加山雄三さん・・と私
息子との話題の中で、「加山雄三」の名前が出てきた。
え?加山雄三? 何から話していいかわからないくらいよ、何でも聞いて。
まず、去年の暮れに、夫が見ていたBSプレミアムの加山雄三のトーク&音楽番組を、たまたま途中からだったけど見ていると、改めて、ああ、やっぱり何て素敵な人なんだろう、って思った。それで脇にあったカメラでパチパチとテレビ画面を撮ってしまった。
武田鉄矢とのトークショーで自作の歌を歌う
ゲストの星由里子さんと このお二人はね、(もう)50年前・・
彼の大ヒット映画“若大将シリーズ”の名コンビだった・・二人とも若くて素敵だったな~~
そして彼はシンガーソングライターの草分け・・ピアノを弾ける男性にヨワイな~
両親が俳優・女優の加山雄三は、大学を卒業して芸能界にデビューした。あの若大将シリーズはちょうど私の中高時代。中学生は出入りを禁じられていた映画館へこっそり観に行ったっけ。そう、石原裕次郎の時もそうだった。若さ・湘南の海・学生、というキーワードで、二人には何か共通したところがあったような。ピアノ教室で一緒だった隣りの中学の友達と「結婚するなら加山雄三みたいな人」と誓ったものだが、私の結婚式に彼女がスピーチして、「きっとご主人は加山雄三さんみたいな方だろうと思います」なんて言ってた。その結婚式は私の里のほうだけでお嫁に行く人を送り出す「身立ての式」と呼ばれているもので花婿は出席してなかったからそんなこと言えたのだ。
ほら、まだしっかり持っている彼のエッセイ(光文社) 左1985年出版 右1981年出版
そして子育て中の私を捕らえたのは、『君といつまでも』(光文社)という彼の子育て&家庭エッセイだった。 ちょうど大阪に住んでいたとき。 二人の子どもの子育てでフーフー言ってた頃、このかつての若大将が、ほとんど年子の4人の子ども達の夜中のおむつも替え、どんなに遅く帰っても、朝はきちんと家族そろって朝食をとる、という。私は夫婦分業と思っていたから夫にそうして欲しいとは思ってもいなかったが、あのかっこいい人気俳優のこういう父親の姿に衝撃を受けた!今では私の周りの甥たちはみな自然体で一生懸命オムツを替えているのを見かけるが。
妻で元女優の松本めぐみさんと
とにかく・・・このエピソードが全てを物語るにしても、もう内容は全て忘れてしまったので、今もう1度この手元のエッセイを開いてみると、・・・とんでもない見出しが次々と飛び込んでくる。こちらが照れてしまうような言葉が・・。
たとえば, 1. 妻への愛が子育ての基本だ
妻と一球一魂の交わり・・・
超自然現象による、妻との運命的引き合わせ・・・・
夫が協力的であれば、妻は子だくさんをいとわない・・・
女房は毎日くどくもの・・・
ぼくが浮気を絶対しない理由・・・
子育てに熱中している妻は美しい・・・
・・・・etc・・ 『この愛いつまでも』目次より
これは書き出しとして刺激的な言葉であり過ぎるが、2章以降は父親としての日常が、普通なら照れて出せない言葉、内容も、さらりと天真爛漫に書いてあるところが、「太陽」の男、加山さんらしい。
2.父親の信念こそ子育ての条件
3.子育てにはいかなる労苦も存在しない
4.機関車のように家族を引っ張って走る
この著書の中にも多少書いてあったと思うが、彼は、若大将シリーズで華やかな時代を飾ったあと、身内の事業の倒産で何億もの借金を背負ったり、またスキー場でキャタピラーの下敷きになり重症を負ったり、と不運の大きさも人並みではなかったが、それを乗り越える強さと努力があったことは私の脳裏に刻まれている。スキー場の怪我では、顔を何針も縫う大手術をしたが、麻酔をすると俳優として大きな傷跡を残す恐れがあると聞いて、麻酔なしで絶句の痛みに耐えた、と言う記事を読んだことも記憶に深く残っている。
そしてコンサートに行ったこともほとんど映画も観に行ったことがない「ファン」であるが、メディアから知る彼の種々の才能には驚きと尊敬を持っていた。シンガーソングライターとして、数々のヒットを生み、自ら演奏するピアノやギター。
父親の上原謙に捧げるというオーケストラの曲も作曲した、と聞いて唸るばかり。『この愛いつまでも』にも、彼が幼い日の思い出を書いていた。その頃私は、たまたま「天才」とは・・と考えめぐらしていた時だったが、この彼の思い出を、頼まれていたある音楽会のプログラムのエッセイに書いたことがある。
[わがエッセイ]
前略・・・10年前のあの頃、たまたま、俳優であり、交響曲の作曲もする加山雄三さんの随筆を読んだ。小学4年生だった彼は、近所の家からいつも聞こえてくるピアノの音色に魅せられて、その家の外に佇むようになる。ある時、その家に突然招き入れられると、彼の目の前でピアノの主が弾き始めた。実はこれが高名なショパン奏者レオニード・クロイツァーだったのだそうだが、その演奏の素晴らしさに圧倒され、涙が止まらなかった、という。
4年生の男の子のこの感動―。その後の加山さんの音楽活動など考えると、やはり神から与えられた「天性」というものを感じる。音楽に限らず、天才とは深く感動する魂を持ち合わせた人、ではないかと感じ入ったものである。・・・・・後略 富山テレビ主催クラシックコンサートプログラム (1991年1月15日)より
音楽とそしてスポーツ。 海男の水泳は聞かなくても得意なのはわかるが、彼はなんと高校生の時、神奈川代表で国体のスキー選手として出場したのだそうだ・・・。
またあるとき、テレビのインタビューで、趣味として汽車や電車の模型を作ること、と熱く語っていたのを忘れない。教科としても数学や物理が大好きだったのだそうだ。
そういえば、『この愛いつまでも』の中にも、こんな見出しが・・。
挫折と戦う父親の姿を子に見せる
物理学を趣味とするように育てたい
息子の高校数学の質問にさらりと答えたい
・・・・
ちょっとムムム・・になってくるかな?でも彼の才能は限りがない・・・。
電車の模型を手に
ところで「加山雄三」といえば必ず思い出すことがある。
二十余年前、緊張して第二の勤労生活を始めたとき、そこの高校の英語科の主任の先生が、何のはずみか、飲み会で恥ずかしそうに、また誇らしげにこう言われた。
「実は、皆さん、私は加山雄三と同じ年なんですよー」その時、私はとんでもない激しい悲鳴をあげてしまった。いえ、私だけではなかったと思うが・・。
「え~~~~~~っ!!!!!!うっそ~~~~!!!」
だって・・・・今考えると、目の前におられる先生は、50歳くらいの御年だったと思うが、加山雄三など絶対に想像できない、メガネの、真面目で地味で静かな・・・額がすごーく広い先生だったから。
(余談だが、 7、8年ほど前に、大学院の某U教授が、「ぼくは郷ひろみと同い年なんだ」と授業中に言われた。私はなんと、またもや、いえ、私だけでなくみんな、え~~~~~~~!!っと叫んでしまったのだった。)
○○と同じ年、と公表する狙いはナンなんだろう・・・・。 この頃物忘れが激しい私だが、そういうショックは絶対忘れない。
え?加山雄三? 何から話していいかわからないくらいよ、何でも聞いて。
まず、去年の暮れに、夫が見ていたBSプレミアムの加山雄三のトーク&音楽番組を、たまたま途中からだったけど見ていると、改めて、ああ、やっぱり何て素敵な人なんだろう、って思った。それで脇にあったカメラでパチパチとテレビ画面を撮ってしまった。
武田鉄矢とのトークショーで自作の歌を歌う
ゲストの星由里子さんと このお二人はね、(もう)50年前・・
彼の大ヒット映画“若大将シリーズ”の名コンビだった・・二人とも若くて素敵だったな~~
そして彼はシンガーソングライターの草分け・・ピアノを弾ける男性にヨワイな~
両親が俳優・女優の加山雄三は、大学を卒業して芸能界にデビューした。あの若大将シリーズはちょうど私の中高時代。中学生は出入りを禁じられていた映画館へこっそり観に行ったっけ。そう、石原裕次郎の時もそうだった。若さ・湘南の海・学生、というキーワードで、二人には何か共通したところがあったような。ピアノ教室で一緒だった隣りの中学の友達と「結婚するなら加山雄三みたいな人」と誓ったものだが、私の結婚式に彼女がスピーチして、「きっとご主人は加山雄三さんみたいな方だろうと思います」なんて言ってた。その結婚式は私の里のほうだけでお嫁に行く人を送り出す「身立ての式」と呼ばれているもので花婿は出席してなかったからそんなこと言えたのだ。
ほら、まだしっかり持っている彼のエッセイ(光文社) 左1985年出版 右1981年出版
そして子育て中の私を捕らえたのは、『君といつまでも』(光文社)という彼の子育て&家庭エッセイだった。 ちょうど大阪に住んでいたとき。 二人の子どもの子育てでフーフー言ってた頃、このかつての若大将が、ほとんど年子の4人の子ども達の夜中のおむつも替え、どんなに遅く帰っても、朝はきちんと家族そろって朝食をとる、という。私は夫婦分業と思っていたから夫にそうして欲しいとは思ってもいなかったが、あのかっこいい人気俳優のこういう父親の姿に衝撃を受けた!今では私の周りの甥たちはみな自然体で一生懸命オムツを替えているのを見かけるが。
妻で元女優の松本めぐみさんと
とにかく・・・このエピソードが全てを物語るにしても、もう内容は全て忘れてしまったので、今もう1度この手元のエッセイを開いてみると、・・・とんでもない見出しが次々と飛び込んでくる。こちらが照れてしまうような言葉が・・。
たとえば, 1. 妻への愛が子育ての基本だ
妻と一球一魂の交わり・・・
超自然現象による、妻との運命的引き合わせ・・・・
夫が協力的であれば、妻は子だくさんをいとわない・・・
女房は毎日くどくもの・・・
ぼくが浮気を絶対しない理由・・・
子育てに熱中している妻は美しい・・・
・・・・etc・・ 『この愛いつまでも』目次より
これは書き出しとして刺激的な言葉であり過ぎるが、2章以降は父親としての日常が、普通なら照れて出せない言葉、内容も、さらりと天真爛漫に書いてあるところが、「太陽」の男、加山さんらしい。
2.父親の信念こそ子育ての条件
3.子育てにはいかなる労苦も存在しない
4.機関車のように家族を引っ張って走る
この著書の中にも多少書いてあったと思うが、彼は、若大将シリーズで華やかな時代を飾ったあと、身内の事業の倒産で何億もの借金を背負ったり、またスキー場でキャタピラーの下敷きになり重症を負ったり、と不運の大きさも人並みではなかったが、それを乗り越える強さと努力があったことは私の脳裏に刻まれている。スキー場の怪我では、顔を何針も縫う大手術をしたが、麻酔をすると俳優として大きな傷跡を残す恐れがあると聞いて、麻酔なしで絶句の痛みに耐えた、と言う記事を読んだことも記憶に深く残っている。
そしてコンサートに行ったこともほとんど映画も観に行ったことがない「ファン」であるが、メディアから知る彼の種々の才能には驚きと尊敬を持っていた。シンガーソングライターとして、数々のヒットを生み、自ら演奏するピアノやギター。
父親の上原謙に捧げるというオーケストラの曲も作曲した、と聞いて唸るばかり。『この愛いつまでも』にも、彼が幼い日の思い出を書いていた。その頃私は、たまたま「天才」とは・・と考えめぐらしていた時だったが、この彼の思い出を、頼まれていたある音楽会のプログラムのエッセイに書いたことがある。
[わがエッセイ]前略・・・10年前のあの頃、たまたま、俳優であり、交響曲の作曲もする加山雄三さんの随筆を読んだ。小学4年生だった彼は、近所の家からいつも聞こえてくるピアノの音色に魅せられて、その家の外に佇むようになる。ある時、その家に突然招き入れられると、彼の目の前でピアノの主が弾き始めた。実はこれが高名なショパン奏者レオニード・クロイツァーだったのだそうだが、その演奏の素晴らしさに圧倒され、涙が止まらなかった、という。
4年生の男の子のこの感動―。その後の加山さんの音楽活動など考えると、やはり神から与えられた「天性」というものを感じる。音楽に限らず、天才とは深く感動する魂を持ち合わせた人、ではないかと感じ入ったものである。・・・・・後略 富山テレビ主催クラシックコンサートプログラム (1991年1月15日)より

音楽とそしてスポーツ。 海男の水泳は聞かなくても得意なのはわかるが、彼はなんと高校生の時、神奈川代表で国体のスキー選手として出場したのだそうだ・・・。
またあるとき、テレビのインタビューで、趣味として汽車や電車の模型を作ること、と熱く語っていたのを忘れない。教科としても数学や物理が大好きだったのだそうだ。
そういえば、『この愛いつまでも』の中にも、こんな見出しが・・。
挫折と戦う父親の姿を子に見せる
物理学を趣味とするように育てたい
息子の高校数学の質問にさらりと答えたい
・・・・
ちょっとムムム・・になってくるかな?でも彼の才能は限りがない・・・。
電車の模型を手に
ところで「加山雄三」といえば必ず思い出すことがある。二十余年前、緊張して第二の勤労生活を始めたとき、そこの高校の英語科の主任の先生が、何のはずみか、飲み会で恥ずかしそうに、また誇らしげにこう言われた。
「実は、皆さん、私は加山雄三と同じ年なんですよー」その時、私はとんでもない激しい悲鳴をあげてしまった。いえ、私だけではなかったと思うが・・。
「え~~~~~~っ!!!!!!うっそ~~~~!!!」
だって・・・・今考えると、目の前におられる先生は、50歳くらいの御年だったと思うが、加山雄三など絶対に想像できない、メガネの、真面目で地味で静かな・・・額がすごーく広い先生だったから。
(余談だが、 7、8年ほど前に、大学院の某U教授が、「ぼくは郷ひろみと同い年なんだ」と授業中に言われた。私はなんと、またもや、いえ、私だけでなくみんな、え~~~~~~~!!っと叫んでしまったのだった。)
○○と同じ年、と公表する狙いはナンなんだろう・・・・。 この頃物忘れが激しい私だが、そういうショックは絶対忘れない。





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