『剱岳 点の記』と浮田家(重要文化財)
撮影終わった岩峅寺駅 「富山駅」の看板が..
4月末に東京へ帰ったロケ隊は、5月7日に岩峅寺駅での3度目の撮影。今回は日本山岳会の小島烏水(仲村トオルさん)ほかX名が富山駅に見立てた岩峅寺駅に到着する場面とか。撮影は朝から行なわれたが私は午前中仕事のため涙をのんだが、終わって何とか超特急でかけつけると、やはり監督さんや俳優さんは引き上げた直後だった。でも先に到着していたパートナーと共にカメラマンのかたたちとお話も出来てよかった・・・。いつも情報をくれる駅員さんは当日も3回目のエキストラ、明治の駅員さんになったと、嬉しそうに話していた。
浮田家表門
6月は江戸時代の由緒ある豪農「浮田家」を借りて撮影が行なわれるという。昨日、授業の帰宅途中、立ち寄ってみた。数年前に1度門のところまで来たことがある。浮田家は江戸時代初期、元禄6年(1693年)加賀藩から山廻り役を命じられた家柄で、山林の取締りと立山・黒部の国境監視に当たった。「文政10年(1827年)三千石の代官に任ぜられ、翌11年にこの家が建てられました。大百姓としての家がまえだけでなく、山廻りの役所もかね備えた家の構造が珍しいです。」とHPで紹介されている。
http://www.igasho.com/ukitake.htm#top
初夏の日差しの中で、新緑の柔らかい木々の若芽がさわやかな5月の風にそよいでいた。木々の緑とわらぶき屋根の茶色のコントラストが美しかった。
表門や母屋のわらぶき屋根も、陰陽の影をつくりながら風にそよぐ庭の草木も、車の喧騒から逃れ落ち着いた佇まいをかもし出している。独りで庭に立ってみた。 来月ロケ隊はここをどこに見立てて撮影するのだろう。実は富山市の広報で浮田家での撮影エキストラ70人を募集していた! 3,4人の知人がこれを見て私にビッグニュースとばかり電話してくれた。この映画に出るのは生涯の思い出となるだろうが・・・「お姫様の役じゃないといやよ」と思っているから無理だ。 いや、心残りはあるがやっぱり映画出演はハズカシイ!!
ちなみに、小説の作者新田次郎のご子息である藤原正彦氏の美人奥様と3人のハンサムご子息は犬山市の明治村で行なわれたロケに出演されたそうである。
実は木々の緑を眺めながら、来月の撮影のことと、もう1つ思いを馳せていたことがあった。
ここはF中学の生徒だった「浮田君」の家だった。正確に言えばこの家は昭和57年に県に譲渡したことになっているが、彼は「ぼくが小さいときまだおばあちゃんがあの家に住んでいたんですよ」とかわいらしいくりくりした目で言ってた。どうしているのかな、彼は。ご両親の後を継いでT大へ進んだと聞いている。なつかしい学生服姿の彼が木陰からぱっと出てきそうな気がした。古き家はいずこも、そこに住んだいにしえの人間模様への想像をかき立てる。
4月末に東京へ帰ったロケ隊は、5月7日に岩峅寺駅での3度目の撮影。今回は日本山岳会の小島烏水(仲村トオルさん)ほかX名が富山駅に見立てた岩峅寺駅に到着する場面とか。撮影は朝から行なわれたが私は午前中仕事のため涙をのんだが、終わって何とか超特急でかけつけると、やはり監督さんや俳優さんは引き上げた直後だった。でも先に到着していたパートナーと共にカメラマンのかたたちとお話も出来てよかった・・・。いつも情報をくれる駅員さんは当日も3回目のエキストラ、明治の駅員さんになったと、嬉しそうに話していた。
浮田家表門
6月は江戸時代の由緒ある豪農「浮田家」を借りて撮影が行なわれるという。昨日、授業の帰宅途中、立ち寄ってみた。数年前に1度門のところまで来たことがある。浮田家は江戸時代初期、元禄6年(1693年)加賀藩から山廻り役を命じられた家柄で、山林の取締りと立山・黒部の国境監視に当たった。「文政10年(1827年)三千石の代官に任ぜられ、翌11年にこの家が建てられました。大百姓としての家がまえだけでなく、山廻りの役所もかね備えた家の構造が珍しいです。」とHPで紹介されている。
http://www.igasho.com/ukitake.htm#top
初夏の日差しの中で、新緑の柔らかい木々の若芽がさわやかな5月の風にそよいでいた。木々の緑とわらぶき屋根の茶色のコントラストが美しかった。
表門や母屋のわらぶき屋根も、陰陽の影をつくりながら風にそよぐ庭の草木も、車の喧騒から逃れ落ち着いた佇まいをかもし出している。独りで庭に立ってみた。 来月ロケ隊はここをどこに見立てて撮影するのだろう。実は富山市の広報で浮田家での撮影エキストラ70人を募集していた! 3,4人の知人がこれを見て私にビッグニュースとばかり電話してくれた。この映画に出るのは生涯の思い出となるだろうが・・・「お姫様の役じゃないといやよ」と思っているから無理だ。 いや、心残りはあるがやっぱり映画出演はハズカシイ!!
ちなみに、小説の作者新田次郎のご子息である藤原正彦氏の美人奥様と3人のハンサムご子息は犬山市の明治村で行なわれたロケに出演されたそうである。
実は木々の緑を眺めながら、来月の撮影のことと、もう1つ思いを馳せていたことがあった。
ここはF中学の生徒だった「浮田君」の家だった。正確に言えばこの家は昭和57年に県に譲渡したことになっているが、彼は「ぼくが小さいときまだおばあちゃんがあの家に住んでいたんですよ」とかわいらしいくりくりした目で言ってた。どうしているのかな、彼は。ご両親の後を継いでT大へ進んだと聞いている。なつかしい学生服姿の彼が木陰からぱっと出てきそうな気がした。古き家はいずこも、そこに住んだいにしえの人間模様への想像をかき立てる。
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