榊祭り ・・・信州の夏その1
お盆の終わりごろ、実家の佐久市へ帰省2泊。
榊(さかき)祭り
8月15日に故郷望月の古くからあるお祭り榊祭りは、私の原風景。江戸時代の記録から、室町時代には誕生していたとか。 松明(たいまつ)山で火をつけた松明を持った若者たちが山から駆け下りて旧中山道を走り、望月の街を流れる千曲川の支流鹿曲(かくま)川にかかる「望月橋」からいっせいに松明を川に投げ落とすと、榊祭りがスタートする。
花火とともに松明山山頂に火が灯され、若者たちのもつ松明が、列をなして山の尾根を伝って山から駆け下りてくる光景を、下の街からみなで見上げて眺めるのはなかなか素敵だ。やがて鹿曲川の望月橋(これがまた古くからの望月のシンボルの橋)に到着すると、もう1つ下流の橋や堤防に集まった見物人の前でいっせいに松明を川に投げ落とす。 すると上の写真のようになるのだが、今回はこれに間に合わず写真が撮れなかった。
榊祭りはこの界隈では有名で、軽井沢に避暑に来ている有名政治家のだれそれかがこっそり見に来ていることも言われた。信州の「奇祭」と呼ばれているとか、私の実家とはもう1つ離れているのだが、幼いころ、父に背負われて、この後に行われる獅子舞の獅子に怖がって泣いた覚えがある。
旧中山道の街道沿いの商店街には延々と屋台が並ぶ
昔、中学生の頃、ちょっと突っ張っていた?私は、こんな街の群集の中を肩で風を切って歩いたものだ。ひと夏のアバンチュールやスリルを楽しんだりして? いやいや、とんでもない、そんな気分を楽しんだだけで、この祭りが終わると夏が終わり、長野県では17日、18日頃から2学期が始まるのだ。
宿場町からの古い旅館「山城屋」 若くして逝った高校時代の友の家
町の商工会前では「望月小唄」の歌と演奏が
望月小唄
私しゃ信州 ヤレ 望月の生まれ
山家(やまが)育ちでも実がある
ヤンレ スッチョコ ションガイナ
ヤレコレ スッチョコ ションガイナ
「望月小唄」は昭和3年に作られた新民謡。長野県出身の作曲家中山新平によって作曲され、望月町に古くから伝わる伝説や名所名跡が唄い込まれている。この歌と踊りは、県歌「信濃の国」とともに私たち望月で生まれた者の血肉になって口から流れて出てくる。
三味線演奏者の中にはいつも元望月町長の吉川透さんがおられます
吉川さんは、もともと東京出身。東京教育大学時代はセツルメントで活躍されてギターや歌がお上手で、卒業して何故かセツルメントの仲間だったお茶大出身の奥様とともに、こんな辺鄙な?望月町役場に就職されたのだ。教育委員会で、封建的な町民や町の体制を相手に時には格闘もされたことだろうが、素敵な笑顔と気さくな人柄で若者に愛されよく頑張って、ついに町長にまで選ばれた。彼が望月町に与えた影響は大きいものと思う。元東大学長の吉川弘之氏はお兄さんである。
「望月小唄」の民謡流し
「望月小唄」流しもグループに分かれていて、団体名が書かれたプラカードにそれぞれの衣装を着た踊りが続く。これは昔はなかったことで、あちこちの日本の有名祭りを見習ったのかな。「望月日赤病院」「浅間総合病院」「佐久総合病院」など、佐久市に併合された影響か団体名も広がっている。
おっ!見かけた二人!
やがて「望月小唄」流しが終わると、獅子舞とともに、いよいよ大きな榊の木を立てた神輿が4つ登場し、練り歩きながら街中でぶつかり合う。怖いもの見たさで群集は近づき離れつそのぶつかりクライマックスを見物する。
榊神輿と榊神輿のぶつかり合い
このあと街はしばらく神輿の練り行列と獅子舞、屋台で10時過ぎまでにぎやか。私にとって20年ぶりの榊祭りだった。
榊(さかき)祭り8月15日に故郷望月の古くからあるお祭り榊祭りは、私の原風景。江戸時代の記録から、室町時代には誕生していたとか。 松明(たいまつ)山で火をつけた松明を持った若者たちが山から駆け下りて旧中山道を走り、望月の街を流れる千曲川の支流鹿曲(かくま)川にかかる「望月橋」からいっせいに松明を川に投げ落とすと、榊祭りがスタートする。
花火とともに松明山山頂に火が灯され、若者たちのもつ松明が、列をなして山の尾根を伝って山から駆け下りてくる光景を、下の街からみなで見上げて眺めるのはなかなか素敵だ。やがて鹿曲川の望月橋(これがまた古くからの望月のシンボルの橋)に到着すると、もう1つ下流の橋や堤防に集まった見物人の前でいっせいに松明を川に投げ落とす。 すると上の写真のようになるのだが、今回はこれに間に合わず写真が撮れなかった。
榊祭りはこの界隈では有名で、軽井沢に避暑に来ている有名政治家のだれそれかがこっそり見に来ていることも言われた。信州の「奇祭」と呼ばれているとか、私の実家とはもう1つ離れているのだが、幼いころ、父に背負われて、この後に行われる獅子舞の獅子に怖がって泣いた覚えがある。
旧中山道の街道沿いの商店街には延々と屋台が並ぶ
昔、中学生の頃、ちょっと突っ張っていた?私は、こんな街の群集の中を肩で風を切って歩いたものだ。ひと夏のアバンチュールやスリルを楽しんだりして? いやいや、とんでもない、そんな気分を楽しんだだけで、この祭りが終わると夏が終わり、長野県では17日、18日頃から2学期が始まるのだ。
宿場町からの古い旅館「山城屋」 若くして逝った高校時代の友の家
町の商工会前では「望月小唄」の歌と演奏が
望月小唄私しゃ信州 ヤレ 望月の生まれ
山家(やまが)育ちでも実がある
ヤンレ スッチョコ ションガイナ
ヤレコレ スッチョコ ションガイナ
「望月小唄」は昭和3年に作られた新民謡。長野県出身の作曲家中山新平によって作曲され、望月町に古くから伝わる伝説や名所名跡が唄い込まれている。この歌と踊りは、県歌「信濃の国」とともに私たち望月で生まれた者の血肉になって口から流れて出てくる。
三味線演奏者の中にはいつも元望月町長の吉川透さんがおられます
吉川さんは、もともと東京出身。東京教育大学時代はセツルメントで活躍されてギターや歌がお上手で、卒業して何故かセツルメントの仲間だったお茶大出身の奥様とともに、こんな辺鄙な?望月町役場に就職されたのだ。教育委員会で、封建的な町民や町の体制を相手に時には格闘もされたことだろうが、素敵な笑顔と気さくな人柄で若者に愛されよく頑張って、ついに町長にまで選ばれた。彼が望月町に与えた影響は大きいものと思う。元東大学長の吉川弘之氏はお兄さんである。
「望月小唄」の民謡流し
「望月小唄」流しもグループに分かれていて、団体名が書かれたプラカードにそれぞれの衣装を着た踊りが続く。これは昔はなかったことで、あちこちの日本の有名祭りを見習ったのかな。「望月日赤病院」「浅間総合病院」「佐久総合病院」など、佐久市に併合された影響か団体名も広がっている。
おっ!見かけた二人!
やがて「望月小唄」流しが終わると、獅子舞とともに、いよいよ大きな榊の木を立てた神輿が4つ登場し、練り歩きながら街中でぶつかり合う。怖いもの見たさで群集は近づき離れつそのぶつかりクライマックスを見物する。
榊神輿と榊神輿のぶつかり合い
このあと街はしばらく神輿の練り行列と獅子舞、屋台で10時過ぎまでにぎやか。私にとって20年ぶりの榊祭りだった。
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