‘富山の八雲’ブラウネル の日本(富山)見聞録
今日の北日本新聞一面トップはこの記事でした! びっくり。
富山八雲会 ブラウネル著『日本の心』翻訳本刊行へ
小泉八雲は明治23年(1890)、40歳でアメリカより来日し、明治37年(1904)に54歳で亡くなるまでに、日本を愛し、その観察力と洞察力で数々の日本見聞録を著作し、日本を世界に紹介した。
一方 ブラウネルは・・・・ 右上の男性か左下の男性がブラウネルと思われる
・・と、ずっと不明でしたが、先週あるかたの発見で左下の男性がブラウネルだと判明しました
クラレンス・ラドロウ・ブラウネル(Clarence Ludlow Brownell 1864~1927)は、1864年米国に生まれ、ハーバード大学やスティーブンス工科大学などで学んだ。1886年(明治19年)、22歳で日本にやって来て、5年間滞在した。
この間、東京専門学校(現 早稲田大学)、富山県立尋常中学校(現 県立富山高校)、福井県立尋常中学校(現 県立藤島高校)で英語教師として教壇に立ち、明治24年(1891)に帰国した。また滞在中に、英米の雑誌や新聞に日本に関する記事を投稿し、帰国後は新聞記者や講演者として活躍、またロンドン大英博物館の東洋分野で働いた期間もある。八雲とは同世代、しかもちょうど八雲と入れ替わりに帰国したことになる。
帰国後ブラウネルは、日本に滞在した5年間の見聞録を、‘The Heart of Japan' としてロンドンで出版した。これは、20代のアメリカの青年が、明治時代中期の日本での見聞をもとに、体験談や聞き書きなど多様なスタイルで綴ったもので、 37章のうちの8章は富山について書かれており、明治期の富山の史実と重なる部分は興味深い。
1902年にロンドンで発刊されて以来、今なおロンドン、ニューヨークで出版を続け、アマゾン・コムで手に入れることができる。出版された当時1904年は日露戦争勝利による日本への関心の高まりから、日本関係の書籍では、八雲の『神国日本』に次ぐ人気を博したと言われている。
現在、NY、ロンドンの数社から出版されている 「The Heart of Japan 日本の心」 これはロンドン版
Heart of Japan の挿入写真
同じく挿入写真
富山八雲会の前事務局長であった富山国際大学の故・高成玲子教授は、かなり早い時期にブラウネルの富山での存在と著書を発見し、八雲についての研究や発表の傍ら、2000年ごろからブラウネルのこの著書を「日本の心」のタイトルで翻訳を進めてきた。しかし、3年前の3月末、癌のため63歳で逝去されたので、先生の遺志をくんで、副会長の木下先生を中心に八雲会の有志約10名が、高成先生があらかた訳された36章の原稿を、分担を決めて翻訳文の検討をしてきた。
2010年8月『日本の心』翻訳検討合宿
八雲会夏の翻訳検討合宿とブラウネルについて:
http://marilyn-m.at.webry.info/201008/article_8.html
そして昨年8月に実際の大きさやイメージで試作本が出来上がった(表紙や挿絵はまだ)
木下先生が多大な時間と労力を費やして、全員で何度もやった検討の結果をさらにまとめ、また幾多の歴史的資料を調べ、注釈も入れられた。 その出来上がりのイメージのように試作本も完成、さらに挿絵も近々出来上がる。
特に富山の方々が読んで楽しんでくださることが何よりもの願い
北日本新聞の記事(Webun)
http://webun.jp/news/A100/knpnews/20130104/72931
富山八雲会 ブラウネル著『日本の心』翻訳本刊行へ
小泉八雲は明治23年(1890)、40歳でアメリカより来日し、明治37年(1904)に54歳で亡くなるまでに、日本を愛し、その観察力と洞察力で数々の日本見聞録を著作し、日本を世界に紹介した。
一方 ブラウネルは・・・・ 右上の男性か左下の男性がブラウネルと思われる
・・と、ずっと不明でしたが、先週あるかたの発見で左下の男性がブラウネルだと判明しました

クラレンス・ラドロウ・ブラウネル(Clarence Ludlow Brownell 1864~1927)は、1864年米国に生まれ、ハーバード大学やスティーブンス工科大学などで学んだ。1886年(明治19年)、22歳で日本にやって来て、5年間滞在した。
この間、東京専門学校(現 早稲田大学)、富山県立尋常中学校(現 県立富山高校)、福井県立尋常中学校(現 県立藤島高校)で英語教師として教壇に立ち、明治24年(1891)に帰国した。また滞在中に、英米の雑誌や新聞に日本に関する記事を投稿し、帰国後は新聞記者や講演者として活躍、またロンドン大英博物館の東洋分野で働いた期間もある。八雲とは同世代、しかもちょうど八雲と入れ替わりに帰国したことになる。
帰国後ブラウネルは、日本に滞在した5年間の見聞録を、‘The Heart of Japan' としてロンドンで出版した。これは、20代のアメリカの青年が、明治時代中期の日本での見聞をもとに、体験談や聞き書きなど多様なスタイルで綴ったもので、 37章のうちの8章は富山について書かれており、明治期の富山の史実と重なる部分は興味深い。
1902年にロンドンで発刊されて以来、今なおロンドン、ニューヨークで出版を続け、アマゾン・コムで手に入れることができる。出版された当時1904年は日露戦争勝利による日本への関心の高まりから、日本関係の書籍では、八雲の『神国日本』に次ぐ人気を博したと言われている。
現在、NY、ロンドンの数社から出版されている 「The Heart of Japan 日本の心」 これはロンドン版
Heart of Japan の挿入写真
同じく挿入写真
富山八雲会の前事務局長であった富山国際大学の故・高成玲子教授は、かなり早い時期にブラウネルの富山での存在と著書を発見し、八雲についての研究や発表の傍ら、2000年ごろからブラウネルのこの著書を「日本の心」のタイトルで翻訳を進めてきた。しかし、3年前の3月末、癌のため63歳で逝去されたので、先生の遺志をくんで、副会長の木下先生を中心に八雲会の有志約10名が、高成先生があらかた訳された36章の原稿を、分担を決めて翻訳文の検討をしてきた。
2010年8月『日本の心』翻訳検討合宿
八雲会夏の翻訳検討合宿とブラウネルについて:
http://marilyn-m.at.webry.info/201008/article_8.html
そして昨年8月に実際の大きさやイメージで試作本が出来上がった(表紙や挿絵はまだ)
木下先生が多大な時間と労力を費やして、全員で何度もやった検討の結果をさらにまとめ、また幾多の歴史的資料を調べ、注釈も入れられた。 その出来上がりのイメージのように試作本も完成、さらに挿絵も近々出来上がる。
特に富山の方々が読んで楽しんでくださることが何よりもの願い

北日本新聞の記事(Webun)
http://webun.jp/news/A100/knpnews/20130104/72931
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