思い出される。
日本の伝承を、外国人(帰化したけれど)が集め、日本で海外で広まったことは興味深い。視力の障害があるが故に研ぎ澄まされる他の感覚、そして、なおさら”口伝の物語”がクローズアップされたのか。

ハーンがニューヨークやニューオーリンズにいたこともあり、3年前に訪れたニューヨーク、6月に学会で訪れたニューオーリンズ、となにかしらのご縁を感じてしまうのは思い込みかもしれないけれど。
ハーンだけでなく、本居宣長、ルース・ベネディクト、和辻哲郎、ドナルド・キーンを読み返そうと思う、雨の松江でした。

松江藩は松本城を治めていた松平直政が移封され、幕末まで松平家が治めていたところ。3月まで松本にいたせいか、ハーンのこともあり、俄然親近感が湧いてきました。町の大きさや文化的背景も松本に近いものを感じます。次は神話巡りもかねて松江・出雲を訪れたい。いまから帰途へ。

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八雲会に入る若者はほとんどおらず、会員平均年齢60歳? 今時、大学生はラフカディオ・ハーンと言っても小泉八雲と言っても両方の名前を知らない者ばかり(-_-;) 地元の小学校へ呼ばれてハーンの紙芝居をやりに行ってもそこの若い男性教師がハーンを知らなかった(-_-;) あのー、富山県人なら知ってよね、と思うが、それに比べ、この元F中生徒たちはどうだろう。

例え初めはほとんど関心がなかったにしても、私の呼びかけ(正直期待していなかったのに)に応えてその旧居に足を運んで短い時間に八雲も学んでくれた。あるいは文学医師?としてやっぱり記念館に足を向け八雲に思いを馳せたN・Y君。

松江に住んだO・R君は、富山に暮らした高校時代までにヘルン文庫のことを知っていたのか疑問だが、今は立派に富山の小泉八雲を意識して活躍しているのだ。ここまで八雲に関心を向けた32歳の若者たちに出会ったことがない!! さすがF中学卒業生!(^_^.) 3人はT大学の幼稚園・小学校・中学校で12年間共に過ごした。(O君とNくんは富山高校でも一緒ったので15年間!)
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ハーンも松江で小泉セツと結婚しました O・Rくん、おめでとう、お幸せに・・・。
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『強父論』 阿川佐和子著

2016/09/15 00:16
忙し過ぎたからか、活字を辿るエネルギーが失せたのか、春以来本から遠ざかった日々をおくっていた先日、「知的」友人と本屋に入った。 彼女はお目当ての雑誌(なぜか『Will』という右傾?雑誌 (笑))を買うと、私が「これ面白そうよ、FBでも盛んに宣伝していたわ」と指差した新刊書をさっととって代金を払うと、「あなたが先に読んで」と私の手にむりやり持たせた。というわけで読んだ本・・・
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それが『強父論』阿川佐和子(文芸春秋)2016年7月31日発行 1300円 

今、読んでるヒマないんだけどな、と思いつつ、いつものbedside reading で興味を憶えながらもゆっくりページをめくりはじめる。
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      強父 とはもちろん阿川佐和子の父阿川弘之である

阿川佐和子も阿川弘之も名前は充分知っているが、父親の弘之のほうは、月刊『文芸春秋』でよく記事を見かける人だと思っていたがその経歴などよく知らなかった。Wikipedia で調べると、評論家だと思っていたら作家であり、数々の高名な文学賞を受賞し、なんと1999年には文化勲章も受賞し、学士院会員だった。1920年(大正9年) - 2015年(平成27年)で、昨年94歳で死去した。 

なんか右翼に近いかたと敬遠していたが、陸軍を嫌い海軍に入ったというし、戦後、文学の師と仰ぎ師事したのは志賀直哉で、『強父論』にも出てくるが、遠藤周作、北杜夫、吉行淳之介などと仲良しだったのは意外だった。

そんな立派な方の、これは娘が書いた家庭内伝記であるが、読み始めてびっくり。 抱腹絶倒というのではないが、こんなことを書いていいのかな、と読んでいるほうがビビるような父親を描いている。 阿川佐和子はエッセイも沢山書いており、ずっと前に壇ふみとの共著『ああ言えばこう食う』だけ読んだことがあるが、最近ベストセラーだった『聞く力』は読んでなかったけど、確かに読み始めたら止まらない。今回の本のオモシロさは、仰天の父親像と共に、彼女の飾り気のない気取らない性格?とマイナスも臆せず暴露する文章の快感だ。何故か驚異と悲哀の場面にも明るさとユーモアが漂っている。

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それでは、いったいどんな仰天の父親像か?というと、「瞬間湯沸かし器」というあだ名通り、ただただ驚くばかりの短気で自己中心?の勝手な論理で、目の中に入れても痛くないはずの一人娘佐和子にも唖然とするような厳しい罵声を浴びせる! (ちなみに佐和子には兄と、年の離れた二人の弟がおり、兄は国際法専門の慶応大教授阿川淳之)

娘にもそうだが、妻(佐和子の母)はまるで奴隷のようにひたすら夫のご機嫌を伺いながら、「でも・・」とちょっとでも反論らしき言葉を発すると、怒りはさらにエスカレートし、車を停めて「お前はここで降りろ!!」と夜の車外へ放り出して走り去る。車の中の幼い佐和子は置き去りにされた母が心配で不憫でならないが、翌朝朝食の用意をしている母を見て心から胸をなでおろす・・。
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父は51歳の時に生まれた末っ子の弟には優しくて怒ったことはない。弟は生涯「二回」だけ怒られた、と思い出を語る。佐和子は「私は生涯二回だけ優しくされた」と回想・・。

とにかく不思議なほど言いたい放題のめちゃくちゃの父親だった。ああ、それにしっかり耐えて子供をグレさせずに立派に育てた母親はなんと偉い人だったんだろう・・と感心するばかり。
このような阿川弘之氏を知ってみると、私の父や夫の短気むちゃくちゃなんてぜんぜ〜〜〜ん大したことない、とつくづく思った。

そうだ、先日も、何気ないことでいらいらし始めて怒りはじめた短気な夫に「復讐!!」というツブヤキをした友人E子さんにこの本を早く紹介してやろう。
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晩年の3年間は病院生活だった阿川氏。こんな暴君父親の暴露本だったが、もちろんいくつかのエピソードの中に、彼女にも家族にも心底には尊敬と敬愛の愛情が流れているのを行間に感じるのである。

楽しい本を読んだが、今年はこんな本も楽しんだのだった。
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全部頂いたものである。感謝!(いや、右端のは・・・楽しんだとは言えないかもしれないが(笑)
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気がつけば葉月も終わり

2016/08/25 22:13
まだ猛暑真っ最中。 時々あちこちで台風に見舞われながらも暑い「夏」は続行中。学校スケジュールとは2年前におさらばしたので、「夏休み」なんて私にはもう関係ないけれど、8月もあと数日ともなると学生時代の、学校勤務時代のあの緊張と憂鬱が甦って来る。

それにしても、今年の夏は何をしたのかしら・・・・ただただただ忙しく、心理的に緊張し、プレッシャーにつきまとわれながら2か月が過ぎていった。いや、6月初めから3か月か・・。
同窓会の総会、八雲会の総会、思いがけない親戚の急逝という不幸・・・などなど・・と身近に慶弔が慌ただしく続き・・・お蔭様で食欲も減って2キロの減量(-_-;( ^)o(^ ))。

 市立図書館「キラリ」の5Fの録音室に閉じこもった時間は、7月半ばから1日2時間として延べ20日間40時間。
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ちょうど1年の音訳仕事の70%ほどがたまたま一度に当たってしまった。7月17日から31日までの14日分朝日新聞『天声人語』を録音しデジタル編集するのは、3年目の私には孤独でプレッシャーだった・・・。
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何度読んでもうまくいかない・・・。口中音が入るし、一定の調子が出ない。全部録音し終わり、第一回の校正(音の校正は耳から聞いて)では、今までの人生で標準語アクセントだと信じて使っていたいくつかの語が・・そうではなかった、という衝撃的発見に打ちのめされ、自信喪失。
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ようやく、それをクリアしたと思ったら、エッセイ3編の朗読が・・・。お盆の中で暇がなく、締切の三日前に3つ分の朗読をするというのはあまりに暴挙だった。 ただ今なお校正を待って、仕事続行中。

新米の私にはあまりに時間と労力がかかるから、つい友人のMさんにぼやくと「貴女が好きで選んだことでしょ」とにべもない(-_-;)

 忙しい中にも夏ならではの出会いの楽しさもあり〜〜
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                  お盆直前の長野で
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       東京からフレンチブルドッグのワンちゃんもやってきた
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               I love Shinsyu....Coco
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                帰省していた従兄弟たちと再会

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                    大阪からお客様〜〜富山を観光
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                    雨晴海岸・・立山は予想通り見えず
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                 お馴染み水墨美術館

 最も懐かしい再会
その1) Canadaから3年半ぶりの Joshuaさん一家! 楽しみにしていました。ALTでとっても楽しい英語授業のパートナーをしてくれたJoshuaさん! Jasminはもう3歳でした。前はお腹の中のbaby だったのに。
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           奥さまのHanaちゃんとCalebくん
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その2) 3年ぶり?4年ぶり? T校の留学生だったHくん、Mくん・・・と再会。Mくんの可愛らしいwife も何とmy studentだった・・・かわいいbabyにも会えて、本当に心温まるひとときでした。彼らの律義さと誠実さにはいつも感動です。そして率直な意見を控えめにもしっかり述べる姿勢には、こちらも思わず真剣に向き合ってしまいます。
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                回転寿司で Thank you for this nice opportunity!
        
                       
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Casablanca 10周年

2016/07/24 23:20
今日、7月24日。 このブログCasablanca in the Valley は10年前の今日始まった(ことを数日前に気がつきました)。
10周年だからこのaniversary 忘れないように一人で祝おう・・・なんて。

すると何と、朝PCを開けて Casablanca in the Valley を出してみると Top page アクセスがちょうど55555と並んだ! 10年目の記念日に私のアクセスが55555人目となったのでした

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          右上に確かに並んだ 00055555 の貴重な?数字 
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2006年、ブログがスタートした日の記事はこんなのだった。 何だかblog 素人の不可解なつぶやきが・・。

「紆余曲折ありましたが今日から始めます」 2006年7月24日(月) 
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Blogって噂通り簡単に出来てしまうもの,ということを発見しました。2,3日前,何だかもの淋しく,珍しくすることのない夜,友のBlogを読みながら,ちょっと出来心でクリックしているうち,何と My Blog 第一号が出来てしまいました。
ところが,悦に入りながら,ある部分を修正しようとしていると,何と別の第2号のBlogが出来てしまい驚きました。 それなら,と第2号は外国人のお友達向けに,と思い,英語版で書くことにしました。
翌日,友人のカナダ人の友にのみ,メールでその存在を知らせました。 彼は日本語も堪能なので,第1号の日本語版Blogも送ってくれとメールの返事が来ました。

で,第1号のBlogを開けて見ると,存在はするけれど,次の記事が書き込めなくなっていることを発見。初歩的なミス(無知)かも知れないけど,1つのサ−バーでは1つのBlogサービスしか受けられないようでした。
それで,今日パソコンに凝っている88歳の義父に Blogのテキストを借りました。
そこに様々なサーバーがあることを発見した結果,容量が大きいという点からこの『ウェヴリブログ』を選びました。 ・・・・中略・・・・
  と,今日はブログ作成顛末記でした。 作ったことは作ったのですが,仕事が休みのこの夏休み限定版となるでしょう。

   
    
このわけわからぬ記事?をスタートに10年も続いてしまったCasablannca.....。そうだ、ブログのタイトルを付けなくてはいけない、ということで、深くも考えず周りを見回したら、その頃見たDVD『Casablanca カサブランカ』が目に入って、結局ありふれた美名 Casablanca in the Valley と付けてしまった。あの映画のハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンも素敵だったし。

最近は月に1度の更新もままならぬ怠慢さだが、それでも10年もの間には、過去帳?をめくって数えてみると、542日分の記事を書いたことになる・・(-_-;)(-_-;) 

すると夕方、知人からメールが入りました。何とこのブログに関することでした。
何だか今日のアニバサリーにふさわしいメールでした・・。

 「御茶の水駅、催涙ガス」で検索したら、なんと、カサブンカに出会いました。
 聖橋の上での機動隊(起動隊となっていましたが、)と学生の衝突に遭遇されたのは、昭和の何年何月のことですか。 1969年、1970年?」


「御茶の水駅、催涙ガス」でヒットするのは2006年11月のブログでした。2006年とは、10年目にふさわしい記事でした。 初期のブログ記事、写真も少しで素朴です(-_-;)。今日の日を記念して掲載し1人懐かしむことにしました。2006年と、そして1969年を。

「東京 その3」  2006年11月4日
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                 お茶の水橋から聖橋を臨む

先週末の学会では,昔なつかしい母校の他にもう1箇所タイムトラベルした。
お茶の水駅から医科歯科側に出て,お茶の水橋を渡る。 30年前と全く様変わりした東京であるが,この橋とそこから見下ろした神田川(外堀)は今もあの頃と同じ風采をしている。下を走る中央線の電車も昔のままのオレンジだ。

ここに立つととてもなつかしい故郷のような感覚が甦った。なぜ?,としばし考える。 そうだ,とにかくこの橋を私はいつも渡っていたのだ・・。 大学1,2年のときは,杉並から中央線で大学に通い,この橋を渡り地下鉄に乗り換えた。3,4年の時は大学のまん前に住んでいたから毎日この橋を渡ることはなかったけれど,週末親戚の家に泊りこみ家庭教師に行くときここを通った。 そして卒業してからの3年間は市谷の勤め先の学校へ,この橋をわたって地下鉄からJRに乗り換えた。

学生時代,この駅のまん前に『丘』という喫茶店があり,クラブ活動のときや後に男子学生たちとミーティングした。 (当然のことながら今『丘』は見当たらなかった。)
忘れられない思い出は,あの学生運動たけなわの時代,学生と起動隊がこの橋の上でぶつかりあっている現場に遭遇したときのこと。学生は火炎瓶や鉄棒,機動隊はジュラルミンの盾と,警棒。テレビのニュースで見ている分には恐怖などほとんど感じないが,催涙ガスと火炎瓶の臭いの中で頭から血を流した学生を追いかける機動隊を目の前にすると,鳥肌が立ち体ががくがく震えた。

橋から電車の去って行く神田方向を見ると,「聖橋」がこれも変わらぬ知性的姿を現している。
「湯島の聖堂」「湯島天神」・・という 歴史的学問 の地ということで,自分は勤勉な大学生ではないのに,この橋を渡る時だけ気分は神聖な学問の徒となった。





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山下先生と森田高先生〜梅雨時の講演 

2016/07/17 16:48
 1) 浄土真宗 永代経の講話〜〜親戚のお寺の行事〜〜7月2日

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               立山町米道の善入寺

浄土真宗の盛んな北陸のお寺の行事。夏は永代経、秋は報恩講。永代経は報恩講よりもちょっぴり規模が小さく、他のお寺の住職がたは来られません。 朝からお寺に門徒さんが集まります。
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       午前中は住職の法話を聞きました
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朝から台所ではお手伝いの私たちが昼の食膳の用意して食事の部屋に並べます。
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    皆さんが手作りのお食事を「美味しい」と言って食べてくださる

さて、午後は第U部の講話、元校長先生/元美術館長等の山下富雄先生江戸時代から善入寺の境内で盆踊りとして歌われ踊られている「おけま」についてお話。今年は趣向を変えて、午後の「法話」は「講話」となりました。
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     「おけま」についてジョークを交え熱演する山下先生
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「おけま」とは「おけさ」の意味。佐渡、そして日本海側において、河川に沿って似た歌詞の民謡「おけさ」が歌われてきました。何故同じ歌詞、曲のおけさ(おけま)が新潟、富山、富山の奥地南砺市のほうまで歌われてきたのか・・・その秘密は江戸時代、日本海側を航行した北前船にありました。おじいさん、おばあさんたちが熱心に耳を傾けました〜〜〜!


 2)大学同窓会のミニ講演 「生命を守る政治の役割・・参議院議員6年を振り返って」 医師・前参議院議員森田高氏
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                      なぜか 剱岳・・・
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6月27日(日)、今年も高志の国文学館にて同窓会の総会。前参議院議員で医師の森田高先生より支部総会に先立ち、「生命を守る為の政治の役割」と題して講演をしていただいた。医師としての専門性と現場経験を背景に、総務大臣政務官として数々の政策、例えば東北メディカルメガバンク、各地域における医療情報通信政策実証事業に携わられた経験などを伺った。
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         筑波大医学部を卒業、泌尿器科研修に入って15年・・・
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   40歳で・・なぜかこんなことに・・・(笑) 現役を破って当選
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   持ち前のガッツ、全身全霊をかけて国政に取り組む
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初当選の1年生議員だったにも拘わらず、その専門性や持ち前の能力故に重要なポストを与えられ、存分に燃焼した6年間だった。予定通り1期で辞して医療の世界に戻って早6年がたつ。 この7月より「医師免許を頂いて25年目、漸く郷土に着地しました」と富山県に戻って来られたとか。

その博識と、「地頭の良さ」と爽やかな弁舌、頭の回転、(政治的思想は必ずしも一致しないけど・笑)多岐にわたる趣味の世界でも、何事にも真剣に全力で取り組む姿勢にはいつも感服している。その彼の素質とキャラクターが存分に伝わった講演だった。
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      講演が終わって何人かが質問とコメントを

[ 森田高氏プロフィール]
1967年(昭和42年)7月22日生 48歳
富山大学附属小学校、附属中学校、富山高等学校理数科 筑波大学医学部
趣味 スキー(1級)、将棋(3段) ハンドボール(大学)  (競馬 / 麻雀 ←冗談)   登山(日本登山医学会認定登山医)  立山ガイド協会医療アドバイザー、 NPO法人あわすのスキー場ドクターパトロール
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厳しい課題と修行をクリアしてめでたくもこの講演の3日前の認定日付が!
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森田先生の趣味の世界 スキーと登山 この冬も30日滑って生涯の友・剱岳にも早くも2回登る (2016年5月 剱岳八つ峰) 
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エベレストへの道 〜芦峅寺での講演

2016/07/03 21:45
 講演『エベレストに挑む』〜立山ガイド・佐伯知彦さん(立山町芦峅寺)
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先月 知彦さんが登ったヒマラヤ Mt.MearPeak(メラピーク)6、654m(知彦さん撮影)
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             佐伯知彦さん 38歳  5月初め

非特定営利活動法人「立山エベレスト友好協会」の28年度総会が6月12日(日)立山町芦峅寺のふるさと交流館で開かれ、立山ガイドの四代目平蔵佐伯知彦さんが、昨年挑戦して高原病という思わぬアクシデントにあい断念したエベレストだったが、今年再度ヒマラヤの高峰に挑戦した経験を中心にお話された。真っ黒に焼けた山男知彦さんのヒマラヤ体験を共有・・・。
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立山エベレスト協会総会でスライドを見ながら元気にヒマラヤのお話をする知彦さん(芦峅寺・ふるさと交流館)

ネパールのメラピーク、一度は行きたいヒマラヤ6000m峰と、知彦さんは、登山家の先輩、シェルパさん、ポーターなど6人チームで、高度障害に注意しながら行動(去年まさかの高原病で撤退したので)、ネパールの首都カトマンズを出発して11日目、5月7日自己最高峰記録の山頂に立った。
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                   メラピーク登頂!  2016年5月7日
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           先日 Mt.MearPeakの『登頂証明書』が届きましたそうです。

日本の北アルプス立山連峰の登り口である立山町の芦峅寺と、ヒマラヤ連峰の登山口であるネパールのクムジュン村(3790m)は姉妹都市となり25年、互いの町や小学校を訪問交流してきた。知彦さんも芦峅寺小学校の6年生の時第1回目のクムジュン村訪問団で参加したとか。ヒマラヤの本ものの山々を目の前に見て、立山ガイドとして祖先から受け継いだ稼業を継ぎ、四代目平蔵を名乗る知彦さん。立山ガイドとしてNHKの山の番組に出たりされている。
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        芦峅寺とネパール、クムジュンの繋がり(スライド)
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                    今も残る地震で倒壊した家
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「カトマンドゥで 髪切りました。ネパールで、今 流行の“イケてる感じにして下さい!!”と注文(笑)」←知彦さん談 自己最高峰記録を達成しカトマンズで髪をカット?(知彦さんのFacebookより)

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       共にメラピークへの苦難と闘った仲間(知彦さんのFBより)
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天上の楽園・・・今年2016年4月の「ヨーロッパ・ヒマラヤスキーの旅」より(FB)

 佐伯知彦さんのエべレストへの夢 
私は、現在エベレスト登山に挑戦しています。具体的には2018年5月を目標に計画しています。世界一の頂きへの挑戦と、富山県人第一号登頂者というおまけつきです。なんと、意外にも富山県出身者でエベレスト登頂した人はまだいないらしく、その座も狙っていきたいと思っています。
しかし、私の登山経験での最高峰は約6500m。8848mへまだ、2000m以上も足りません。・・・・・
(特定非営利活動法人立山エベレスト友好協会 会報 14号 2016年6月12日発行より)

さて総会も行われ今年度の事業計画も発表され、あとは芦峅寺の方々の山菜手料理を頂き山の話に花が咲く。
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すす竹の天ぷら、ゼンマイ、ワラビ、ヨシナ、何と美味しい山の料理。 そこに佐伯友彦さんという70代後半の有名な立山ガイドのベテラン が来ていらしたので、さっそく隣りでお話を伺った。佐伯友彦さんは、30年前にNHKで放送された立山ガイド、立山山岳警備隊のドキュメンタリー番組『プロジェクトX』に実名で出ていらしたかただ。のちに漫画にもなったのも読んだ。友彦さんは亡くなられた髭の三笠宮殿下を剱岳登頂へガイドしたそうだし、また有名な父の文蔵さんは、新田次郎を剱岳山頂に案内したという、私の興味深々のお話を聞けた。

 >[知彦さん情報追記]  今、立山(雄山)は県内の小学生の登山学習が始まった。
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  7月12日 雄山登山の小学生を案内する知彦さん 雄山頂上で(facebookより)
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