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CASABLANCA in the Valley

プロフィール

ブログ名
CASABLANCA in the Valley
ブログ紹介
今年は雨の多い日だこと・・・と思っていたが、気がつくともう北陸特有の晩秋の驟雨気候ではないか・・・

今日も朝から雨・・・さんざん落ちまくったあの朴ノ木の葉も2,3日前にみごとに枝木となってしまった・・・

雨の合間に外に出てみると散り始めたモミジが最後の力を振り絞って、見てくれよと手を拡げていた
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晩秋の里山life を訪ねて

2017/11/21 21:09
北陸の初冬は毎日雨に見舞われます。先週末も雨に始まり雨に終わりました。
先日の芦屋とはまた180度異なった、けれど同じように個性で確立した里山の住家を訪ねました。
射水市の山里にあるこのお家の屋号は『One's Way それぞれのあたりまえ』というのだそうです。そこの住人はわが大学の同窓Mさんとそのご主人。 今回ちょうどこのご夫妻が開く里山ライフを紹介するイベントがあるというのでお知らせ頂きました。

1人では人見知りし、また方向音痴の私は、ようやくもう一人の同行者が現れてくれて、天の中を、往きは高速にのって、同行者は別の車で、予想通りそれぞれが少々彷徨いながら霧雨に霞むお家に到達しました。
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この橋的通路の先に玄関が・・橋を渡ると別世界がありそう・・・
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 ご夫妻で出迎えて下さった玄関を入るとまずはこんな室内が目の前に
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     なんと言ってもこの広い窓の向こうにに見える秋の色
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         近郊の作家さんたちの作品が窓際に並ぶ

広い窓の外、二方向に見下ろす紅葉の庭が雨に煙ってロマンチックな眺め・・・・普通の家ではめったに見られない貴重な光景。 そして窓の外から内を振り返ると・・・
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              部屋の中心はこの薪ストーブの偉大な存在!
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ご主人がせっせと里山から得た太い薪を燃やして部屋は隅々まで暖かく

単に建築や環境への趣味というのではなく、この素敵なお家にはM夫妻の強いこだわりと生き方がつまっていることを、ご夫妻のHP One's Way それぞれのあたりまえ を奥まで読んで知りました。
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          http://www.ne.jp/asahi/ones/way/ 
  One's Way HPより
One’s Way[ワンズウェイ]は我家の屋号です。
天野一男さん設計のもと、宮田邦彦さんに建てていただいた家。Leaf’s[リイフス]の柿谷美穂子さんのデザインで施工していただいた庭。bue–due[ブーエドゥーエ]の中村和生さんに作っていただいた家具など、多くのヒトの知恵と技術が詰まった空間がOne’s Wayです。

なぜ、One’s Way[ワンズウェイ]なのか。
My Way, Our Way, Your Way, His way, Her Way, Its Way, Their Way…, そのヒトらしさ、そのモノらしさを大切にしたいという想いを込めて、屋号をOne’s Wayとしました。

One’s Way[ワンズウェイ]に期待すること。
One’s Wayがヒトやモノとが交差する場であることを願っています。そして、One’s Wayで交差したヒトやモノとに化学反応が起こり、新たな価値が創造されれば本望です。たとえ化学反応が起こらなくても、移ろう景色、小鳥のさえずり、頬をなでる風、木々が放つ香り、淹れたて珈琲の味…、お越しいただいた方それぞれにOne’s Wayを楽しんでいただければ嬉しいです。

美味しい豆から挽いたコーヒを、高岡のレストラン製作のイチジクブレッドと美味しく頂き、さらに2階も案内して頂きました。
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2階の書斎にはご主人のアイデンティティ?の自転車が壁に。 自然の生活では欠かせない自転車でもある
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      2階から見下ろす風景がすてき 
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               2階から玄関を見下ろして

このお家をここに作るまでのお二人の並々ならぬ努力とこだわりを知り、そこまで価値観と生き方と目標を共有できるなんて・・・・改めてお二人を思い浮かべて感じ入ってしまいました。

 
One’s Way HPから入れるブログにはこの暮らしへの長年の過程が書かれています。    http://onesway.asablo.jp/blog/ 
 ヘンリー・デイヴィッド・ソローをこよなく愛す私たちが、里山暮らしを始めて丸16年が経ちました。結婚直後から土地探しに5年、構想を練りながら新築資金を蓄えるのに5年、計10年を費やし、21世紀の開始と同時に念願の薪ストーブが似合う場所に家を構えることができました。
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ところで、この不思議な・・・そうワンダーランドのような不思議なway of life 訪問もギタリストの方のギターの音色で幕を閉じました。この時までに、訪問者の間に新たな出会いが生まれたり、これも不思議なひとときでありました。雨に叩かれる紅葉の木々とベランダを見つめながらギターの曲が体に染み入るのを感じました。
最後の曲は 中川イサトというギタリストの有名な曲「1310 イサト」であることを教えて頂きました。

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芦屋の日差しの下で

2017/11/15 00:09
11月10日、いつも慌ただしく行って帰る大阪だが、今回は1日延ばして芦屋に住む友人を訪ねた。
あまり新しい地や知人の家をを訪ねるのは精神的に得意ではない私(ホントウです)、今回は思い切って「行動的になろう」と決心した!
兵庫県は神戸に数回、西宮に2回ほど行ったことがあるが、セレブで優雅との風評の「芦屋」は今回初めて
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車で行ったので最後にちょっと迷って1時間半もかかってしまったが、小春日和の日差しの下で芦屋らしい豪邸が並ぶ街並みを行くと(途中まで迎えに来てくれた友人と出会い、彼女の指示通りのオススメパン屋さんやジャーマンソーセージ店に寄ったあと)彼女のお住まいに到着。

あとは、一昨日書いた彼女へのメールで・・・・

さん、先日は楽しい夢のような訪問をさせて頂き本当にありがとうございました!
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びっくりするような、いかにも芦屋、そしていかにもさん、というお住まいでしたが、よく考えてみますと、さんらしい、想像通りの、エレガントで素敵なお家でした。
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暖かい秋の日差したっぷりの明るいお部屋。もう8年間もそこでお住まいされたのですね。
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楽しかったです! 富山へいらした時は、食欲も私とは隔たりがあり(-_-;)、何だかちょっぴり心配に思ったのでした・・が、芦屋でのさんはお元気そうで声も動作も弾んでおられました!富山では「緊張していた」って??
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絵画か映画のパンフレットになりそうなお部屋、さんのセンスでばっちり固めてあるのが印象的でk感心しました。それにしても、1点の無駄のない、見事に合理的に整頓されたお部屋・・・・。
全体的に原色から遠い、白とベージュ、グレーを基調とした落ち着いた色彩の品格ある室内装備は・・・まるで美術館!   (帰宅してから予想通り落差に落ちんこんだ私です(笑))
中学時代は建築家に、社会人時代は家具のデザイナーになろうと真剣に考えていたというお話も納得。
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テラスというかお庭はとても意外、広くて立体的で素敵でした。しかもその彼方に海!海が見える家なんて・・・
何だか私、まだ酔っているのかしら・・(笑) 

トーマス・ピケティのベストセラーをフランス語原書で読みディスカッションするという驚異のお話は2年前にお聞きしましたが、他の豊かな趣味の世界も見せて頂き溜息と感動。私の名前を書いたカリグラフィーの小作品ありがとうございました
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そんなカリグラフィーの現実を忘れる楽譜タッチの芸術に目を凝らしていましたら、「今、このテノール歌手にはまっているの」とCDから流れてきた曲は、私たちの知らない宮里直樹という芸大出身のオペラ歌手、素晴らしい声がお部屋に響きわたり、さんワールドの構成要素をまた1つ認識しました〜。
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原子力の話では同行者♪と盛り上がっていましたね(-_-;)
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11時に着いて気がつくと3時、あっという間の時間でした

昨日の帰り、京都市内に入ってしまい時間がかかり、結局普通より2時間もオーバーして6時間半かかって午後4時半に富山へ着きました。途中から大雨にもなりました。3泊家を空けたことはめったになく、でもとてもリッチな気分で帰宅しました。
そして今夜、夕食に芦屋のベーコンと茹でたポテトを炒めて頂きました。確かにとっても美味しかった〜!
頂いたパン、これも絶賛お薦めの通り、本当になんと美味しい味わいの深いパンだったことでしょう!もう1度絶対食べたい芦屋のブレッド!!・・・・・・
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公開セミナー(その2)〜 江利川春雄先生の講演

2017/10/28 00:23
午後1時30分から富山八雲会公開セミナー「英語世界への誘い」が始まった。

第T部は恒例の、英語と日本語によるハーンの作品手作り紙芝居上演。今回は「団子をなくしたおばあさん」を8名の会員で演じる。
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男性の方々は元高校の先生(校長先生)ばかり・・・化学、国語、英語、社会科など。なぜか先生がたは演技力抜群(笑) 紙芝居の世界に陥っておられる
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        こちらは英語と日本語のベテランナレーター! 

第U部 講演「英語教育におけるラフカディオ・ハーンと南日恒太郎」 江利川春雄先生
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   会場には南日のアルバムから抜粋した写真が・・・
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   実は講演前日、数時間かけて写真を並べ貼り付けた

思いついて、南日のお孫さんである松井副会長からばらばらに保存された写真をお借りして20枚ほど拡大コピーして貼り付けたパネル。写真には日付が記されていなかったので、年代と場所、人物名を突き止めるのに思いのほか時間がかかった。彼の年齢順に並べようとしたが、11人もの子どもがいたので、抱いている子が長男か次男か三男か・・・??(笑) それでようやく1つ画期的発見をした。恒太郎先生がヒゲを生やしたのは学習院時代からである。これで少し年代が解明された・・・(笑)
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 2時 江利川先生の講演が始まる  60枚のスライドと(参加者にはそのレジュメが)用意された

今日の講演は「英語教育におけるラフカディオ・ハーンと南日恒太郎」。 二人ともヘルン文庫のキー・パーソンである。大正時代の終わりに、ラフカデイオ・ハーンの蔵書を決死の覚悟で遺族から譲り受け、旧制富山高校にヘルン文庫として設置したのが、初代校長の南日恒太郎であるが、単に初代校長とかヘルン文庫誘致としての存在だけではなく、ハーンも恒太郎も日本の英語教育のキー・パーソンであった。・・・ということをお話して頂く。
ちなみに、私がfacebookにアップしたイベント案内では

[富山八雲会公開セミナーのお知らせ]
英語教科書や副読本でラフカデイォ・ハーンの「MUJINA(むじな)」や「耳なし芳一」「雪女」など読んであのフレーズを今も思い出しませんか?
長い間、ハーンの作品は日本の英語教育や入学試験に使われてきましたが、いつの間にか教科書から消えました。
英語教育史研究の第一人者・江利川春雄和歌山大教授が、ハーンと英語教育の関係、そしてハーンの蔵書を旧制富山高校に誘致した初代校長で、日本の英語教育、英語学の金字塔である南日恒太郎について講演します。  富山県の偉人・南日恒太郎についてはその学問的業績をぜひ知って頂きたいです。 


江利川先生に講演を依頼した背景には、先生の英語教育史に関係した貴重な著書がある。
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この著書の中には、教材として、また受験問題としてハーンの作品が明治以来、群を抜いて使われてきたことが興味深いデータで詳しく記されている。 また南日恒太郎は、後世の日本の英語学者や英語教育者、また実際に彼のテキスト、参考書を使って大学受験した多くの学生が絶賛する通り、「南日の前に南日なく、南日の後に南日はない」と言われるほど、学習としての英文法を確立し、読解参考書や辞書等を出版して、英語教育界を席巻したことにも多くのページを割いている。

江利川先生はこのような研究を踏まえて、この講演のために特に精力的に内容をまとめて下さり、60枚のスライドをパワーポイントで示しながら大変わかりやすく明快な言葉でお話され、1時間半just(これも凄い!)で終えられた。 
先生のスライドから抜粋。
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              スライド1〜3
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                    スライド12
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                スライド13〜14
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              スライド16
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                     スライド21〜22
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                   スライド23〜25      
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               スライド31

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            スライド44〜45
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スライド50 「英語青年」は南日恒太郎が1928年7月に急逝したあと11月号で『南日恒太郎追悼号』を出している。  恒太郎が大礼服(宮廷服)を着用しているのは、学習院教授時代高松宮様の御教育係を務めたからである

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             江利川先生のお話に耳を傾けます
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 講演1時間半が過ぎてぴったり3時半に修了されたことがスゴイ!!と。
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最後に、いきなりご指名あり講演の感想を述べる吉田先生。 さすが英語の元校長先生!

講演のあと、参加者は先生がはるばる持参された実際の資料本(南日の著書など)10冊余りを手に取って見たり、南日恒太郎の写真パネルを見て富山県が産んだ英語界の偉人に思いを馳せた。
そして会員10人ほどが江利川先生と同行された遠方からのゲストと研修室でお茶を飲みながら歓談した。

江利川先生はじめお二人の先生方が、富山での時間をとても楽しかったと喜んで下さったことは嬉しかった。

私は、その後のいくつかの私的行事が一段落した後、ずっと前から注目していた江利川先生の2冊の著書を買い求めた。読み始めてみると、予想以上に面白い、驚きの素晴らしい本だった! 改めて江利川先生に感嘆している。 先生はブログや英語教育の内外の活動でも、柔和で軽快なムードとは対照的に、ご自分の意見や考えをはっきりと表明される「快適な」かたである。
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       英語教育をこのような視点で研究したかたがいただろうか

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富山八雲会公開セミナー(その1) ヘルン文庫見学

2017/10/23 22:19
半年前から企画していた、秋の富山八雲会公開セミナーが終わった。講演をして頂く江利川春雄先生(和歌山大学教育学部教授)は、英語教育、英語教育史がご専門
演題は『英語教育におけるラフカディオ・ハーンと南日恒太郎』十数年の富山八雲会の講演で初めてのテーマである。
英語教科書の変遷や英語教育史に少しばかり興味のあった私が、英語教科書の定番だったハーンの作品MUJINAなどについて、八雲会の紀要に書く際、参考にしたのが、江利川先生の著書だった。もう5年ほど前のこと。
そんなことから、3年前に江利川先生に6月総会での講演の依頼をしたのだが、間際だったため実現せず、この秋に三度目のトライでようやく願いがかなった。
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           木下晶副会長製作の定番八雲会イベントチラシ 

英語教育の学会でお目にかかったことがあり、富山大での学会の時に講義もお聞きしたことがあるのだが、英語教育史の分野でのお話は初めて聞くことになる。 まずは、当日参加者が少ないと先生に申し訳ないし、富山でもセミナーの14日(土)はいろんなイベントがあるし、頼みの英語の先生方への呼びかけはいつもながらあまり当てにならないので、当日まではいろんなプレッシャーが・・・(笑)

前夜に富山入りされた江利川先生と、同行の英語教育史学会事務局長のK先生(広島県立大)、そしてもうお一人は江利川先生の講演を聞きたいと京都からいらしたM先生(同志社大)、ご希望で富山大学図書館にあるヘルン文庫を見学された。 
[ヘルン文庫]
ラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn, 1850〜1904の旧蔵書で、洋書2,069冊和漢書364冊及び「日本:一つの解明」(「神國日本」)の手書き原稿上下2冊1,200枚からなっています
洋書のうち1,350冊が英語719冊がフランス語の書物であり、これらの大部分はハーンが日本へ来てから集めたもののようですが、中には彼がアメリカのシンシナティやニューオリンズ滞在中、貧しい記者生活のなかから買い求めたと思われるものもあります。
和漢書はセツ夫人の説明を通して、ハーンの文学的創作の資料となったものであって、大半は木版刷りの和本です。このほか、南日文庫267冊及びハーンに関する研究文献約2,600点も所蔵しています。

図書館のヘルン文庫担当の松嶋さんが特別出勤されて9時に開館して下さり、人文学部でハーンとフランス語(文学)という新しい分野を研究されている中島淑恵教授も説明、案内をして下さり、またヘルン文庫の中には、南日(恒太郎)文庫、中土文庫(ハーンや南日など英語関係の書籍を戦前から出版してきた北星堂の中土社長の出版関係書)もあるのだが、中土文庫を親戚として寄贈された千田篤氏も来て下さった。お〜〜、富山はなんと皆さん積極的にご親切なんだろう〜〜。
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図書館脇、旧制富山高校の前身である人文学部前にある旧制富山高校初代校長南日恒太郎の胸像
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       図書館に着いてまずは南日恒太郎の銅像前で写真を

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人文学部のフランス語教授中島先生が説明される  ヘルン文庫でハーンのフランス語書籍を調査、研究されている先生をよくお見かけする

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「ハーンの洋書の半分はフランス語なんですよ」「ハーンとフランス語との関係の深さを感じますね」
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  ハーンの最後の直筆原稿『神国日本』もあります
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                    熱心に見入る先生方
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        このへんで記念写真を撮りましょう♪
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          閲覧室で松嶋さんの説明に耳を傾ける皆さま
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ヘルン文庫の充実した内容に感銘を受けられたという先生方、千田氏からは、中土文庫から発見された、生徒が書いたハーンの授業ノート『ラフカディオ・ハーンの英語授業』をお土産として贈られた。(2014年富山大学ヘルン文庫出版)
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ヘルン文庫の見学を終わり、まだ昼食の11時半まで小一時間あったので、富山運河環水公園へお連れした。
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あれが「世界一美しいスタバ」だそうでーす   今日は立山連峰が見えなくて残念
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    ここはハーンとも南日恒太郎とも関係ないんですが(-_-;)(笑)・・・
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会場の高志の国文学館内にあるベットラ・ダ・オチアイで会員の方々と昼食を
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                   松井副会長とM事務局長も
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                本日の主役 江利川春雄先生
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求む、名文

2017/10/02 23:08
8月半ば、「著者贈呈」で立派な本を送って頂いた。
昨年から順次発刊されているH先生の著作集第15巻『ハーンは何に救われたか』である。
どっさりと重さのある526ページの圧巻。 2012年に初めてH先生の講演をお聞きしてから5年間、著書や論文も読み、感想文(手紙)を何十通?も書く機会が降りかかり、お蔭様でアカデミックな世界を少しだけでも垣間見せて頂き、比較文学という存在も知った。
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ところが、3カ月ほど前に、著作集第8巻『進歩がまだ希望であった頃〜フランクリンと福沢諭吉』は購入したのだが、H先生からの、巻末の○○についての記事の感想を知らせて下さい、という課題はそのままになっていた。 著作集は先生の数十年の学究人生の集大成で既に発刊されたものであるが、前書きや後書き、巻末付録には新たに他の方々の批評文や対談記事なども付加されていた

今回贈って下さった第15巻は大いなる光栄の気持ちで拝受したが、前の感想と、そして頂いたからには今回の読後感も含めてお礼状を送らなければならないだろう・・・(-_-;)。というプレッシャーが、2冊の本を目の前に並べるとズッシーンと押し寄せてきた。 自分の頭脳の衰えと共に、知的体力的エネルギーも消失しつつある最近である。 が、86歳になられた先生はご自慢のいまだ黒々とした髪同様、中の頭脳も、何一つ曇りもない鮮明さで執筆活動をされている。2冊の著作集の、最近書かれたあとがきをちらっと読んだだけでも、文章の重みと輝きは変わることなく伝わってきた(-_-;)。

あれこれと雑事に追われる中、それでも2冊の本のあちこちを齧り読みし、何とか絞り出して手紙をしたためたのはもう8月の最後の日だった。 この「手紙書き」が確かに貴重な勉強になるのは認めるところ、実際、このような高度の内容は面白く、ちゃんと向き合って完読したら、わが知識の倉庫を何倍にも膨らませてくれるだろうと思った。それにしても、わが語彙の引き出しはみな錆びついていて思ったように開いてくれない。
そもそも何を書いたらいいのか? その見つけた個所をどのようにズームアップしてどんなふうに組み立てようか・・・((+_+))
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とにかく、数日のた打ち回ったあと自己満足にも至らない完成度ではあるが、8枚にも及んだ手紙を何とか封に入れ投函した。苦しんだのはわが想いを的確に表現できない貧しい語彙と表現力だ!
いつも忙しい忙しいと叫んでいる理由にはかなりこのような「手紙課題」があり、これは他人に言っても理解されない。


投函してこの8月31日の北日本新聞を開くと、先月末のとやま夏期大学、私も参加した木村大作監督の講演内容と翌日の立山散策ツァーの様子が一面を飾っていた。
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1か月前のことであるが懐かしく、講演の内容が書かれた記事を読んでいくと、木村監督の直感その場表現のトークも、この記事では、前後の話を組み合わせて、ちゃんとストーリーとなって読ませてくれる。その構成の力はさすが新聞記者さん、プロの技を感じた。木村監督の映画人生から、『剱岳・点の記』の映画への道のりや撮影秘話、そして今回撮影した『散り椿』のきっかけや思い入れ、映画への昔も今も変わらぬ情熱とこだわり・・。私にはとてもこのように簡潔にまとめられないだろう・・・。H先生への手紙内容を思い出しながら冷や汗が流れる。


そして翌9月1日の北日本新聞文芸らんには、8月下旬の第16回モナコ世界演劇祭での創作舞踊「カルミナ・ブラーナ」上演のレポート、感想が載っていた。富山を代表する可西舞踊研究所と劇団文芸座がモナコのサル・ガルニェ劇場で上演し、気迫に満ちたステージに観客は総立ちで拍手を送ったと報道されたのは新聞等で見た。
感想を寄せたのは、現地で鑑賞した県芸文協の吉田泉名誉会長。
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吉田名誉会長には2,3度お会いしたことがある。昨年東京学士会館で行われた東大比較文学主催の「佐伯彰一を偲ぶ会」にも富山勢として同じテーブルにおられた。
私はこのような舞踊芸術はほとんど鑑賞したことがないが、読み始めてその生き生きした新鮮な文章に引き込まれ大いなるインパクトを受けた。 陳腐な定型センテンスはなく、自分が感動したからこそ書ける美文が精彩を放っていたのだ。 さすが・・・。 以下は記事から抜粋・・
「カルミナ・ブラーナを見て」
 ・・・・それにしても、矛盾する表現を許してもらえるならば、何と言う生命力にあふれた「死」が観客の前 に展開していくことだろうか・・・・
…舞台上の躍動するダンスのスピードには追い切れない激しさがあった・・・
・・・チェコのイバンカ・クビツォバー先生の振付と演出は、カール・オルフの音楽の1音符をもないがしろにしない、徹底的な主張を踊りの中に込めていた・・・・
・・・日本女性にしか出せない優美さとたおやかさを表し出した・・・
・・・どんな「生」の行き着く先にも必ず「死」は待っている。可西晴香さんが渾身の力を振り絞って踊った「死神」はそれほどに説得力があった・・・

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

いつもは特に感じ入ることもない記事であり文章だったかもしれないが、H先生への「感想文」の産みの苦しみのあとだから応えたのかも知れない。
文章力衰退を自分の老化のせいにしているけれど、実は衰退ではなく本来のわが実力なのだとも思い、また最近長編の読書をしてないせいでもある、というのは反省している。
H先生はわが手紙を受け取り、すぐにまた大それた課題を与えてこられた。 それだけはもうすぐに、速達で丁重にお断りした・・・もうアカデミックライフ?は無理無理無理。(T_T)((+_+)) この頭では、生きるための諸々の社会的家庭的ノルマを果たすのでやっとなのだ・・・。
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羽田孜元首相・・・の思い出

2017/09/09 23:24
先月8月28日に羽田孜元首相が82歳で亡くなったことが報じられた。政界を引退し大分経っていたし、晩年は国会でも病気のため歩行も困難になっておられたので、その死は当然静かに報じられ受け止められた。
今日9月8日は民進党と羽田家の合同葬儀が報道された。
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羽田元首相は、1935年(昭和10年)8月24日生まれ、2017年8月28日、82歳で亡くなった。
衆議院議員(14期)、内閣総理大臣(第80代)、農林水産大臣(第9代、第12代)、大蔵大臣(第88代)、外務大臣(第121代)、新生党党首、太陽党党首、民政党代表、民主党幹事長、同党特別代表、同党最高顧問などを歴任。2012年(平成24年)に政界引退し、晩年は民進党長野県連名誉顧問を務めていた。

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 1994年(平成6年)新生党主として連立与党の内閣総理大臣に任命された
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             在任中話題になったクールビズスタイル

しかし、国会議員として華々しい経歴であったが、1994年(平成6年)4月に羽田内閣少数与党内閣として発足したが、わずか64日で現憲法下最短命の内閣で終わった。

羽田孜氏との思い出・・・羽田孜氏の父親は羽田武嗣郎 (ぶしろう)といってわが故郷長野2区から選出された衆議院議員、孜氏は父親の後継者として政界に入った。生まれは東京であるが、第二次大戦末期から数年、上田市に疎開して在住した・・ということだ。

羽田氏が衆議院選で、長野2区トップ得票で初当選し政界入りしたのは1969年(昭和44年)だった。
わが故郷は何か政治的雰囲気(といっても田舎的な・・)が漂っており、私の家は、遠い親戚筋として代々、やはり大臣など歴任した井出一太郎という衆議院議員を支援していた。(のちに定年退職したあとの父はずっと井出氏の長男で後継者の井出正一氏の選挙対策委員長などしていた(-_-;))また羽田孜氏の熱烈支援者も勿論あちらこちらに存在して、当時は子どもの就職や結婚などにも議員の力が関与していたような・・。

ちょうど大学を卒業した年、故郷の小学校中学校の幼なじみのS子ちゃんの結婚式に招待された。結婚式はお相手が東京の人だったので東京で行われ、確か品川?にあった「ホテル・パシフィック」という大きな高層ホテル(今もあるのかな)。 東京に住んでいた私は友人としてスピーチをすることになっており、振袖など着て参列した。
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     やっと探り当てたその時のスピーチの写真(手が震えていた)

やれやれ、それが私の結婚式スピーチデビューとなったが、初めてなのではらはらドキドキ、美味しいご馳走もほとんど喉を通らなかった! 100人はいる招待客は10人ずつ程ののテーブル席についていた。S子ちゃんの父親は田舎のある程度の名士(お金持ち)だったので、スピーチをする人は皆父親の関係がほとんど。今か今かと受験前みたいに待つ私の前はもう5,6人の・・・そう決まりきったつまらないスピーチが行われて、退屈と共に自分の番がくるのが気になって落ち着かないことこの上ない。

でも、その「本日はまことにおめでたい・・」という定番スピーチを、多分誰一人まともに聞いている人はいないのではないかという中、私の向かいに座っている男性に気がついた。 彼は、あちこちの席に立ってマイクを渡される人のほうを椅子をずらして顔と体を向けてしっかり耳を傾けていたのだ!!!

やがてとうとう私がマイクを渡されるのだが、いや〜〜足もマイクを持つ手もガタガタ震えるもんですわ〜〜。
暗記してきた言葉も出だしから震え声・・。ああ・・と思ったその時、目の前の若き(中年の?)その紳士が私の方を見て一言一言に頷いてくださっているのだ! 私は神に出会った気分で、その優しい頷きに支えられたように力が湧き(辛うじてだが)スピーチを終えることができた。今では何を話したのかまるで覚えがないけれど。

その当時は参列者の名前も与えられていなかったと思う。披露宴のあとで「(なんとなく見たことのあるような)あの人は?」と聞くと、彼が2年前?に父親を継いで初当選した羽田孜衆議院議員だということだった。私は学生時代から東京に住んでいたので故郷の選挙の立候補者の顔などあまり知らなかったのだ。
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初当選して1年半ほど経った頃だからこんな感じだった? いや36歳くらいだったからもっとお若いか?

政治手腕はわからないが、人柄の良さでは定評がある、という言われていた羽田孜氏。あの時の稀に見る誠実な優しい視線と姿は今も胸にしかと残っている。
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木村大作監督 〜夏期大学 その2 室堂散策

2017/08/05 17:49
夏期大学2日目は、講演翌日の「木村監督といく立山・室堂ロケ地散策ツァー」。朝8時富山駅出発、8時45分立山国際ホテル出発。 私は国際ホテルまで30分車を飛ばして集合した。

あいにく今日は曇り&霧雨の天気。約70名、貸切バス2台で、まずはホテルから数分の芦峅寺雄山神社散策
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雄山神社は、「剱岳・点の記」「春を背負って」そして今回の「散り椿」でもロケ地となった、木村監督のロケ聖地だ。
霧雨の中では、神社の立山杉の神秘性がいっそう映え、監督の撮影思い出話しに興味深く聞き入る。 「剱岳・点の記」では、山案内の長次郎(香川照之)が魔の山剱岳への案内を反対する息子を、ばしっと平手打ちするシーンをはじめ主要な個所の撮影が行われた。
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2008年4月の雄山神社ロケ 香川照之さんが息子を叩くシーン (このシーンは木村監督自身の反抗期の息子との痛い経験から取り入れたとか)

スケジュールを知らせてくれたスタッフのお蔭で、パートナーの和子さんと何度ロケ現場に走ったことか。この平手打ちシーンもしっかり見て撮った。育んだ我が子のような映画「点の記」の公開ではスクリーンを見ながら涙が止まらなかったものだ。
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雨の中でも監督の雄弁は止まらない!なんか風采が次第に師匠黒沢明監督に似て来たのでは・・・
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そしてバスは、ケーブルカーを使わない分、さらなるくねくねルートを通って約1時間後、室堂のちょっと手前の天狗平山荘に着いた。 (朝、酔い止め薬を飲んだのが効いてバス酔いはばっちり無だ)
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天狗平山荘は、木村監督の「点の記」撮影のルーツとなった芦峅寺佐伯賢輔さんの山荘。和子さんのお蔭で、点の記が立山撮影を開始したとき、この山荘で撮影隊と一夜を共にし、剱岳へ向かうロケ隊を室堂で見送った。最年長の木村監督は大丈夫だろうか? 若いスタッフは過酷な山のロケに耐えて落伍せずに戻ってくるだろうか、と実に不安だったことを憶えている。
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天狗平山荘では、全員が、撮影後木村監督命名した「点の記ラーメン」を食べた。天狗平山荘をツァーの中に入れた監督の心配りが嬉しかった。
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  中央のノリが剱岳、それにしてもお世辞抜きになんて美味しいラーメンなんだろう。昔ながらの「支那そば ちりちり麺」!
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思いがけなくスリーショットをして頂いた。それで、はっと、10年前を思い出した 

10年前にも同じ場所同じ3人のスリーショットがあった・・・!
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(笑)(笑)10年間のブランクがありますか〜〜やはり? 前代未踏の映画に挑む監督は、御飯も喉を通らない程緊張の塊だった!


さて画面はライブ、現在のツァー、天狗平山荘にて。
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     撮影時から好き嫌いの多い監督が珍しくお気に入りのラーメンだ

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全員食事を終え、12時半には室堂へ出発。実はこの室堂風景は、前日案内人の佐伯知彦さんがFBにアップしたチングルマと立山(雄山)の、室堂からの絶景。今回は霧雨スモッグの中で、展望はかなり悪かった!
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    室堂に着いて皆5つの班に分かれて散策。          
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           散策しながら監督の撮影秘話に耳を傾ける
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  後ろは10年間木村監督の映画作りを追う記録映像監督の大澤嘉工さん
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       まだ雪残る登山道は滑らないように・・・
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 霧雨の中でも記念撮影! 涼しくて展望は悪いが山の空気は心地よい

そして2台のバスはゆらゆらと室堂をあとに立山国際ホテルに戻って行く。帰りの私たちのバスには木村監督が乗って、昨日のメイキング映像を流し、疲れることなく映画の話、エピソード、を語り続けるタフネスに脱帽。

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車を置いてあるホテルの駐車場から、三々五々に家路に。霧雨も晴れて爽やかな高原の風。
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監督は大澤さんと東京へお帰り。撮影終わった「散り椿」の編集が大忙しだそうだ。
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 私の頭には室堂ターミナルで買った,息子へのお土産?の「剱」の帽子が。  今では「剱岳・点の記」ともう1つ新しい意味がある・・(笑)
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木村大作監督〜 とやま夏期大学 その1

2017/08/04 23:34
今年もとやま夏期大学がやってきた。今年は木村大作監督が3度目の講師となった。北日本新聞社などが主催するこの夏の講演会では、木村監督は「剱岳・点の記」のロードショーの年に初めて講師をし、次は「春を背負って」公開の2014年夏、そして今回は3度目である。(私は去年、富山出身の本木克英映画監督の講演にも来たが、今は亡き田部井淳子登山家、秋山仁数学者などの顔ぶれで、夏の立山山麓の豊かな自然に囲まれ、興味深いお話を聞くことができる)

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今夏は登山テーマで、木村監督とかのエベレスト無酸素単独登山の栗城史多氏。それぞれが、翌日も立山室堂散策ツァーを組み、私も明日の「木村監督と行くロケ地散策ツァー」にも参加する。

 夏期大学1日目 講演「だれもやらなきゃ俺がやるちゃ」 at 立山国際ホテル 13:30〜15:30p.m.
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会場は満席 空いていた講師席の真ん前に「剱岳」以来の追っかけ?和子さんと座った。(前にお会いしたのは、昨年?の県民会館での講演(北日本新聞社のかたとの対談だったっけ)。
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今回も、相変わらずのマイクなし。7月13日に78歳になった。そう、点の記の撮影が始まったのは2007年4月だった。その1年前に立山の天狗平山荘に1ヶ月余り逗留し、「剱岳点の記」のロケハンと構想を練ったという話は今日も講演で語られた。あれから10年余り・・・何という年月だろう。彼は10歳年をとり、その間富山で3つの映画を監督し、1つの映画のカメラマンをした。

始めの20分ほどを、今回撮影を終えた「散り椿」のメイキング映像を見て、それからいつもの脚本なし、マイクなしの、しかし淀みないトークショーが2時間にわたって展開された。

時代劇「散り椿」の主役は、今年公開された降旗監督・木村キャメラマンの「追憶」に主演した岡田准一さん。何故岡田さんかと・・・前作から、高倉健を彷彿させる、と語っていたが、今回は特に彼のオールマイティ能力、そしてその殺陣の上手さ、スピードに感嘆した、そうだ。

「点の記」は15万人が観た、次の「春を背負って」は8万人、この間の「追憶」は4万人・・・次々と数が落ちて行くんだ!と会場を笑わせる。「追憶」もロケ地を北海道と決まっていたのに富山にひっぱって来てやったのに・・・
倍倍と観客数が減っていく、今度の「散り椿」はこの調子だと2万人・・・ということがないように! ずけずけと自虐他虐のトピックで、相変わらず本当に可笑しいトークだ。・・・私は相変わらず大笑いして受けて・・やっぱりレベルが低いのか?? (笑)

彼は意外と?読書家であり、言葉に感動、言葉に思い入れる人だ。「点の記」のときも、「悠久の自然 はかない人生」というテーマフレーズを造り出したが、今回の映画では「人は大切なものに出会いさえすれば幸せだと思う」という主人公(岡田准一)のセリフを示した。映画の主題としたいと共に、木村監督の思い、人生が込められているのだろう・・・。  

などなど彼の映画人生と過去の映画の思い出や思いが止まることを知らず語られた。
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 講演が終わって、やっぱり・・・と控室に寄ると、お馴染みの「応援者」たちも監督を囲んでいた。 ひとしきり歓談して、監督は今夜知事とプライベートな食事をするので今から富山へ下りて行くんだと・・・とても気が合うのだそうだ、「剱岳・点の記」の時から。 
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素敵なコーラスコンサート

2017/07/16 23:23
今日は、元附属中学コーラス関係の『クール・ファミーユ』という合唱団のコンサートだった。
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今年で10周年記念コンサート。多忙な日々に一応ちょっと息抜きが出来た日曜日、facebookでコンサートを知って、前からずっと聴きたいと思っていたので、出不精の?私にしては思い切って一人出かけた。しかも駐車場の心配があるので開演2時の2時間前に家を出た!
何と、10年のブログCASABLANCAの中で、コーラスのコンサート記事を書くのはこれが初めて。コーラスとは何故か疎遠で?無粋なワタシである。

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クール・ファミーユを主催する指揮者の堀江先生は子供たちの中学時代の恩師でもあり、そのコーラス指導の厳しさには定評がある

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               教育文化会館ホールもいっぱいに

時折襲う梅雨の名残りの不安定な気候でも、3連休の真ん中でもあったためか、800の座席は満席だった。
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プログラム 第T部はイギリスの作曲家John Rutter (1945〜)の数多くのアンセム(聖歌)の中の2曲を。
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第U部は、寺山修司の詩による6つのうた「思い出すために」より
「虹」(森山直太郎作曲)、 「ゆけゆけ飛雄馬」(男声)アニメ主題歌  「青春譜」(五木寛之作詞) などなど楽しい素敵な歌・・! 舞台衣装も歌に合わせてカラフルに。
そして、第10回コンサート記念委嘱作 「野原のポプラ」(新川和江作詞)が初演披露された。
作曲は、附属コーラス部出身で作曲家となった横山和也さん。今日は舞台に上がられ、挨拶を。附属中では丸刈りくんだったが今は素敵に大きくイメージチェンジ。
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         堀江先生と団員司会者からインタビューを受ける横山君(氏)
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そして第V部 混声合唱組曲「水のいのち」  ・・・日本の合唱曲の中で最も人気の高い作品の1つで、合唱曲のバイブルのような存在、とか。〜プログラムリーフレットより。
1.雨 2.水たまり 3.川 4.海  5.海よ と続くが、知り合いのSima氏の感想は、最後の「海よ」が最も背筋がぞくぞくした、とfacebookに書いておられた。

アンコールで「川の流れのように」など2曲を歌われ第10回記念コンサートは盛会に終わった。
ロビーではクール・ファミーユの合唱団員たち(数えたら女性27人男性14人だった)と多くの観客が賑やかに興奮冷めやらぬ笑顔で談笑してた。

初めて参加した私は、そこで何人かの懐かしい人たちに会うことができた。 息子の同級生たちやそのご家族、特にNくんの両親とおばあちゃまが前の座席におられたのは驚きだった。幼稚園、小学校低学年時代にはおばあちゃまがせっせと孫のN君のお世話をし、誕生会などで大いに面倒を見て頂いた。あれから30年近い歳月には我ながら驚きと感動。N君は仙台の大学を卒業した後、今は富山に勤務されているとか、合唱団の中核になり合唱に心を注いでいる様子が伝わってきた。
そしてほかにも新たな、言葉に書き尽せない再会や出会いのコンサートだった(+_+)。
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小泉八雲の「ちんちん小袴」〜オペラと紙芝居

2017/07/07 09:30
富山八雲会総会が行われ、続く公開セミナーは今年は富山県高志の国文学館と共催で『メゾ・ソプラノ青山恵子が魅せる小泉八雲の世界』をテーマとして行われた。 
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ラフカディオ・ハーンの作品『ちんちん小袴』は、富山大学ヘルン文庫にある「ちりめん本」と呼ばれる5作品の1つ、八雲会では2009年にそれらを会員手作りの紙芝居にして催しや小学校などで上演してきた。今回は、メゾソプラノ歌手の青山さんがちんちん小袴をご自身でオペラ化(小歌曲)されたものを初上演されることになった。青山さんは島根県出雲市のご出身、ということから、八雲への思いもあり、今までに『耳なし芳一』『雪女』などもオペラにして歌われている。

その青山さんの上演の前に、八雲会としてはストーリー紹介のためにも紙芝居作品「ちんちん小袴」を”前座”にすることになった。8年の間に1回しか上演していなかったので、急きょ絵や脚本を整備・加筆リフォームして準備した。
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「ちんちん小袴」は、ものぐさでだらしない娘(嫁いでも)が使った爪楊枝を捨てずに畳の縁に挟んで隠していたのを、爪楊枝の小妖精たちが怒って夜な夜な現れ娘を懲らしめるという小怪談(妖精物語)。       
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などなど、これらを含め9枚の絵から成る。

上演前にいつものように集まって練習。今回はほとんど初めての上演なので、構成、キャスト、物語の内容などについて大いに議論し、結局配役は、英語・日本語 含めて3人ですることとなった。
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   本番1週間前の土曜日夕方、文学館で
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・・・そもそも「ちんちん小袴」って楽しい妖精物語なのか、こわ〜〜い怪談なのか・・・なんて議論も始まり、結局若い女性の声だけですらりと演じることに。
たかが紙芝居、されど紙芝居・・。今回は初めて文学館との共催ということでプロのオペラ歌手とのプログラムなので“学芸会”では困ります、という厳しい文学館の注文も。(-_-;)

とにかく6月24日(土)夕方から3時間ほど、当日の文学館ロビー特設ステージで直前最終リハーサル・・・個人的に言えば、親戚の重要と言われる法事と重なって、責任ある立場の私が遅刻の失態しかも、私の説明原稿が間に合わず・・・
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     本番前日リハール



25日(日)2:00〜  雨の中でも、何とか大入り満員の特設ステージ。 文学館の緑の木々と雨の背景が美しい・・・・と脇から見ていた。
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      紙芝居本番! OK!!
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そして青山恵子さんのオペラが始まる。
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   ちんちん小袴  すごい声量、歌唱力・・・・!
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    雪女・・・・・ 青山恵子さんは東京芸術大学・同大学院の出身、日本初の声楽で博士号を取得されたメゾソプラノ歌手

青山さんのお弟子さんも数人賛助出演されて、最後は「ふるさと」を全員で歌い、大盛況に終わった。
同じ作品を、紙芝居とオペラという全く違う表現で鑑賞することは、私たちにはオペラの内容が全く知らされていなかっただけに、大変興味深く展開を見守った。
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    花束を贈られ「ふるさと」を全員で歌う青山さん  
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 終わってロビーで。  今年度の八雲会総会&公開セミナーでした。

公開セミナーについて八雲会M事務局長からの報告(メール転載)
・・・・公開セミナーですが、今年度は高志の国文学館との共催で「メゾ・ソプラノ青山恵子が魅せる小泉八雲の世界」として、青山恵子さんをはじめとして5名の方の出演による「ちんちん小袴」の上演等を行いました。天気が悪く参加者が少ないのではないかと心配していましたが、100名以上の聴衆で大盛況でした。演目は初演の「ちんちん小袴」にバリトンの堀野浩史さんが加わり重厚なものになりました。また引き続く小泉せつの「思い出の記」から「雪女」の上演では、朗読とオペラがマッチしてたいへん素晴らしいものとなりました。
さらには日本歌曲の演奏と最後に会場の鑑賞者全員で「ふるさと」を歌うなど、たいへん感動的な公演でした。

 [福井から参加された会員のAさんの感想」
○紙芝居とオペラ
 たいへん楽しく観覧・拝聴させて頂きました。一流のオペラ歌手というのは、すごい声がでるのだなと改めて感心しました。
 青山先生は、洋楽と伝統的歌唱法の融合を研究されてるとのことですが、紙芝居とオペラの両方を観て漠然と感じたことは、西洋と日本の表現法の違い・・・というようなことです。
 絵本、紙芝居、オペラ、能、歌舞伎、平曲のような琵琶語り、朗読、アニメーション・・・漠然とその違いについて考えました。
(中略)
今回、八雲会の紙芝居は「オペラの前に話の内容を観客に理解してもらうため」とアナウンスがありましたが、
私には、同じ話を「紙芝居」と「オペラ」の両方で表現するという点が、とても面白い企画であると感じました。必然的に両方を見比べました。(後略)


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琵琶湖と彦根城へ

2017/07/02 23:31
6月中旬以降は、数日の真夏日のあと肌寒い日が続いた。

  初めての彦根城へ
 
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      彦根城 1622年築城 彦根藩主はもちろん井伊家である

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彦根城はずっと行きたかったお城だった。今回は彦根城の城郭内にある元藩校であり、滋賀県で最も古い彦根東高校を卒業した義兄の一周忌で訪れることになったのは哀しいことであった。一周忌の翌日、大阪へ帰る前に息子と三人で初めての彦根城に。

彦根城といえば15代藩主で幕府の大老となった井伊直弼である。NHKの大河ドラマ第一回は『花の生涯』、主役井伊直弼を演じたのは尾上松緑、その他長野主膳は佐田啓二、二人に関わる女性村山たかは淡島千景、すでに皆さんこの世におられない。昭和38年、私は日曜の夜、試験勉強の合間に目を凝らして熱中した。
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安政の大獄など歴史上重要な人物であった井伊直弼は、大河ドラマから私には印象深い存在となったが、再び井伊直弼が私の胸に飛び込んできたのは2008年の大河ドラマ『篤姫』の時だった
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。『篤姫』の虜になった1年間、敵対する井伊直弼と篤姫の茶室のシーンは、録画を10回以上繰り返し見ては魅了された。
CASABLANCA 2008年8月『篤姫』桜田門外の変―茶室のシーン
http://marilyn-m.at.webry.info/200808/article_4.html 

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彦根城は広大で城郭そのものも昔のまま保存されて、思っていたよりはるかに素晴らしい立派なお城だった。
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いくつもの急な階段を手すりに掴まりながら天守閣を登って行くと、山の上に建ったお城はかなりの高さ。
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            井伊直弼にも出会えた!
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天守閣からは眼下に琵琶湖が見渡される・・・ああ、井伊直弼はここから琵琶湖を眺め幕末の日本を考えたのだろうか。
そしてこの琵琶湖は、昨年、72歳で急逝した義兄が、城内にある彦根東高校のボート部でボートを漕いだ青春の日々・・・その思い出は何度も聞いていたので、天守閣に登り、琵琶湖を見渡しながら、しばし義兄の思い出を話した。
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彦根城は彦根山(金亀山)という山に築かれている・・・その全体は昔のまま見事なお城、義兄が晩年全国のお城めぐりをしていたのも、ルーツは彦根城だったのだろう。
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              お馴染みひこにゃんにも会えました

前夜は琵琶湖のほとりにある、義兄が愛したゴージャスなホテルで一周忌の法要がしめやかに営まれた。
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シンガポールからかけつけたお客様イギリス人Alison !商社に勤務していた義兄は20年来の家族ぐるみの友人Alisonと、英語で上手にユーモラスな話をしていた・・・・。
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初夏から梅雨へのアラカルト 〜その2

2017/06/30 23:31
去年の6月は良き思い出と哀しい思い出と沸き起こった季節だった。
今年もまた・・・新しい出会いと思い出を運んで時は流れていく。

@ 東宝映画 『散り椿』木村大作監督第三作 撮影開始 5月18日〜7月上旬
  初めての時代劇映画、主演は『追憶』以来の岡田准一、他に西島秀俊、黒木華など。
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            原作は直木賞作家 葉室麟
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 6月初め、富山市内の旧豪族の館浮田家(富山市重要文化財)にてロケーション  
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       ここは『剱岳・点の記』でも何日間もロケで使われた
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1時過ぎ、午前の撮影が終わり、昼食の時間。昼食のカレーには木村監督がキライなので人参が入っていない((+_+))

今日の監督は、あの長く伸ばして縛っていた髪が・・・丸坊主に。一昨日、いつものように石井知事が訪問した金岡邸ではまだ髪は長かった。「自分が出るシーンが終わったから(Katoさんみたいに)髪をまるめたんだ」とおっしゃる。 人の名前と顔をよく憶えているかただ。
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『剱岳・点の記』のロケは2007年に始まり、今年で10年経った。相変わらずの情熱とファイトの人。負けてはいられない、と発奮するエネルギーは私にはもうないが、持ち続けている彼は凄い人だ!

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6月24日(土)は内山邸のロケ  『春を背負って』ではここで2日間エキストラになったっけ(笑)
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内山邸の庭に季節外れに?咲いた椿 助監督の宮村さんもいつもお馴染みの木村組のかた


A  6月第2週の日曜は、例年、大学の同窓会富山支部総会。今年は気持ちを楽に同窓の方々との念に1度の出会いを楽しめた。 数年ぶりで高岡で。高岡御車山会館見学、そしてお食事は和食の「柿里」
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2週間ほどまえの5月下旬、天皇皇后両陛下が植樹祭で富山を訪問、魚津市の植樹祭式典会場のほか、この御車山会館も、高志の国文学館も、富山県美術館もご訪問された。
このお写真を見て、今回はおそらく富山へのご訪問は最後になるだろうがお迎えもお見送りもできなかったので、とても嬉しかった。
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絢爛豪華な山車、富山県には、長野県では見たこともないこんな山車の大きな祭りが各地にあるのだ。
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              ちなみに本番のお祭りはこんな勇壮な姿(HPより)
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                    御車山ゲームに興じる皆さま
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                    「柿里」の涼しげな夏の和食



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初夏から梅雨へのアラカルト 〜その1

2017/06/28 22:39
何と忙しい5月、そして6月だったのだろう。このブログは今や日記の役割としてみれば結構日々の雑事ややイベントを記録してあり、後でめくって役に立つことも多々あるのでメモとして綴っておこう。

@ 鯉くんがあの世へ
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3年前に亡くなった義父と6年前に買って来た我が家のコイ・・・たった1匹になってしまって夫が可愛がって育てていたのに、2,3日エサを食べず元気がないと思っていたら、5月半ば、たまたまこの写真を撮った3日後に、とうとう・・・。こんなに大きくなって優雅に泳いでいたのに・・・

A 5月末、Mさんの大学時代の友人ご夫妻が、金沢への旅行の帰りに富山へ寄られた。私はお二人とは初対面だったけど、「運転手」も兼ねて短い間のお伴を楽しませて頂いた。 お二人とも85歳を超えられるのに、なんと知的でユーモアあふれる素敵なお喋りをされる方々なのでしょう。ご主人はドイツ文学者、奥様は英文学者・・・
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             ご夫妻は初めて訪れた環水公園を絶賛された
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         Mさんが案内された「五万石」の和食も富山のおもてなし

B 藤原正彦先生の久しぶりの講演(5月18日) at 第一ホテル
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           演題は「日本のこれから 日本人のこれから」
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お茶の水女子大学数学科名誉教授で、エッセイストでもあり「国家の品格」などベストセラーがたくさん。作家の新田次郎の二男。・・・私は20年来の彼の著書(エッセイ)のファンで、講演を聞くのもこれで6回目であり、彼の著書ははぼ全部読んだと思う。 その何とも言えないユーモアが好きだ。私が、映画『剱岳・点の記』を応援したのも、藤原正彦氏VS木村大作氏の対談が映画撮影前に上市アルプス文化センターにあり、それを聞きに行ってすっかりのめりこんでしまったのだ。 

最後に先生にお会いしたのは、2009年の『剱岳・点の記』の皇太子さま試写会の有楽町ホールだった。私たちのすぐ近くの席に皇太子さまと藤原ご夫妻、木村監督がおられた。
8年ぶりだったがご挨拶すると、名前を憶えていて下さってしばしお話させて頂いた。 嬉しくなって、いつものように帰りに本屋で週刊新潮の先生のエッセイ「菅見妄語」を立ち読みした。すると何と、「蘇る昭和」と題してあの富山出身の「東京大衆歌謡楽団」のことが書いてあったのだ。
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                  富山出身の高島三兄弟・・・なつかしい

6月に故郷富山でコンサートを開くと聞いていたが、私は県外なので、この藤原先生の記事をコピーして、富山テレビのTアナウンサーに、彼らに届けてくれるようお願いした。藤原先生にもお手紙を書いたら「高島兄弟にがんばるよう伝えて。私もまた本拠地浅草の神社境内へこっそり聞きに行きます」と書かれていた。

C 東宝映画『追憶』5月6日〜 上映中
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  5月下旬 少し遅れて映画を観た。感動して泣いた。以下はFacebookに投稿した私の感想である。

富山で撮影された映画『追憶』を観ました。
映画の底を流れるテーマは「母と子」だと思いました。
・・・泣けました。さすが降旗康男監督の深みある映画!
そして木村大作カメラマンの富山の風景は素晴らしい!

帰宅して母の日に贈られたカーネーションを見ると、絆を断たれた子供たちが背負った運命が哀しくて、もう1度胸がつまりました。
母である人には一層強い感動が迫ることと思います。
あらすじは読まないで映画館へ行って下さい。

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初夏の東京〜♪〜クラス会

2017/05/17 22:49
3年に一度だった大学クラス会が数年前から2年に一度になりました。初めて東京以外の地で行われた一昨年の琵琶湖クラス会に続いて、今年は東京に戻って、幹事さんが素敵な1日をセッティングしてくれました!
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         みんな生まれて初めての(笑)東京スカイバスツァー

バスは東京駅から10時半に出発するため、迷った末、前日から思いきり二泊することにして、いつになくゆっくりと、今日的な東京、旧友との交流、そして独り身の自由時間を楽しみました。
バスは東京駅丸の内側の中央郵便局傍から発着。下のコースで約60分。
  日比谷⇒丸の内⇒三菱ビル前⇒皇居⇒東京タワー⇒レインボーブリッジ⇒豊洲⇒築地⇒銀座⇒

何より嬉しいのは晴天の初夏の風(ちょっと強め)。懐かしい顔が集まって来て、再会の挨拶そこそこにバスに乗りました。
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遠くの東京タワーがどんどん近づく・・・カメラを抱えてときめくのは子供と同じ。 中学の時田舎から出てきて出来たばかりに上り、そして大学で1回上ったかな〜〜
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レインボーブリッジも初めて渡った〜東京湾の向こうのビルは何だかNYを思い出す
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晴海だとか有明だとか豊洲とか築地とか、今では懐かしくまた今騒がれている地名を聞きながら、感激できょろきょろ見回しつつお喋りにも花が咲く・・・。
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あら〜〜お魚!築地ですものね。 豊洲も近くにまだひっそりと?東京を騒がせているご当地に臨場感がつのります! 

やがてバスはもう銀座に。信号で停まると右手に歌舞伎座が!
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  クラス会のあとはこちらを鑑賞する人も。
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          銀座お馴染みの場所、和光が。あの時計が懐かしく・・・
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もう皇居内堀通り、丸の内の帝国劇場が。大学のとき、ESS英語劇の大道具の参考にと、ここでやっていた『風と共に去りぬ』(レッド・バトラー高橋幸治 スカーレット那智わたる・・だったっけ)を仲間と観に行ったものです。

三菱一号館美術館など気がついたら通り過ぎるところ・・・まあ、人生はバスツアーの車窓から見る景色のようなものでしょう。  夢のような1時間が過ぎ、名残惜しくバスから降りて記念写真。次は地下鉄に乗り神宮前へ。そのへんは幹事さんに言われるまま小学生の如くお喋りしながら付いて行きます。
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昔ながらの佇まい原宿駅を鑑賞し記念写真 今から待望の会食で〜す  
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こういう素敵な街を歩きながら・・・ということです。おのぼりさんはきょろきょろしながら「やっぱり東京のこのへんは素敵ね!」
さて、名前から素敵な「青山 星のなる木」 (渋谷区神宮前 ラ・ポルト青山4F)へ到着。

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                        再会を祝して 
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                 楽しいおしゃべりとご馳走〜〜

最後のメニューは根津美術館(港区南青山)。 初めて知った美術館でした(-_-;) こんな素敵な美術館を知らなかったなんて遅れてる私。 新緑の中でちょうどカキツバタが満開。尾形光琳の「燕子花図」の特別展が開催されてました。
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         絵画鑑賞のあとは素敵な庭園を散策  
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2年ぶりの1日はあっと云う間に終わりました。 そして次のクラス会は2年後の信州に決まりました。みんな元気で再会できますように
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舟川べりの桜 水墨美術館の枝垂桜

2017/04/17 22:51
立山はまだ深い雪に埋もれ、ようやく室堂までのアルペンルートも開通したところ。
里では暖かい陽気の中、最後の桜を求めて車を走らせた。

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    富山県の東端、下新川郡朝日町の舟川べりの桜並木

2014年春に公開された映画『春を背負って』は、富山県の立山が舞台、映画『剱岳・点の記』の木村大作監督の第二弾目の作品。 観光化されていない春の良い風景はないかな?という木村大作監督に、朝日町出身のK氏が、この舟川べりの桜を教えていたが、監督は早速前年の2013年4月にここを撮影。映画の始まりのタイトルバックに使われた。
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   『春を背負って』で映像として使われた舟川の桜。後ろに白馬連峰が。

というわけで数年前まではそれほど知られていなかった当地も、今年は地元新聞はじめいろんなところで大きく写真がアップされた。 大阪からお花見大好きな親戚が来て高速で30分、朝日インターで降りるとすぐだった。
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駐車場が遠いようだったので徐行で現場に近づくが、路上駐車は禁止されている
新聞やネットでは朝日町舟川べりの「春の四重奏」と称賛。
朝日岳・白馬岳など 白馬連峰を背景に、舟川両岸600mに280本の桜並木早咲きのチューリップ、菜の花、四重奏、素晴らしい饗宴。
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多くの人が訪れ歓声を上げていた・・・・桜並木とチューリップと白馬連峰の取り合わせがすごい。 ただ、桜はちょっと時期が遅かったかな。もう2,3日早く来ればピンクの色が鮮やかだったかも。

                
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            富山県立水墨美術館

さて、家に帰るとメールが来ている。Y先生も前日舟川の桜を観たとか。 そして今年は水墨美術館の枝垂桜がことのほか見事、そろそろ葉桜に・・ということだった。以前水墨美術館の館長をされていたY先生だから、あの水墨の象徴枝垂桜は我が子同様なのかも・・。もともと行こうと思っていたので早速翌日の午後、駆けつけた。まず桜を堪能、次に開催中の「石ア光瑤展 花鳥画の煌めき―没後70年」を鑑賞。
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              庭の一本枝垂桜   
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館内のソファーに腰かけて桜を眺める至福のとき  今日は空の青と雲の白が素晴らしい

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                           常設展と喫茶店を臨む

他にもさまざまな桜の名所がある富山、そして日本全国・・・この桜のシーズンの高揚を見ると、日本人は桜が好きなんだな〜とつくづく思う。 
過去にもよくブログアップしたっけ。何と言っても松川べりの桜の人気は一番かもしれない。 そしてこの水墨美術館の枝垂桜。 今年は舟川も入ったけど。

2015年4月松川 桜の遊覧船に初乗船  http://marilyn-m.at.webry.info/201505/article_1.html  

2012年4月 富山の桜その2  http://marilyn-m.at.webry.info/201204/article_2.html 

2012年4月 桜が咲いたー富山市の松川べり    http://marilyn-m.at.webry.info/201204/article_1.html


な〜〜んだ、何度も何度も松川べり桜、同じような写真をアップしていた(-_-;)
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今年も桜の季節

2017/04/09 15:11
 今年もめぐってきた桜の季節、何だか今春は桜前線関係なく、東京も大阪も富山もほぼいっせいに満開になった感じ。
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        市内桜の名所松川べり 4月8日花曇りの午後

第二土曜日午後、4月の八雲会例会がちょっぴり早く終わり、会場の高志の国文学館の近くを流れる松川べりへ足を向けてお花見を
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 何十年来の英語仲間であり八雲会仲間(私は後輩ですが)Mさん、Nさんと

夕方から雨も降りそうな曇り空だったが、風もなく何と快適な柔らかい春の空気。上着も不要な幸せ気分。ほとんど3週間ぶりに会ったので、川辺の石段に腰を下ろし、あれこれ1時間余りのお喋りが楽しかった。


我が家の桜も・・・古木にも拘わらず今年も頑張って咲きました
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3年前の2014年春、桜の好きだった95歳の義父は、前年暮れから入院中であった。義父が毎年桜が咲くとそうしていたように、ひと枝折って花瓶に挿して病室に持って行った。年齢と発熱の後の体調で、ほとんど笑顔と言葉のない日々だったが、桜の枝を髭を剃っていた義父の前に置くと、「綺麗だなぁ」とはっきり声を発した!
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義父は翌年の桜を観ることなく、96歳の誕生日を迎えてすぐ開花直前に旅立った。


 今朝の北日本新聞に大きく出ていたお二人の対談。昨年桜の開花間近に富山でロケをした映画『追憶』が公開間近ということで。。
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『剱岳・点の記』以来の”気の合う?友達”であるお二人 木村大作さんと石井知事

ちょうど昨年の今頃、富山市の八尾や桜木町でロケをしていた。剱岳以来の映像カメラマンの大澤嘉工さんに連絡頂き、対談にも出てくる街中桜木町の”飲食店”でのロケで、『剱岳』以来の”応援隊”3人でロケ現場を訪問した。
このときロケ現場の降旗監督、木村カメラマンに差し入れ訪問された石井知事にも出会った。
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1週間後の魚津の海辺のロケでは、降旗監督とのツーショットを出演の安藤サクラさんが撮って下さった。
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あれから1年、いよいよ5月6日全国ロードショー
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春遠からじの夕べ、「恩師を囲んで」久々に懐かしい昔の集いが、「日本料理丸の内」にて 
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             どれが恩師で生徒なのか・・・
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店主兼料理長さんは「北前船で秋田から来ました・・」とか(笑)  富山のワインと海の幸が美味しかった〜
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今宵は東京(京都)から駆けつけた恩師N先生を囲んで 15年前の恩師3人生徒3人

 春を待たずとも、この冬もスキーで元気な人たち〜
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             立山山岳ガイド佐伯知彦さん
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                変わらず颯爽と 元T大心理学教授大石先生
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                    山岳医森田先生この冬30回の滑走
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わが弟カップル スキー歴50年 今年3月志賀高原にて 元気な二人だ(-_-;) 
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惹きこまれた明治日本・・・

2017/02/27 23:11
2月最後の土曜の夜。 珍しくDVDをレンタルしてきた。
ちょっと古くて店の人に差し出すのも恥かしくなる、2009年〜2011年に放映されたNHKのスペシャルドラマ『坂の上の雲』
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             全13巻のうち5巻を借りた
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ご存じ明治の新時代に貢献した3人の物語 原作は司馬遼太郎の「坂の上の雲」

3年に渡り1〜3部と放映されたので、最初は3,4回観たが、次の年からは見てなかった日も多かった。
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主人公の秋山好古・真之兄弟  明治黎明期の陸軍と海軍の基礎を築いた
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こんなロマンスも楽しみな好古(阿部寛)と未来の妻となる多美(松たか子)。他に秋山真之(本木雅弘)と正岡子規(香川照之)がこのドラマ(原作)の主人公 

(1巻を見ただけでもやはり明治の若者の夢や生き方に感動の兆しを感じたが、10代の主人公たちを演じるために、年相応でない若さと情熱を見せなければならない俳優たちは、やたら元気で騒々しく跳びまわる・・・(苦笑))
本当は原作を読めばいいのだが、その時間もエネルギーもないこの頃。それに映像のほうが内容がしっかり記憶に残りそうだ

 このDVDを借りたきっかけは・・・
直接にはその前々日23日(木)の英語論文講読自主講座
この日私が訳や解説当番が当たっていたテキストに、この秋山好古・真之兄弟が出てきたのだ。
そのテキストとは、東京大学名誉教授平川祐弘先生圧巻英語論文 『Japan's Love-Hate Relationship with the West』 (日本対西洋の愛憎関係)2005年 Global Oriental社
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2012年暮れに富山大学人文学部のラフカディオ・ハーンシンポジウムで基調講演された時が初対面だったが、平川先生の博識と膨大なる学問業績、頭脳の回転に感嘆した。英語は勿論、フランス語・ドイツ語・イタリア語を話し、中国文学を翻訳する。 その圧倒的な数量の刊行書だけでなく「英語の著書」もあると聞き、アマゾンで買った(-_-;)! 文字通り550ページの圧巻で、昼寝の枕か神棚に供えて崇拝するしかない洋書だったが、英語自主講座の6人に提案したところ、それを読みましょう!ということになった。 
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原書の文字は小さすぎるので1ページをA4サイズに拡大してもう1冊のコピー本にしてもらい読み始めたのだが、・・・2013年にから遅々としてもう4年も読み続けている。(-_-;)(-_-;)

だが、平川先生が「これが面白いですよ」と推薦して下さったいくつかの論文はすでに読み終えて、実はあまりに好評なので中途で止めるのは惜しく、推薦外のものにも取り掛かった。そして今はようやく、ポストスクリプト(あとがき)にまで漕ぎ付いたところだ。
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      この英語論文にも関係する何冊かの平川先生の著書

 この著書はどこが面白いって・・・
平川先生は東大大学院の比較文学比較文化の教授だった。
そもそも、比較文学とは何ぞや?である。 私たちの大学時代には聞いたことがなかった科である。
この英文著書の題名『日本と西洋の愛憎関係』も惹きつけられるが、私たちが読んできたこの著書で扱っている作家や人物、歴史等を見れば、比較文学の様相が伝わってきそうだ。

[内容]
・ベンジャミン・フランクリンと福沢諭吉〜その自伝の比較
・日本の近代化について、夏目漱石と恩師マードック先生の見解の違い
・ビルマの囚人たち ―竹山道雄「ビルマの竪琴」における以前の敵のイメージ
・能「初雪」の翻訳におけるアーサー・ウェイリーの美学 
・知的孤独と知的友情 〜漱石と魯迅による外国人教師の横顔
・西洋の「愛」と東洋の「友情」〜漱石とウェイリーが気づいた詩的好み
・晩年の作品に見られる森鴎外と母との矛盾した感情関係
・詩人彫刻家高村光太郎と西洋の愛憎関係
・日本文学に対する評価の変遷 〜バジル・H・チェンバレン対アーサー・ウェイリー 
    などなど・・・

ところで私たちは、今まで読んできた英米文学とは違う、この平川先生の論文内容が予想外に気に入った。明治日本の文豪、夏目漱石、森鴎外、福沢諭吉、ラフカディオ・ハーン、そして源氏物語や能などの日本の古典など、欧米と関係しつつも、身近な日本人作家や日本文化が多々扱われているが、それを英語で読む味わいはなかなか独特である。

しかし、私を含めて、身近だといいながら、それらの日本を代表する作家たちの作品をほとんど、いや全く読んでないことに気付いた戸惑い。またそれに関連する当時の世相や政治家、世界の作家や思想家たち、そして日本史、世界史も次々と関連させて登場するが、 その都度(ずるくも)Wikipediaで調べたり他の資料を見つけたりして、訳の当番に当たった人は簡単な知識の発表をする。 そして得られた知識を喜びながら、あ〜でもない、こ〜でもないと、それぞれの(あまりアカデミックではないのも含めて)意見や感想が飛び交う。そこから現在のマスコミを騒がせているエピソードや事件にも話が及んで・・・。

  さて、「坂の上の雲」の三人はどこに出てくるのだろう。実は今読んでいるこの膨大論文のあとがきで、平川先生は、元アメリカ大使のライシャワー教授が所長を務めるハーバード大学日本研究所での自身の英語講演(1978年)を掲載している。そこで、自身が教授をする東大院の科を例に、比較文化比較文学とは何か、やその研究対象・意義に言及している。 そこに秋山真之の名前が・・。

「・・・比較文化と加えたのは、単に文学だけではなく、例えば岩倉具視使節団や、明治海軍の秋山真之のアメリカ留学、など明治日本の様々な職業分野の日本人の外国体験もその研究の対象になるからだ。(漱石、鴎外、光太郎・・・のような文学者の海外体験だけでなく)」 

ちなみに比較文学とは
文学研究の一部門および一方法。二国以上の文学の間の交流・影響関係・対応を研究し、全世界的な文学の流れを明らかにしようとするもの。(大辞林 第三版)
2国以上の文学を比較し研究する学問。文学相互の影響関係やそれぞれの特色などを実証的に調査・検討し、さらに国際的な文学の流れを明らかにしようとするもの。(デジタル大辞泉)

 そうか、秋山真之はアメリカに留学したのか・・・兄の好古はフランスで騎兵隊を学んで日本陸軍の祖を造った。 あの明治時代に海外に留学する日本人の、2つの文化の狭間での稀有な体験はこの上なく興味を惹かれる。
もう1度あのドラマを見てみたい。・・・!!!。平川先生のあとがきには秋山真之の思想とか影響力とか本質的なことは書かれてなくて、ただ、「比較文学の対象」となる例として。 彼については昭和54年に創設された東大比較文化の初代学科長であった島田謹二教授が著書『アメリカにおける秋山真之』で見事に書いているとか。

 ところで、余談だが・・・
秋山好古・真之兄弟、そして彼らの親友正岡子規は松山の出身 私が勤務していた東京千代田区九段にある三輪田学園は明治13年に三輪田真佐子が松山で開いた漢学塾明倫学舎が始りだ。
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真佐子は後明治20年にに東京へ塾を移し、明治35年現在地に私学の三輪田女学校を設立した。ここに秋山好古の長女(大正3年卒)と三女(大正11年卒)が卒業生として名が残っている。好古の妻の家がすぐ近く市ヶ谷にあったのと、三輪田女学校には当時軍の高級将校や華族の子女も少なくなかったこと、何より、松山で秋山兄弟や正岡子規の家がこの明倫学舎のすぐ近くであることから、彼らは三輪田真佐子をよく知っていたに違いない――という縁で好古の娘たちの学校選択となったようだ。このことをNHKはドラマ制作にあたって三輪田学園に取材に来てTVでもドラマのあとで紹介されたようだ。
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明治末〜大正時代、秋山好古の娘たちが通っていた三輪田学園中学校高等学校(千代田区九段北)

木曜日午前中の2時間はあっという間に過ぎていく。毎回、「このテキスト、今までにない面白いテキストね!!」と叫んでしめくくる。 レンタルDVD,これから13巻まで見るのは久々に楽しみ。

余談その2 正岡子規役香川照之さんの激やせ役作り
レンタルDVD第7巻で、結核性カリエスの激痛と長年闘っていた正岡子規が、俳句芸術の新境地を開き後世に名を遺したその壮絶な人生の幕を閉じた。(34歳)
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               正岡子規と子規役の香川照之
香川照之さんは結核を患う子規を演ずるため、17キロの減量をしたという。

ちょうど、私たちが2年に渡って追っかけ(応援)をした『剱岳・点の記』が完成し6月のロードショーを前に1月、富山で関係者向け完成披露上映と東映による「感謝の集い」が開かれたとき、監督と俳優さんたちが映画館とパーティー会場であいさつに立った。(私たちも県知事などお偉方と共に、追っかけの努力が認められ?栄えある集いに招待されたのだ!(笑)) その時、2年間の撮影時と違って、こけた頬と青白い顔の香川さんを見てびっくりしたのだが、NHKの『坂の上の雲』の役作りのためだということだった。
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 2009年1月名鉄トヤマホテルにて  精悍な山案内人宇治長次郎から晩年の病状六尺の正岡子規になった香川さん 
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山が光る〜〜富山・新潟・長野 真冬の晴天

2017/02/07 00:48
2月4日 土曜日。 珍しく富山にも朝からお日様の光がふりそそぎ、この真冬に長野へ車で行く億劫な気持ちを振り払ってくれた。土曜日は全国的に穏やかな暖かい日だとニュースが伝えていたので、1月に行けなかった母のもとへ行く決心をしたのは前日。 

富山インターから入るとすぐに目の前に立山連峰が現れるが、最も美しいパノラマが迫って来るのは5分ほどした水橋付近
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まさに立山に向かって突進していく感覚・・・この世のものとは思えない、自分の存在さえ忘れる圧倒的な風景だ。
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やがて立山のパノラマは富山市を過ぎようとする頃は右手に流れていく。

北陸自動車道、富山・新潟県境へんから26もあるトンネルを23ほどくぐるとお決まりの名立谷浜SA(上越市)で一休み。富山インターから1時間ちょっと。 海が見えるSAで海を見ながらほっとする場所。今日はいつもの日本海の灰色とはちがってマリンブルーの素敵な春の色〜
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海の向こうに見える山は何だろう・・とネットでこのSAを調べてみたら 「天気の良い日には佐渡島も見える」 と!
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  やったー!まさかの佐渡島!28年前に珍しく家族旅行したっけ。

ここで佐渡島が見えるとは・・・、何度も立ち寄っているのに、もしかしたら見た時もあったのに知らなかった〜〜〜(-_-;)

そして、SAを発つと北陸自動車道のトンネルも残り3つをくぐり、上越ジャンクションを通過、あの、妙高高原を通る。立山がこんなに綺麗にみえるんだから、妙高山ももしかして、いえ、きっと!あの姿を現してくれるんではないかと胸が高鳴って来る・・・だってもう3,4年顔を出してさえくれない。
日本海側から直角に上信越自動車道に入るとしばらくして右手に・・そして行く手に・・・妙高の威容なパノラマ
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    まずはいきなり右前方にこんな姿で現れた 「こんにちは」みたいに。

やったー、今日はほんとにラッキーな日。 こんな真冬の長野行きは天候という大きなブロックがあって、天気予報とにらめっこ。雪は降らないらしいから・・という期待だけで来たのに、まさかこんな雲一つない青空と曇りもなく輝く妙高山に出会えるなんて!!!
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そして大入道みたいに妙高が行く手に立ちはだかる (新井SAあたり)
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私はこの山に魅せられる。富山と長野(東京にいた時期も)を往復した40年余り、威容を誇る妙高山の存在を知らなかったのだ。大学時代、1年生の夏に赤倉温泉で合宿し野尻湖とか妙高の間近に来たはずなのに。

それが、あるとき、高速で通った春、「なに?!あの山は!」と叫んでしまった妙高山の驚異的姿。そう、高速ができて富山から長野まで車で行くようになったのは父がなくなった平成10年からだったかもしれない。電車の時は気がつかず、そしてその後も、こんなふうに美しい姿を現したことはめったにない妙高だったから、初めて姿を見たときは驚き以外何ものでもなかった。(実際には妙高山を赤倉山と大倉山が挟んで妙高連山みたいに)

それに、この妙高高原は交通の難所、というより天候の難所で、暴風雨と暴風雪と濃霧に見舞われ遭難するかもしれないと思ったことも何回か。
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妙高山(みょうこうさん)は、標高2,454mの成層火山。日本百名山、北信五岳の一つで あり、その中では最高峰。妙高戸隠連山国立公園に属している。
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やがて妙高の山々は右前方から右手へそして右後方へと去って行く。
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妙高をたっぷり堪能し(でも走っている車からはなかなか会心の写真が撮れない)、次は小布施のSAがお決まり休息所。というより小布施products を眺めて楽しむ。 
ここまで来ると東御・湯の丸インターもあと1時間。なんと言っても雲のかけら1つ見えない今日の青空・・・

弟や従姉妹たちとの会う時間に間に合うよう故郷佐久市へ向かう。そこにあるのはあの浅間山・・・
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生まれたときから見てきた浅間山 我が家とは少し離れたところから  やはり晴天の空の下に輝く
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浅間山(あさまやま)は、長野県北佐久郡軽井沢町及び御代田町と群馬県吾妻郡嬬恋 村との境にある安山岩質の標高2,568mの成層火山。山体は円錐形でカルデラも形成 されており、活発な活火山として知られる。

神様に感謝の1日だったが、翌日は予報通りの小雪舞う暗く寒い日。 長野の最低気温はマイナス8度。朝起きたら室温は0度だった・・・。先日はマイナス12度の日があったとか。
雪はすぐ止んで、また高速で富山への帰途に。 ああ、長野から向かうときの妙高山がまた素晴らしいのに、今日は期待できない。 
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妙高は雲がかかっていたけれど左手の赤倉スキー場ではスキーヤーが見えた
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      やがて妙高高原を過ぎると日本海の香りが前方に

その昔、実家から富山へ帰る電車の中で、灰色の日本海に迎えられ、「ああ、また富山の毎日が・・」と、わが心もグレーになったっけなぁ〜〜。(笑)

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エジプト芸術と・・ 思い出

2017/01/20 00:03
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      エジプト展が富山にやってきた(1/13〜3/26 県民会館美術館)
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最近美術館からちょっと遠のく日々だったけど、この美術展はかなり早く昨日18日に駆けつけた。
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私は「エジプト美術 エジプト芸術 エジプト遺跡」にいつからか何故か惹かれるものがある。思い入れというか・・。
でも実は今回は・・「もしかしたらあんなTシャツが在るかも知れない」という鑑賞からはずれた邪道の期待(-_-;)。 

     〜〜〜    〜〜〜
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               NY メトロポリタン美術館2010年9月
もう6年余り前になる。初めてニューヨークに行き、メトロポリタン美術館で、素敵なご夫妻と初めてお会いした。メトロポリタン美術館に50年も学芸員としてお勤めだったかたで、エジプト芸術・遺跡が専門分野だと言われた。ちょうどその特別展が終わった直後で、ショップに案内して下さり、エジプトのファラオの装飾をデザインしたTシャツを2枚選んで下さった
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  メトロポリタン美術館にて NY富山県人会長土肥氏ご夫妻 2010年9月
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メトロポリタン美術館にも、後に行ったボストン美術館にもエジプト芸術・遺跡は素晴らしいものがたくさん展示されていた。(写真は2010年10月 メトロとボストン美術館のエジプト遺跡)今日も撮った写真をめくりながらしみじみとあの時の思い出に思いを馳せた。
      〜〜〜    〜〜〜

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                         富山展
この富山展、今日は時間が無かったので、まず入場するやショップへ行って、様々なエジプトグッズの中から、あの装飾を探した。
すると、・・Tシャツや装飾そのものは当然?無かったけれど、それらしき絵画や絵葉書が!
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                 パッケージに描かれていた絵   
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                      そして絵葉書 

その2枚のTシャツ・・・私は今でもお気に入りで大事にしているのだが、当時お土産として買って来たら周囲の人たちには不評で、とても着れないからいらない!というので回収してしまったのだった・・・(-_-;)(T_T) 確かに、特に金綺羅のほうは・・。でも、一人長年の英語友達のMさんだけはこの2枚のTシャツを見るや否や、「欲しい!」と言って早速翌日の会合に着て行かれた。当時78歳Mさん・・。
          これがそのTシャツ〜〜
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私の宝 この2枚のTシャツ!スポーツクラブなどで着てもうだいぶよれよれになってきた(-_-;)

2度と手に入ることはないと思いながらも、この富山のエジプト展に、まずそんな期待の動機で飛び込んだのだ。やっぱりなかったけど・・・・
私がこのTシャツが気に入っているのは・・・息子と歩いたニューヨーク、マンハッタン、ボストン&メトロポリタン美術館と、毎年富山を訪れておられる土肥氏夫妻の思い出がつまっているからだろう・・・。
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翌日からこのTシャツを着て! at ボストン美術館 モネの 『日本の娘』の前で (海外の美術館は写真OK・・・写真はメモリー濃度を10倍にしてくれる!)
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             好きな絵の前で撮ったのだが誰の絵だったか(笑)
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             憧れのケネディの生家(ボストン)へ・・Tシャツで・・・
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年末年始 〜2016年から2017年へ

2017/01/09 23:43
2016年年末
月日の過ぎる速さは年々ますますひしと胸に堪える。もう1年が終わってしまうのだ。
2016年師走にいろいろな仕事と行事が押し寄せる中、1週間ほど珍しく風邪気味となった。食欲はあるものの、1日珍しく37度5分の発熱もあったので1週間ほど家に引き籠った。後から人の話を聞くと、今年富山市で猛威をふるったというインフルエンザA型だったらしい。お蔭で年賀状が例年になく早く出来上がり、20日には投函できたので年末のお正月準備は余裕だった。

思い切って24日のクリスマスに、新幹線日帰りで長野の母に会いに行った。やはり母に会わないうちは今年の仕上げが出来ない。ついでに、第二の故郷上田でやっているNHK大河ドラマ真田丸館に行く最後のチャンス。『真田丸』は15日に最終回を迎え、ああこれは真田家の父昌幸と子の信之・信繁兄弟の絆のドラマだ、と最後に胸いっぱいに感じとったので、ぜひわが第二の故郷(高校時代、親から離れて3年間を上田で過ごした)をもう1度感じたかった。
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                新幹線はくたかで上田駅に降りる
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               この城内に真田丸館があります
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                    よくあるツーショット
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                臨場感あふれる館内のセット
壮大なスケールの「真田丸」を見て、真田家の歴史、偉業を初めて知ったが、中核は父と兄弟の絆がテーマであった!と、昔から私の周りの「真田一族」への心酔を感じさせる人々に思いを馳せた。富山でも、今は亡き親戚のHK氏は82歳で亡くなる晩年までいつも六文銭のついた巾着袋を愛着していたっけ。
少年の日から「真田十勇士」のファンだったって。

帰りに駅で信濃毎日新聞を買うと、『真田丸』チーフプロデューサーの屋敷陽太郎さんのインタビュー記事が載っていた。ラッキー! 
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 信濃毎日新聞12月24日版   屋敷さん、思い入れ強い『真田丸』の成功おめでとうございます


上田まで迎えにきてくれた妹の車で母のもとへ向かう途中、生まれて二度目となる北国街道海野宿(うんのじゅく・東御市)の宿場の街並みを見学
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母を訪ねて、濃密な?3時間を過ごした。今まで私が出した絵葉書や写真を見ながらお喋りしたり・・・私は旅の疲れで30分ほど夢うつつの居眠りの世界。まだまだ思いは充分ではなかったけど、バスの時間を待って夕闇の佐久平駅に着くと、駅前は絢爛豪華なイルミネーションの広場、新幹線の発車まで50分ほど凍てつく空気の中で光の世界に浸った。
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そして子どもたちを迎え大晦日とお正月がやってきた
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いつも大晦日になると不漁だったりして手に入らないカニを今年は何とか首尾よく手に入れることができ、みな大喜び

それにしても年末年始のわが労働は並々ならぬもの(笑) 三十余年の訓練の賜物だが、結局てんてこ舞いしているうちにいつもの如く、出し忘れたご馳走もいろいろ(-_-;)。
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いつもの我が家定番の料理のほか、元旦夜にはこんな大阪の名物今井の「うどんすき」セットが3つも届いて感謝
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 謹賀新年  2年連続雪のないお正月 家の屋根によじ登って立山連峰を
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                   近くの神社でお詣り
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        そのあと皆で元旦恒例の環水公園詣り
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ここ環水公園の「世界一美しい」スターバックスは満員御礼 屋外で熱い飲み物を

そして皆が二日に帰って行くと、夕方は今36歳のF中学卒業生のクラス会がホテル・グランテラスで。前のクラス会にも招かれたが、あれからちょうど10年、互いに10年ぶり、60人余りが集まった。半分以上が東京、など県外からの参加。懐かしい。でもすぐに名前がわからなかったらどうしよう、というわけで、皆が旧姓のままの名札を付けてくれたのはgood idea だった。
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そして翌日は思い立って金沢へ
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     壮麗な鼓門は加賀百万石の象徴 夕闇の中さらに威風堂々
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兼六園 前に来たのは13年前 ベスさんと、心理学会で講演されたスイス・バーゼル大学のシュタイナー教授夫妻を案内したなつかしい日を思い出す。
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 兼六園の象徴・徽軫灯籠(琴柱(ことじ)灯篭)の傍に鷺がいました
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今年も健康で良い年でありますように。
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Y くん父になる

2016/12/10 22:06
昨日 facebookを開けると、ひときわ大きな写真が飛び込んだ!

F中学ではちょっぴりユニークな生徒だったYくん。 今もかな(笑)
そこには第一子出産の感動が綴られていて、汗と涙の出産を終えた新家族三人の幸せ写真が!

(Yくんに facebookの写真と記事・ 掲載了解を得ました。本名出してもいいですよって・・)

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 12月8日 · #至福のひととき
#出産予定日 を4日越え#陣痛 38時間を乗り越えて、長男が#誕生 しました( ^ω^ )
一晩中ずっと付き添ってもなかなか出てくる気配がなく、痛みと時間に苦しんだ嫁さんを
どれだけ思っても、どれだけ身体をほぐしても代わってあげられない#無力感 さえも感じた。
ロクに食べ物も食べられず、水分補給しか出来ない中で、本当に#チカラのかぎり を尽くして頑張ってくれたお嫁さんに、本当に感謝と、愛を贈りたい!!
お互いに#ヘトヘト になりながらも、泣き声と共にお腹から出てきた瞬間、目を合わせ、またその瞬間に2人して#涙があふれた…>_<……>_<…

沢山の時間の中で、こんなにも愛を感じた瞬間はなかった!!
こんなオレと#夫婦 になって、こんなオレとの関係を、こんなにも大切にしてくれて#本当にありがとう !!!
これが新たなスタートだって分かってはいるけれど、改めて感謝と愛を込めて、#ありがとう、#お疲れ様、これからもヨロシクね ( ^ω^ )🐯( ^ω^ )
ちなみに名前は、人生を自由に翔びまわって楽しんでほしいの意を込め、飛楽(とら);です。
めっちゃ可愛いから是非愛でて下さいw



Y君とは1年余り前にfacebookで再会し「友達」になった。
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中学以来会ってなかったけど、彼の投稿記事や写真をみると、バスケットボール、スケートボード、が大好きなスポーツ少年、いや、もう33歳の立派な青年! 今年はスポーツでアキレス腱を切断して手術、長期の不自由な治療をしていた様子が時々足の写真と共にアップされた。「がんばって」なんて皆が書き込みで励ましていたけど、Wedding のニュースが今年の夏にアップされて、私も「おめでとう」ってコメント書き込んだっけ。
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支え合って生きていきます(。・Д・)ゞ
">#婚姻届 #カキコ
沢山の人と出会い、別れ、この出会いは今だから結ばれたものであり、きっとこれが最短の道のりであり、今までがあったから惹かれ合ったんだと、そう言い切れる、そんな人生最良の人と。
#全てが必然 #そう思わせる出来事たち
#アキレス腱断裂 でさえも。
#少し歩みを止めなさいと。
まぁ、あっちへフラフラ、こっちへフラフラ、と思ったらまた次ですかと!
いろいろご存知の方も多いでしょうが、これからは夫婦として歩んで参ります٩( 'ω' )و ٩( 'ω' )و
違う意味で夫婦であっちへフラフラ、こっちへフラフラして人生を豊かに過ごし、育んで参りまする(。・Д・)ゞ
式は来年を予定してますので、また追ってご連絡致します(。・Д・)ゞ
ホンマ#人生なにがあるかわからないから楽しいな (2016 7/11)

彼がパパになると知ったこの投稿・・これも感激だった。

">#嫁さん妊娠30週目 #オレみたいもんが親に #世界最高に愛され愛するぱぱになりたい ٩( 'ω' )و (9/27)
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嫁さんとウォーキング٩( 'ω' )و
明日は7か月検診٩( 'ω' )و
楽しみすぎで検診欠かさず付き添いw      (2016 8/10)


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#マタニティフォト ってやつ(。・Д・)ゞ撮ってきました٩( 'ω' )و
#小道具いっぱい準備 嫁さんの友達#千鶴ありがとう
#着飾らない #あるがまま #そんなスタイルが好き・・・・
#高校の同級生 に依頼。 帰ったら嫁さん家族と#かにパーティー
足1本で口の中いっぱいになるよな蟹!
カニ鍋と茹でカニとカニ飯、激ウマでした٩( 'ω' )و
ご馳走になり、本当に感謝感激でした٩( 'ω' )و
感謝感謝の1日でした。 沢山の人と出会って、イキイキした今がある٩( 'ω' )و
#人生最高な毎日 (10/17)

そして12月4日の予定日には・・・まだbabyは生まれなかったけど。
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      楽しい二人、いや三人です「赤ちゃん、待っているよ」と。


そしてトップに戻って、みごとHappy Birth!  沢山の祝福コメントに囲まれた二人でした。


 [追記] 1月7日 生後1ヶ月〜〜YパパのFBより
      Y君、素敵なパパやってますね〜〜!
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.#早い #早すぎるぜ #生後 #1ケ月
#おっぱいほしがりさん
おっぱいいらない時は首を横に振ってイヤイヤってするので楽チンです٩( 'ω' )و
夜はいい子に寝ている#息子ちゃん
#とら すくすく育ってくれてありがとう( ^ω^ )
#嫁さん いつもとらを大切にしてくれてありがとう( ^ω^ )

パパは家族のために#資格 を取ろうと勉強を始めました٩( 'ω' )و
受験は2ケ月後です爆
近年の合格率39.9%と30.9%なんだってさ爆
受かる?受からない?さぁ、みんなどっちだと思う???
パパはやってやんぜ٩( 'ω' )و

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富山市議会議員補欠選挙 〜八雲会公開セミナー 〜木村大作トーク [11月のメモリー]

2016/11/30 21:34
1)  11月6日(日) 富山市議会議員政務活動費不正辞職で13人の補欠議員選挙 

F属中学関係の二人の無所属候補者が当選!! 嬉しいです。一人は上野ほたるさん(32歳)2児のママで,働くママたちの代表、最年少というのでTV,新聞で騒がれました。 もう一人は3年前に中学校教師を辞めて今回再度市議会議員選挙に挑戦された島隆之先生。 正義感とやる気とガッツ、二人はきっと富山市議会に新風を吹き込んでくれることでしょう。
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  2児のママ  ママ友たちの応援が素敵だった 9位で当選 
 
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島先生は剣道部顧問で技術家庭の先生 絶対毎日発行する学級通信は生徒の心をつかんで引っ張っていった。 
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お金をかけない選挙を目ざして、1人でスピーカーをかついで演説。 でも先生は結果的にちょっと反省。 もしかしたらまさかの落選、ちょっとひやひやの結果だった。13名中11番目・・ 
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 3年前に教職を辞して以来、富山型学童保育経営と漁業が先生のなりわい。漁業は毎朝4時には漁港に参じて親方様のもとで漁獲。毎朝「今日の掘り出し物」の収獲写真をfacebookでアップ。
そのほか公立中学の剣道部の指導、特殊学級の指導や世話もボランティアでされている。
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二人は附属中学で師弟の間柄。ほたるさんは剣道部のキャプテンでもあった。 左は島先生のさらに?深い師弟関係であるH君。  無所属の二人は「政策チーム 光」という会派を立ち上げて市議会で頑張ろうとしている。
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2) 11月19日(土)八雲会公開セミナー『ハーンの世界に触れる』 富山大学中央図書館
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   ラフカディオ・ハーンの蔵書「ヘルン文庫」見学とハーンの作品の英語紙芝居上演

今年の参加者は33名も。 まず図書館5階のヘルン文庫に案内、元図書館司書で八雲会員の栗林さんがわかりやすく説明してくださった。
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          2435冊のハーン(八雲)の蔵書を納めたヘルン文庫
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     なぜハーンの蔵書が富山大学にあるのか・・に耳を傾ける

そして次は、八雲の作品を会員が手作りした紙芝居を上演。 今回は『MUJINA』と『若返りの泉』
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 ハーンの作品はみな英語で書かれている。その英語を生かして、英語と、そして日本語であとを追うように熱演して上演。今回は、図書館2階の広間にある、ハーンの生涯を描いたフレスコ画(丹羽洋介元富大教授作)の前で、初めてマイクなしの肉声で頑張った。
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2週間前の5日(土)夜、高志の国文学館の2階で、読み合わせ、練習。 紙芝居はやっているみんなが一番楽しんでいるかも。
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   元校長先生たちの英語&日本語セリフ演技力はただものではない! ノリノリ過ぎて大笑いで中断 


3) 11月24日(木) 久々に木村大作監督のトークショー 
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高倉健さんの三回忌というので、健さんと9本もの映画を撮ってきた木村さんの思い出トークと、健さんの映画『駅・ステーション』の上映。 映画の方は以前見たし時間がないので前から3列目でお話を聞いた。
相変わらず元気いっぱいの変わりない監督のトークに大笑いして元気をもらう。 点の記を追っかけたのは2007年2008年、今から9年前だ。監督はもう77歳だって・・・・・・!
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             健さんにもらった靴だとか・・・北日本新聞11/25

今年富山で撮影した、降旗康男監督、木村大作カメラマン、岡田准一主演の映画『追憶』について、そして来年は富山で木村監督で時代劇を撮るのだとか・・・夢、夢、大きな声で相変わらず夢を追って威勢がいいかたでした。
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池上彰さんの講演を聞く〜 富山市議会議員問題

2016/11/22 21:42
 『民意と歩む 議会は変われるか』 11月12日(土)9:30〜12:30
北日本新聞主催
 
    ニュースキャスター池上彰さんの基調講演・シンポジウム 
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内容は、当然ながら、この夏以来発生し、全国的にも名を轟かせた富山市議会議員の政務活動費不正請求とそれに関連した13人もの議員辞職問題について。この問題から、政治と民主主義の根本を考える・・・。

あらかじめ、北日本新聞社に参加申し込みはがきを出して、二人分の整理券を頂きました。(珍しく夫も同行・(笑)) 会場は快適そうなANAクラウンプラザホテルの鳳の間(800人定員)だったのも、かなり行く気になったのですが、何と何と開場前から長蛇の列。押すな押すなの意気込みで、参加者は、この市議会議員の不正問題への怒りが会場整理していたホテルのスタッフに向けられて? 「その口調が上から目線だ」とかつっかかっている光景が((+_+))。
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ちょっと早めに着いたので、かなり前の席がとれた。これも池上さんの表情をもしっかり拝見するため・・(笑)
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会場には、この4月に発端となった、市議会議員報酬月10万円値上げ決議問題を機に一連の政務活動費不正請求問題、13人の議員の辞職という事件が映像で流されていた。改めて、その汚い政党の体質、政治土壌に怒りが膨らむ。

それにしても、保守王国富山で、これほど政権に対して面と向かって抗議の声が上がり、マスコミに取り上げられたことはいまだかつてなかったと思う。地方新聞はほとんどイエスマンの御用新聞と言われていたから。

 そしていよいよテレビではお馴染みの池上彰さんが登場。
ちょうどアメリカのトランプ氏が勝利した大統領選の長期間の取材から帰国した直後だということでした。
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アメリカ大統領選のお話から、民主主義とは何かを考え、そして富山市議会の今回の問題にもいつの間にか迫って、深く考えさせられました。議会や議員の活動をチェックするのは選んだ市民の義務、そしてそれを後押しするのは不正を監視する目としての地方新聞の大事な役割であると。

1時間の45分くらいはアメリカの選挙制度やヒラリーさんの敗因、などなどで終わりそうでびっくりしましたが、そのことが必然の経路で私たちの(富山の)身の回りの選挙や政治的状況に結びついて、まさにこの後のシンポジウムの基調講演にふさわしいものでした。
1時間、全神経が池上さんに惹きつけられ、素晴らしい内容と淀みない話術(こういう言い方はしたくないけど)、一瞬も聴衆の心を逃がさない見事なお話でした!800人満席。
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              北日本新聞 11月13日(日)版

地方新聞の役割と言えば、今回これほどに不正問題が浮上し掘り下げられたのは、まさに北日本新聞という地方紙、そしてチューリップテレビというテレビ局の報道努力であったことを指摘し、政治を監視する地方紙の役割の大きさを語りました。また「その逆を言えば、今までこのように不正が何年間も続く状態を、マスコミは放置し何も取り上げようとしなかったし、監視してなかったことになります。」と言われました。

今回もたまたま、1市議会議員が議員報酬のことで取材した北日本新聞記者を小突いてメモを取り上げた、という横暴行為に新聞社がいつになく?怒ったことが発端だったと思います(revenge?(笑))。 今から思うと、小突いた議員バンザイ、と言いたいくらい不正追及の貴重なスタートとなったわけです。
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宇奈月温泉 & 黒部峡谷トロッコ電車

2016/10/24 11:18
10月17日(月) 大阪からお客さんが来て、宇奈月温泉へ行くことになった。
久しぶりの宇奈月温泉。 その昔、義父母が元気だったころ、親戚を呼んでホテル「延楽」へ行ったり、勤務校の3月送別会で毎年「延対寺荘」で1泊した。院にいたときは「宇奈月国際ホテル」で合宿、また数年前、弟夫婦が長野から双方の母親を連れて来て私も一緒に泊まったホテルもここだった。

今回は「ホテル黒部」、うちとは「親戚」ということで、今回目的があって初めて訪ねることになった。2002年公開の、富山出身・本木克英監督の『釣りバカ日誌13』のロケ地にもなったホテル。
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翌朝、ホテルの部屋から撮った黒部峡谷鉄道トロッコ電車の鉄橋 心配していた雨も上がって秋晴れ、紅葉の山々  
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                     ホテルの玄関へ
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前日は遅く出て来たのでもう暗くなった高速道路を黒部インターで降りて、到着したのは7時前。まずは私たちにとっては初対面の親戚(亡くなった義母の従姉妹にあたる女将さん)の方々とご挨拶してすぐに夕食。
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リッチな富山の食材のディナー  浪花のお給仕さんがオモロイ会話で笑わせてくれる
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    HPで見たホテルの大女将とお嫁さんである若女将とお孫さんたち
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(翌日)ロビーで、今回の目的である家系図の補足をしていただいて、大女将といろいろと思い出話を。彼女は朝日町泊の伊東家(江戸時代の十村という加賀藩の由緒ある家柄)からこちらに嫁がれた。彼女の母上は義母の父親の妹(明治40年生まれ)で我が家から嫁いだので、つまり義母とこの大女将は従姉妹どおしとなる・・という間柄。馬の血統しか興味ない人たちには混乱するかもしれないけれど(-_-;)。
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                 トロッコ電車 ホテル黒部号(笑)

さて夜の温泉は勿論快適だけど、朝の渓谷の風景に包まれて、その露天風呂はもちろん、大浴場も広い窓から紅葉の山が目の前に。
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ずっと緊張と多忙と不安の日々が続いていたあとなので、こんなに温泉が幸せに感じたことはなかったかもしれない。部屋も6階の最高の部屋をとって下さったらしく、秋晴れの朝、赤い鉄橋にトロッコ電車が走るのも見えた。

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ホテルのバスで1分の黒部峡谷トロッコ電車駅で10時の電車に乗った。紅葉のシーズンで、平日でもお客さんはほぼ満杯。
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          往きはちょっと高い窓付きの車両(窓無しは売り切れ)

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トロッコ電車が動き出すとすぐ向こうにホテル黒部が そして何とベランダであの給仕さんが大きな旗を振っているのが見えた!
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                立場を変えたらこんななのだそうです(笑)
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           脇を流れる黒部川は目の覚めるようなアクアグリーン
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           ;ヨーロッパのお城のようなロマンチックな発電所
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途中の駅で行き交うトロッコ電車と待ち合わせ・・・大勢の中国人観光客が微笑んでくれてこちらにも「シェシェ」(知っている日本語を駆使?)などと叫び、慌てて「ニーハオ」と声をかけるとにっこり、互いに笑顔で手を振って国際交流。
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道中の案内アナウンスは富山県魚津市出身の女優室井滋さんでした!

1時間20分、終点の欅平に到着。 大学2年のとき、友達と夜行列車で黒部に着いてトロッコ電車に乗った。終点に何かあるのだろうと、道中二人は居眠りばかり。しかし、欅平は単なる河原でしかなく、道中の眺めこそ楽しむべきだった・・という思い出がある。結局欅平からの帰りも夜行列車の疲れで、ひたすらごとごとのリズムに揺られて眠っていたので、ずっとトロッコ電車には乗り直ししなければ、と思っていたのだ。

あれから○十年。 欅平はすっかり観光地になっていた。
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秋の黒部宇奈月温泉&黒部峡谷トロッコ電車の旅でした。
ホテル黒部HP: http://www.hotelkurobe.co.jp/ 
黒部峡谷トロッコ電車: http://www.kurotetu.co.jp/
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音楽夢工房 初体験

2016/10/20 22:18
10月15日(土)、下新川郡朝日町泊(とまり)にある、情熱と精魂こめて造ったオーディオコンサートホール、 音楽夢工房へ。
高速で富山インターから富山県の端、朝日インターまで約35分。 まずネットのHPで場所と時間を確認して、秋晴れの午後の北陸道を急いだ。
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            音楽夢工房http://www.ne.jp/asahi/otoyume/home/ 

このオーディオホールは、かとうとしひささん(元高校物理教師・校長)の生家で、3年がかりでオーディオルームに大改造したもの。音響機器はかとうさんが試行錯誤で手作りした50年の歴史の集大成とか。
メインホールに入るといきなりバーンと圧倒するのは・・・世界一の音響効果を誇る大スピーカー。
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今日は、オーディオ素人の私には幸い、ベートーベン特集で、『英雄』『田園』ミサ曲など6つの曲のCDを、世界最高水準のオーディオ装置で、“生演奏以上”の素晴らしい音質で聴いて楽しもうというわけである。月に1回の愛好者・ファンのミーティングが行われている。過疎化する町の「町興し」の役割も意識しているとか。
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      2階の天井を抜いて吹き抜けにしたホールを上から見ると
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 30ほどの座席も、開会時間がくるとなじみのオーディオファン(中高年、男性が多い)で埋まっていった。

確かに、この音感素人の私でもお腹に響く感動。ベートーベンの力強い曲が響き渡った!
きっと眠ってしまうだろうと敬遠していたのが嘘のようだった。
やがて前半の3曲が終わり、二階の喫茶コーナーで 20分ほどのtea or coffee タイム。皆さん常連さんのようで、慣れたように階段を上ってお茶とお喋りを楽しんでいた。また2階から見える田園の風景を楽しんでくつろぐ人も。
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この休憩の合間に誰かが「例の夢工房のデモ曲をかけて!」とリクエスト。 するとみごとな太鼓?ドラム?をベースにしたまさにここならではの素晴らしい音楽が家全体に響き渡った・・・!あの太鼓の音は何だ!!!数分だがすごい時間だった。
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さて、喫茶室から階下の様子を見るとそろそろ次のプログラムの始まり。

実は、私が今日突然音楽夢工房を初訪問したのにはわけがあったのです。
 附属中学の卒業生で、ピアニストとして活躍されている戸島園恵さんが、ゲストでベートーベンの生演奏をすることになっていたからです。 今までずっと彼女のコンサートを逃してしまって、いつか素晴らしいピアノの腕前を聴きたいな、と中学校卒業以来の対面を楽しみにしていました。
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戸島園恵さんは、呉羽高等学校音楽コース、桐朋学園大学音楽学部演奏学科を卒業。
その後ドイツへ渡り、マンハイム音楽大学、同大学院を卒業(2013年)。各オーケストラとも共演を重ねる。第24回富山県新人演奏会にて、県知事賞並びに北日本新聞音楽奨励賞受賞。第39回パルマ・ドーロ国際ピアノコンクール(イタリア)第2位(1位なし)、第3回カラーリオ国際ピアノコンクール(イタリア)第3位、ニース国際ピアノコンクール(フランス)第3位受賞。これまでに、大坪亮子、川島伸達、ローベルト・ベンツ各氏に師事。
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この細身の体から、どうしてこんな力強いベートーベンの曲が飛び出てくるのか不思議なほど。 彼女のピアノから溢れる強い空気と風を体で感じた十数分でした。

生演奏以上のオーディオの音、というべきか、オーディオとは比較にならない生の演奏の素晴らしさ・・・と言うべきか、・・・実際の私の感想は・・目を閉じていたら、オーディオなのか生演奏なのか区別がつかない・・というものでした(-_-;) いや、どちらも素晴らしい! 確かにここでCDを聴いたら、自分のステレオプレーヤーでなんて聴けないだろう!
かとうさんのこの音へのこだわりは、この1,2年でいくつかの新聞、TV、雑誌にインタビューを受け、とりあげられた。
下は、5月に朝日新聞富山版に載った記事である。
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ハーンの松江でF中学同窓会?

2016/10/01 22:43
9月17日(土)のこと。夜明けからの激しい雨の音で目が覚めて、・・・結局その雨は止みそうもなく、新幹線日帰りで信州の母のところへ行くという昨日の決心を諦めざるを得なかった。晴れていたら市電で駅まで行くのだが、このどしゃぶりでは市電の停留所へ行くまでにずぶ濡れだろう。その日は送ってくれる家人がいなかった。

というわけで午前中は、今月はもう母のところへは行けないだろうと悶々としながらfacebookを見ていると・・・
昔F中の生徒だったK・T君の投稿が入った。

 [K・T] 
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大雨の影響で新見とかいうT山県にもありそうな田舎駅で2時間足止め食らっている件について。車体に施された「ゆったりやくも」の文字がもうそういう意味にしか見えない(笑)

ん? やくも?松江市?そういえば昨日のFBには彼のこんな投稿が。 
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電車の旅スタート。本読んだり寝たりスマホ触ったりぼーっとしたり。乗り換えあるけど21時頃までこの状態。幸せ。

K・Tくんは結婚1年の新婚なのに一人でえっちらと電車で松江に?出張??
なんとなく寂寥としていた私は、思わずこんなコメントを入れた。

大変ですね(-_-;) 松江へは「特急やくも」ですか。松江はアメリカ人ラフカディオ・ハーン小泉八雲が英語教師として最初に赴任した地、妻のセツさんと結婚したのも松江です。ぜひ八雲の住居を訪問してくださいね。(富山八雲会会員より)

するとこんな返信がK・T君から返ってきた。

 おおお、それは知らなかった!ぜひ行ってみたい。けど、ちょっと時間的余裕が無さげです。(でもこれを機に小泉八雲にもう少し目を向けてみます。)


しかしその1時間後、再び投稿されたK・T君の返信は何とこの写真!!
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彼は小泉八雲住居、小泉八雲記念館に行ってくれたのだった。写真は次々とアップされた。
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そして彼のコメントに・・・私のコメントがチャット式に始まった。

 小泉八雲、俄然興味が出てきました。(東大教師として)夏目漱石の前任だったんですね。漱石の夢十夜や坊っちゃんは八雲の影響を受けているとか。
そもそも出雲神話に興味を覚え島根に来た、ていうのがなるほどという感じでした。


  とうとう行ってくださったんですね! ありがとうございます。素敵な写真です。実は富山の八雲会員はみな行ったことがあるのに私はまだ行ったことないのです!

 先生、足運ばれたことなかったんですか笑
何気に時間があり、松江駅からわりと近かったのでサクッとタクシーで移動していま見てきたところです。
記念館も旧家も、規模は小さいですがなかなか良かったですよ。
八雲の本、読んだことがなくて。次に読む本は、彼の著作のどれかにします。まずは怪談系ですかね。


 八雲についてさすがKくん、要点を調べてくれました。 そうなんです、八雲は夏目漱石と深い関係があるばかりでなく、松江、熊本の旧制高校で英語教師をしていたとき、そして最後に東大で教壇に立った時、のちに日本のリーダーともなる高名な人たちを教えました。富山出身の愛弟子がいて、それが富山大学にある八雲の蔵書ヘルン文庫の由来となりました〜〜。八雲について関心を持って頂き嬉しいです。富山八雲会の会長中尾哲雄さんは学生時代ヘルン文庫で八雲の本をたくさん読んで現在の自分があるとおっしゃっています。  とにかくありがとう、嬉しいです!

 松江の尋常小学校で教鞭をとっていたようですが、この学校は現在の松江北高校で、この高校、(今はどうか分かりませんが自分が高校の頃)合唱部が強くて、その演奏が好きだったために、(それだけのことですが、)おお、となりました。
熊本では生徒たちや教師陣の気質の違いに驚いていたようですね。
影響を受けた人に志賀直哉や柳田國男なんかもいるとか。(っていうことなんかも記念館には詳しく記してあって、作品を読んだことの無い自分でも楽しめました。)


 八雲は単に「怪談」の作者だと思っていたら、実はもともとジャーナリストで、民俗学者で、英語教師でもあり、そう哲学者と言っていいほど。東大で八雲のあとの授業を夏目漱石が受け継いだ時、学生たちが八雲の授業を慕って、漱石の授業は理屈ばかり、と不評、漱石は嘆いたそうです。八雲の著書は沢山ありますよ。
 富山大学のヘルン文庫(5F)には八雲の全蔵書2500冊とともに沢山の八雲研究書や関係本があります。
ヘルン文庫は富山県の知の財産と言われています。なぜヘルン文庫が富山(旧制富山高校)に来たか、というのもドラマチックですよ。ではこのへんで。

この時、もう一人F中の卒業生Y・N君の投稿が入って来た。

 羽田経由で松江へ。羽田から先は天候調査中、、、飛びますように。

えっ、なんで同じ日にあんな遠くの松江にF中の元生徒が偶然にも・・・。あ、そうだ、このY・N君とK・T君は同学年・・・!とひらめいた時、O・R君のスレッドが入る!

 きっと飛ぶと思う!!遠路はるばるありがとうね!

ああ、そうだったの。今日はO・R君の結婚式だったのだ・・・と気付き、「O君におめでとうと伝えて下さい」とK君との会話の中に書き入れるとに、挙式を待機中O・R君のスレッドが入った

 先生、大変ありがとうございます。ぜひまた、きちんとご報告されてください。八雲と松江、そして富山の縁は、私にとっても意義深いものです。いつか、お話を伺う機会があれば嬉しいです

あれあれ、今日はFacebook上で嬉しいF中同窓会となった。八雲の住んだ松江に私も集合気分。

そして、この直後、O・R君は、「3年も前の話ですが、地元地方紙にリレーコラムを書くときには、八雲の話をさせていただきました。」と八雲を引き合いに出した朝日新聞のコラムを送信してくれた。さすが、八雲と富山の関係をしっかり知っていてくれたO・R君。
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思いがけず、FB上でO・R君とも再会を果たし、しかもここでも八雲が絆を。さらに思いがけず、飛行機経由で松江に向かったN・Y君が私たちのやり取りを見て、さらなる八雲取材をしてをFBに投稿してくれた。彼もO君の結婚式の帰りに八雲記念館を訪れたのだ・・
[N・Y] 
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小泉八雲記念館と旧居へ。
小泉八雲 ラフカディオ・ハーンといえば、富山大学ヘルン文庫、そして中学時代の国語のF先生による”耳なし芳一”の話が思い出される。
日本の伝承を、外国人(帰化したけれど)が集め、日本で海外で広まったことは興味深い。視力の障害があるが故に研ぎ澄まされる他の感覚、そして、なおさら”口伝の物語”がクローズアップされたのか。

ハーンがニューヨークやニューオーリンズにいたこともあり、3年前に訪れたニューヨーク、6月に学会で訪れたニューオーリンズ、となにかしらのご縁を感じてしまうのは思い込みかもしれないけれど。
ハーンだけでなく、本居宣長、ルース・ベネディクト、和辻哲郎、ドナルド・キーンを読み返そうと思う、雨の松江でした。

松江藩は松本城を治めていた松平直政が移封され、幕末まで松平家が治めていたところ。3月まで松本にいたせいか、ハーンのこともあり、俄然親近感が湧いてきました。町の大きさや文化的背景も松本に近いものを感じます。次は神話巡りもかねて松江・出雲を訪れたい。いまから帰途へ。

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八雲会に入る若者はほとんどおらず、会員平均年齢60歳? 今時、大学生はラフカディオ・ハーンと言っても小泉八雲と言っても両方の名前を知らない者ばかり(-_-;) 地元の小学校へ呼ばれてハーンの紙芝居をやりに行ってもそこの若い男性教師がハーンを知らなかった(-_-;) あのー、富山県人なら知ってよね、と思うが、それに比べ、この元F中生徒たちはどうだろう。

例え初めはほとんど関心がなかったにしても、私の呼びかけ(正直期待していなかったのに)に応えてその旧居に足を運んで短い時間に八雲も学んでくれた。あるいは文学医師?としてやっぱり記念館に足を向け八雲に思いを馳せたN・Y君。

松江に住んだO・R君は、富山に暮らした高校時代までにヘルン文庫のことを知っていたのか疑問だが、今は立派に富山の小泉八雲を意識して活躍しているのだ。ここまで八雲に関心を向けた32歳の若者たちに出会ったことがない!! さすがF中学卒業生!(^_^.) 3人はT大学の幼稚園・小学校・中学校で12年間共に過ごした。(O君とNくんは富山高校でも一緒ったので15年間!)
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ハーンも松江で小泉セツと結婚しました O・Rくん、おめでとう、お幸せに・・・。
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『強父論』 阿川佐和子著

2016/09/15 00:16
忙し過ぎたからか、活字を辿るエネルギーが失せたのか、春以来本から遠ざかった日々をおくっていた先日、「知的」友人と本屋に入った。 彼女はお目当ての雑誌(なぜか『Will』という右傾?雑誌 (笑))を買うと、私が「これ面白そうよ、FBでも盛んに宣伝していたわ」と指差した新刊書をさっととって代金を払うと、「あなたが先に読んで」と私の手にむりやり持たせた。というわけで読んだ本・・・
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それが『強父論』阿川佐和子(文芸春秋)2016年7月31日発行 1300円 

今、読んでるヒマないんだけどな、と思いつつ、いつものbedside reading で興味を憶えながらもゆっくりページをめくりはじめる。
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      強父 とはもちろん阿川佐和子の父阿川弘之である

阿川佐和子も阿川弘之も名前は充分知っているが、父親の弘之のほうは、月刊『文芸春秋』でよく記事を見かける人だと思っていたがその経歴などよく知らなかった。Wikipedia で調べると、評論家だと思っていたら作家であり、数々の高名な文学賞を受賞し、なんと1999年には文化勲章も受賞し、学士院会員だった。1920年(大正9年) - 2015年(平成27年)で、昨年94歳で死去した。 

なんか右翼に近いかたと敬遠していたが、陸軍を嫌い海軍に入ったというし、戦後、文学の師と仰ぎ師事したのは志賀直哉で、『強父論』にも出てくるが、遠藤周作、北杜夫、吉行淳之介などと仲良しだったのは意外だった。

そんな立派な方の、これは娘が書いた家庭内伝記であるが、読み始めてびっくり。 抱腹絶倒というのではないが、こんなことを書いていいのかな、と読んでいるほうがビビるような父親を描いている。 阿川佐和子はエッセイも沢山書いており、ずっと前に壇ふみとの共著『ああ言えばこう食う』だけ読んだことがあるが、最近ベストセラーだった『聞く力』は読んでなかったけど、確かに読み始めたら止まらない。今回の本のオモシロさは、仰天の父親像と共に、彼女の飾り気のない気取らない性格?とマイナスも臆せず暴露する文章の快感だ。何故か驚異と悲哀の場面にも明るさとユーモアが漂っている。

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それでは、いったいどんな仰天の父親像か?というと、「瞬間湯沸かし器」というあだ名通り、ただただ驚くばかりの短気で自己中心?の勝手な論理で、目の中に入れても痛くないはずの一人娘佐和子にも唖然とするような厳しい罵声を浴びせる! (ちなみに佐和子には兄と、年の離れた二人の弟がおり、兄は国際法専門の慶応大教授阿川淳之)

娘にもそうだが、妻(佐和子の母)はまるで奴隷のようにひたすら夫のご機嫌を伺いながら、「でも・・」とちょっとでも反論らしき言葉を発すると、怒りはさらにエスカレートし、車を停めて「お前はここで降りろ!!」と夜の車外へ放り出して走り去る。車の中の幼い佐和子は置き去りにされた母が心配で不憫でならないが、翌朝朝食の用意をしている母を見て心から胸をなでおろす・・。
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父は51歳の時に生まれた末っ子の弟には優しくて怒ったことはない。弟は生涯「二回」だけ怒られた、と思い出を語る。佐和子は「私は生涯二回だけ優しくされた」と回想・・。

とにかく不思議なほど言いたい放題のめちゃくちゃの父親だった。ああ、それにしっかり耐えて子供をグレさせずに立派に育てた母親はなんと偉い人だったんだろう・・と感心するばかり。
このような阿川弘之氏を知ってみると、私の父や夫の短気むちゃくちゃなんてぜんぜ〜〜〜ん大したことない、とつくづく思った。

そうだ、先日も、何気ないことでいらいらし始めて怒りはじめた短気な夫に「復讐!!」というツブヤキをした友人E子さんにこの本を早く紹介してやろう。
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晩年の3年間は病院生活だった阿川氏。こんな暴君父親の暴露本だったが、もちろんいくつかのエピソードの中に、彼女にも家族にも心底には尊敬と敬愛の愛情が流れているのを行間に感じるのである。

楽しい本を読んだが、今年はこんな本も楽しんだのだった。
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全部頂いたものである。感謝!(いや、右端のは・・・楽しんだとは言えないかもしれないが(笑)
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気がつけば葉月も終わり

2016/08/25 22:13
まだ猛暑真っ最中。 時々あちこちで台風に見舞われながらも暑い「夏」は続行中。学校スケジュールとは2年前におさらばしたので、「夏休み」なんて私にはもう関係ないけれど、8月もあと数日ともなると学生時代の、学校勤務時代のあの緊張と憂鬱が甦って来る。

それにしても、今年の夏は何をしたのかしら・・・・ただただただ忙しく、心理的に緊張し、プレッシャーにつきまとわれながら2か月が過ぎていった。いや、6月初めから3か月か・・。
同窓会の総会、八雲会の総会、思いがけない親戚の急逝という不幸・・・などなど・・と身近に慶弔が慌ただしく続き・・・お蔭様で食欲も減って2キロの減量(-_-;( ^)o(^ ))。

 市立図書館「キラリ」の5Fの録音室に閉じこもった時間は、7月半ばから1日2時間として延べ20日間40時間。
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ちょうど1年の音訳仕事の70%ほどがたまたま一度に当たってしまった。7月17日から31日までの14日分朝日新聞『天声人語』を録音しデジタル編集するのは、3年目の私には孤独でプレッシャーだった・・・。
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何度読んでもうまくいかない・・・。口中音が入るし、一定の調子が出ない。全部録音し終わり、第一回の校正(音の校正は耳から聞いて)では、今までの人生で標準語アクセントだと信じて使っていたいくつかの語が・・そうではなかった、という衝撃的発見に打ちのめされ、自信喪失。
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ようやく、それをクリアしたと思ったら、エッセイ3編の朗読が・・・。お盆の中で暇がなく、締切の三日前に3つ分の朗読をするというのはあまりに暴挙だった。 ただ今なお校正を待って、仕事続行中。

新米の私にはあまりに時間と労力がかかるから、つい友人のMさんにぼやくと「貴女が好きで選んだことでしょ」とにべもない(-_-;)

 忙しい中にも夏ならではの出会いの楽しさもあり〜〜
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                  お盆直前の長野で
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       東京からフレンチブルドッグのワンちゃんもやってきた
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               I love Shinsyu....Coco
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                帰省していた従兄弟たちと再会

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                    大阪からお客様〜〜富山を観光
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                    雨晴海岸・・立山は予想通り見えず
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                 お馴染み水墨美術館

 最も懐かしい再会
その1) Canadaから3年半ぶりの Joshuaさん一家! 楽しみにしていました。ALTでとっても楽しい英語授業のパートナーをしてくれたJoshuaさん! Jasminはもう3歳でした。前はお腹の中のbaby だったのに。
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           奥さまのHanaちゃんとCalebくん
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その2) 3年ぶり?4年ぶり? T校の留学生だったHくん、Mくん・・・と再会。Mくんの可愛らしいwife も何とmy studentだった・・・かわいいbabyにも会えて、本当に心温まるひとときでした。彼らの律義さと誠実さにはいつも感動です。そして率直な意見を控えめにもしっかり述べる姿勢には、こちらも思わず真剣に向き合ってしまいます。
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                回転寿司で Thank you for this nice opportunity!
        
                       
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Casablanca 10周年

2016/07/24 23:20
今日、7月24日。 このブログCasablanca in the Valley は10年前の今日始まった(ことを数日前に気がつきました)。
10周年だからこのaniversary 忘れないように一人で祝おう・・・なんて。

すると何と、朝PCを開けて Casablanca in the Valley を出してみると Top page アクセスがちょうど55555と並んだ! 10年目の記念日に私のアクセスが55555人目となったのでした

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          右上に確かに並んだ 00055555 の貴重な?数字 
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2006年、ブログがスタートした日の記事はこんなのだった。 何だかblog 素人の不可解なつぶやきが・・。

「紆余曲折ありましたが今日から始めます」 2006年7月24日(月) 
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Blogって噂通り簡単に出来てしまうもの,ということを発見しました。2,3日前,何だかもの淋しく,珍しくすることのない夜,友のBlogを読みながら,ちょっと出来心でクリックしているうち,何と My Blog 第一号が出来てしまいました。
ところが,悦に入りながら,ある部分を修正しようとしていると,何と別の第2号のBlogが出来てしまい驚きました。 それなら,と第2号は外国人のお友達向けに,と思い,英語版で書くことにしました。
翌日,友人のカナダ人の友にのみ,メールでその存在を知らせました。 彼は日本語も堪能なので,第1号の日本語版Blogも送ってくれとメールの返事が来ました。

で,第1号のBlogを開けて見ると,存在はするけれど,次の記事が書き込めなくなっていることを発見。初歩的なミス(無知)かも知れないけど,1つのサ−バーでは1つのBlogサービスしか受けられないようでした。
それで,今日パソコンに凝っている88歳の義父に Blogのテキストを借りました。
そこに様々なサーバーがあることを発見した結果,容量が大きいという点からこの『ウェヴリブログ』を選びました。 ・・・・中略・・・・
  と,今日はブログ作成顛末記でした。 作ったことは作ったのですが,仕事が休みのこの夏休み限定版となるでしょう。

   
    
このわけわからぬ記事?をスタートに10年も続いてしまったCasablannca.....。そうだ、ブログのタイトルを付けなくてはいけない、ということで、深くも考えず周りを見回したら、その頃見たDVD『Casablanca カサブランカ』が目に入って、結局ありふれた美名 Casablanca in the Valley と付けてしまった。あの映画のハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンも素敵だったし。

最近は月に1度の更新もままならぬ怠慢さだが、それでも10年もの間には、過去帳?をめくって数えてみると、542日分の記事を書いたことになる・・(-_-;)(-_-;) 

すると夕方、知人からメールが入りました。何とこのブログに関することでした。
何だか今日のアニバサリーにふさわしいメールでした・・。

 「御茶の水駅、催涙ガス」で検索したら、なんと、カサブンカに出会いました。
 聖橋の上での機動隊(起動隊となっていましたが、)と学生の衝突に遭遇されたのは、昭和の何年何月のことですか。 1969年、1970年?」


「御茶の水駅、催涙ガス」でヒットするのは2006年11月のブログでした。2006年とは、10年目にふさわしい記事でした。 初期のブログ記事、写真も少しで素朴です(-_-;)。今日の日を記念して掲載し1人懐かしむことにしました。2006年と、そして1969年を。

「東京 その3」  2006年11月4日
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                 お茶の水橋から聖橋を臨む

先週末の学会では,昔なつかしい母校の他にもう1箇所タイムトラベルした。
お茶の水駅から医科歯科側に出て,お茶の水橋を渡る。 30年前と全く様変わりした東京であるが,この橋とそこから見下ろした神田川(外堀)は今もあの頃と同じ風采をしている。下を走る中央線の電車も昔のままのオレンジだ。

ここに立つととてもなつかしい故郷のような感覚が甦った。なぜ?,としばし考える。 そうだ,とにかくこの橋を私はいつも渡っていたのだ・・。 大学1,2年のときは,杉並から中央線で大学に通い,この橋を渡り地下鉄に乗り換えた。3,4年の時は大学のまん前に住んでいたから毎日この橋を渡ることはなかったけれど,週末親戚の家に泊りこみ家庭教師に行くときここを通った。 そして卒業してからの3年間は市谷の勤め先の学校へ,この橋をわたって地下鉄からJRに乗り換えた。

学生時代,この駅のまん前に『丘』という喫茶店があり,クラブ活動のときや後に男子学生たちとミーティングした。 (当然のことながら今『丘』は見当たらなかった。)
忘れられない思い出は,あの学生運動たけなわの時代,学生と起動隊がこの橋の上でぶつかりあっている現場に遭遇したときのこと。学生は火炎瓶や鉄棒,機動隊はジュラルミンの盾と,警棒。テレビのニュースで見ている分には恐怖などほとんど感じないが,催涙ガスと火炎瓶の臭いの中で頭から血を流した学生を追いかける機動隊を目の前にすると,鳥肌が立ち体ががくがく震えた。

橋から電車の去って行く神田方向を見ると,「聖橋」がこれも変わらぬ知性的姿を現している。
「湯島の聖堂」「湯島天神」・・という 歴史的学問 の地ということで,自分は勤勉な大学生ではないのに,この橋を渡る時だけ気分は神聖な学問の徒となった。





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山下先生と森田高先生〜梅雨時の講演 

2016/07/17 16:48
 1) 浄土真宗 永代経の講話〜〜親戚のお寺の行事〜〜7月2日

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               立山町米道の善入寺

浄土真宗の盛んな北陸のお寺の行事。夏は永代経、秋は報恩講。永代経は報恩講よりもちょっぴり規模が小さく、他のお寺の住職がたは来られません。 朝からお寺に門徒さんが集まります。
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       午前中は住職の法話を聞きました
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朝から台所ではお手伝いの私たちが昼の食膳の用意して食事の部屋に並べます。
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    皆さんが手作りのお食事を「美味しい」と言って食べてくださる

さて、午後は第U部の講話、元校長先生/元美術館長等の山下富雄先生江戸時代から善入寺の境内で盆踊りとして歌われ踊られている「おけま」についてお話。今年は趣向を変えて、午後の「法話」は「講話」となりました。
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     「おけま」についてジョークを交え熱演する山下先生
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「おけま」とは「おけさ」の意味。佐渡、そして日本海側において、河川に沿って似た歌詞の民謡「おけさ」が歌われてきました。何故同じ歌詞、曲のおけさ(おけま)が新潟、富山、富山の奥地南砺市のほうまで歌われてきたのか・・・その秘密は江戸時代、日本海側を航行した北前船にありました。おじいさん、おばあさんたちが熱心に耳を傾けました〜〜〜!


 2)大学同窓会のミニ講演 「生命を守る政治の役割・・参議院議員6年を振り返って」 医師・前参議院議員森田高氏
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                      なぜか 剱岳・・・
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6月27日(日)、今年も高志の国文学館にて同窓会の総会。前参議院議員で医師の森田高先生より支部総会に先立ち、「生命を守る為の政治の役割」と題して講演をしていただいた。医師としての専門性と現場経験を背景に、総務大臣政務官として数々の政策、例えば東北メディカルメガバンク、各地域における医療情報通信政策実証事業に携わられた経験などを伺った。
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         筑波大医学部を卒業、泌尿器科研修に入って15年・・・
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   40歳で・・なぜかこんなことに・・・(笑) 現役を破って当選
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   持ち前のガッツ、全身全霊をかけて国政に取り組む
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初当選の1年生議員だったにも拘わらず、その専門性や持ち前の能力故に重要なポストを与えられ、存分に燃焼した6年間だった。予定通り1期で辞して医療の世界に戻って早6年がたつ。 この7月より「医師免許を頂いて25年目、漸く郷土に着地しました」と富山県に戻って来られたとか。

その博識と、「地頭の良さ」と爽やかな弁舌、頭の回転、(政治的思想は必ずしも一致しないけど・笑)多岐にわたる趣味の世界でも、何事にも真剣に全力で取り組む姿勢にはいつも感服している。その彼の素質とキャラクターが存分に伝わった講演だった。
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      講演が終わって何人かが質問とコメントを

[ 森田高氏プロフィール]
1967年(昭和42年)7月22日生 48歳
富山大学附属小学校、附属中学校、富山高等学校理数科 筑波大学医学部
趣味 スキー(1級)、将棋(3段) ハンドボール(大学)  (競馬 / 麻雀 ←冗談)   登山(日本登山医学会認定登山医)  立山ガイド協会医療アドバイザー、 NPO法人あわすのスキー場ドクターパトロール
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厳しい課題と修行をクリアしてめでたくもこの講演の3日前の認定日付が!
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森田先生の趣味の世界 スキーと登山 この冬も30日滑って生涯の友・剱岳にも早くも2回登る (2016年5月 剱岳八つ峰) 
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エベレストへの道 〜芦峅寺での講演

2016/07/03 21:45
 講演『エベレストに挑む』〜立山ガイド・佐伯知彦さん(立山町芦峅寺)
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先月 知彦さんが登ったヒマラヤ Mt.MearPeak(メラピーク)6、654m(知彦さん撮影)
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             佐伯知彦さん 38歳  5月初め

非特定営利活動法人「立山エベレスト友好協会」の28年度総会が6月12日(日)立山町芦峅寺のふるさと交流館で開かれ、立山ガイドの四代目平蔵佐伯知彦さんが、昨年挑戦して高原病という思わぬアクシデントにあい断念したエベレストだったが、今年再度ヒマラヤの高峰に挑戦した経験を中心にお話された。真っ黒に焼けた山男知彦さんのヒマラヤ体験を共有・・・。
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立山エベレスト協会総会でスライドを見ながら元気にヒマラヤのお話をする知彦さん(芦峅寺・ふるさと交流館)

ネパールのメラピーク、一度は行きたいヒマラヤ6000m峰と、知彦さんは、登山家の先輩、シェルパさん、ポーターなど6人チームで、高度障害に注意しながら行動(去年まさかの高原病で撤退したので)、ネパールの首都カトマンズを出発して11日目、5月7日自己最高峰記録の山頂に立った。
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                   メラピーク登頂!  2016年5月7日
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           先日 Mt.MearPeakの『登頂証明書』が届きましたそうです。

日本の北アルプス立山連峰の登り口である立山町の芦峅寺と、ヒマラヤ連峰の登山口であるネパールのクムジュン村(3790m)は姉妹都市となり25年、互いの町や小学校を訪問交流してきた。知彦さんも芦峅寺小学校の6年生の時第1回目のクムジュン村訪問団で参加したとか。ヒマラヤの本ものの山々を目の前に見て、立山ガイドとして祖先から受け継いだ稼業を継ぎ、四代目平蔵を名乗る知彦さん。立山ガイドとしてNHKの山の番組に出たりされている。
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        芦峅寺とネパール、クムジュンの繋がり(スライド)
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                    今も残る地震で倒壊した家
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「カトマンドゥで 髪切りました。ネパールで、今 流行の“イケてる感じにして下さい!!”と注文(笑)」←知彦さん談 自己最高峰記録を達成しカトマンズで髪をカット?(知彦さんのFacebookより)

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       共にメラピークへの苦難と闘った仲間(知彦さんのFBより)
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天上の楽園・・・今年2016年4月の「ヨーロッパ・ヒマラヤスキーの旅」より(FB)

 佐伯知彦さんのエべレストへの夢 
私は、現在エベレスト登山に挑戦しています。具体的には2018年5月を目標に計画しています。世界一の頂きへの挑戦と、富山県人第一号登頂者というおまけつきです。なんと、意外にも富山県出身者でエベレスト登頂した人はまだいないらしく、その座も狙っていきたいと思っています。
しかし、私の登山経験での最高峰は約6500m。8848mへまだ、2000m以上も足りません。・・・・・
(特定非営利活動法人立山エベレスト友好協会 会報 14号 2016年6月12日発行より)

さて総会も行われ今年度の事業計画も発表され、あとは芦峅寺の方々の山菜手料理を頂き山の話に花が咲く。
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すす竹の天ぷら、ゼンマイ、ワラビ、ヨシナ、何と美味しい山の料理。 そこに佐伯友彦さんという70代後半の有名な立山ガイドのベテラン が来ていらしたので、さっそく隣りでお話を伺った。佐伯友彦さんは、30年前にNHKで放送された立山ガイド、立山山岳警備隊のドキュメンタリー番組『プロジェクトX』に実名で出ていらしたかただ。のちに漫画にもなったのも読んだ。友彦さんは亡くなられた髭の三笠宮殿下を剱岳登頂へガイドしたそうだし、また有名な父の文蔵さんは、新田次郎を剱岳山頂に案内したという、私の興味深々のお話を聞けた。

 >[知彦さん情報追記]  今、立山(雄山)は県内の小学生の登山学習が始まった。
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  7月12日 雄山登山の小学生を案内する知彦さん 雄山頂上で(facebookより)
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英語&日本語紙芝居 『若返りの泉』 みんなで♪〜練習〜♪

2016/06/23 14:33
今年も八雲会総会&公開セミナーが近づきました。

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             八雲会副会長木下晶さんの恒例のチラシ

6月26日(日)高志の国文学館にて 
 1:30p.m.〜 富山八雲会総会 
 2:00p.m.〜 プログラム第T部 英語と日本語紙芝居『若返りの泉』

というわけで今年の八雲会総会&公開セミナーではハーンの再話作品『若返りの泉』を上演することになりました。(昨年は『団子をなくしたおばあさん』)

2009年秋に、八雲の縮緬本の作品5品が会員の手によって英語と日本語の紙芝居になりました。
『若返りの泉』は私が担当し、作品を12の場面(絵)にして絵を描き、ハーンの英文にできるだけ忠実に改作して、日本語をつけました。 5つの作品の中では私はこの『若返りの泉』が内容的にもっともわかり易く面白いと思っています。

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    ついでに脚本も、調子にのって日本語を富山弁にしたり・・・


こちらは2014年10月4日の学遊祭で上演(教育文化会館にて)。 吉田さん 茂木さん 平井さんと  (姿は見えませんが、木下さん・弥一さんもいます)
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『若返りの泉』は八雲会ヘルン文庫ツァーや富山県民カレッジ学遊祭、また富山市内の小学校、県の紙芝居コンクールなどで5,6回上演してきました。 2014年(平成26年)には富山県紙芝居コンクールで優秀賞をゲット!
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さて今年の富山八雲会総会&公開セミナーでは久々にこの『若返りの泉』を上演することに。 (実は私は当日他の会合と重なってどうしても参加できないのです(+_+)。) 
6月16日(木)夕方5時半〜6時半、教育文化会館のカレッジの部屋を借りて練習することになりました。 みなさん、忙しいお仕事を終えて駆けつけてくださる。
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今回のキャスト全員集合。 初めて参加のかたもおられるけど皆さんベテラン  元県立高校の校長先生たち(英語・国語・化学)の演技力豊かな声色はただものではない!
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3回ほど読み合わせすると充分のりのり あとは10日後の本番待つばかり
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たった1回の練習でもさすが熟年紙芝居 本番でとちったり出忘れたりミスをしたことはいっさいありません。
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             練習も楽しそうですね〜〜〜♪
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我が家のアジサイも雨に濡れて ただいま梅雨本番・・・6月27日はラフカディオ・ハーンの誕生日(1850年生誕)です。
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梅雨時のお別れ

2016/06/17 00:26
 NHK富山放送局で4年間、報道記者として数々のニュースや場所に独自の視線で光る報道をされてきたK記者がこのたび6月11日に首都圏の局に移動となりました。
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            八雲会のメンバーでお別れ会

Kさんと出会ったのは、2013年10月に富山八雲会が『ラフカディオ・ハーンの英語教育』(富山大学ヘルン文庫・平川祐弘監修 弦書房)発刊記念セミナーを開催した時のこと。 明治時代、英語教師ハーンが熊本第五中学校で行った英語授業を、当時の生徒が筆記したハーンの授業である『ラフカディオ・ハーンの英語授業』に書かれているそのまま、富山大学のタランディス准教授が再現してくれた。富山大学でのこのパフィーマンスを、NHKはじめ、KNB,BBT,チューリップTV、や各新聞がニュースで報道した。
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  2013年 黒田講堂でハーン先生の授業に集まった約120人の観客
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                 KNB 北日本放送ニュース
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                    NHKニュース
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                    高校生も生徒役でいっぱい・・

初め、私たちは漠然とハーンの授業を再現する、という企画を立ち上げたのだが、「ハーンの授業」にまとまりと中心軸を持たせて、立派な仕上がりにしてくれたのは、企画を知って練習段階から取材をし、良きアドバイスをしてくれたKさんのお蔭だった。 ハーンの授業の特徴を的確に端的に引き出し(私たちの方がよく知っているはずなのに)、それをタランディス先生の演じる授業に生かしたそのプロの力に、私は終始、そして大成功のあとは特に、目を見張り、つくづくと感嘆したものだ! 
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        ヘルン文庫でのリハーサル  時にはKさんも取材に
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  タランディスさんがハーンに扮して袴を着たいと(実際はハーンは教室では洋服)

特筆すべきは、Kさんがラフカディオ・ハーン(小泉八雲)に特別な思い入れがある、ということ。Kさんは、富山へ来られる前、松江、熊本、とまさにハーンの教師としての赴任地にお勤めで、(なんともう1つのハーンの居住地である神戸、それはKさんの生まれ故郷だとか)富山へ転勤となり、なんとここにもハーンゆかりのヘルン文庫があってびっくり。 それゆえ、それらの赴任地でも富山でも、ハーンやヘルン文庫に特別な思いを持って報道してきたということだった。

その後、Kさんは、富山刑務所で長年続けている全国でもまれなディスクジョッキーをされている住職さんのことなど、社会派的な報道を続けておられた。

お別れ会で、改めて取材や報道への思いや熱意を語ってくれた”熱い”Kさんとの別れを惜しんだ。このところ、NHKのいろいろに眉をしかめ心痛めることが続いたが、Kさんを見ているとまだまだ私のNHKは捨てたものではない、と思ったことだ。

 Kさんからのお便り〜〜
ようやく・・・一段落がつき、こちらでの新生活が始まりました。
14年前にT局での経験があるとはいえ、干支の12年を上回る年月が
経過したなか、かつての経験や先入観は抱かず、今の自分の視点や考え、
発想を生かしながら、取材活動に力を尽くそうと思っています。
富山を去ってから、まだ4日しか経っていないのに、富山での日々が
夢のように感じられ、愛おしいやら、寂しいやら、複雑な思いが交錯しています。
富山時代は、本当に幸せな日々でした。
皆さんもお体を大切に。皆さんのご活躍を祈念しています。
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初夏の風 初夏のできごと

2016/05/25 13:57
 4月末からGWまでの砺波チューリップフェア。今年は長野から従姉妹たちが新幹線の日帰りで。長年の念願が叶いました。
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 なつかしい students が訪ねてくれました。三姉弟。学生結婚して学生ママの長女Nさんの可愛い2世も一緒に。今日は来れませんでしたけど他に姉妹二人の仲良し五人姉弟、みんな本当に仲良しの素敵な一家です。Hくんがみごと希望大学希望学部に合格したのでどどどっと押しかけてくれた!Congratulations!
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 魚津の海辺で、降旗康男監督・木村大作カメラマンの映画『追憶』ロケ主演の岡田准一さんは富山県警刑事の役とか。秋に公開、成功しますように!
 
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           ちょうど蜃気楼が現れた日でした
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撮影は海辺の高齢者施設で。  昼休み休憩の降旗監督と。この写真は出演していた安藤サクラさんが撮ってくれました。
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木村カメラマンと。1週間前の桜木町の居酒屋ロケ。岡田准一さんや柄本佑さんもいました。
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親戚のK夫妻と、いつもロケに同行の『剣岳』以来のお馴染み大澤嘉工記録映画監督。  ちょうど石井県知事も差し入れ表敬訪問に見えました。

 GoldenWeek in Toyama
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 ポーセラーツの素敵なお皿を作りました
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 お気に入りの模様紙を切り抜いて貼り付けます
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  ローズとアジサイを選びました。最後にイニシャルも入れてマイ・プレート。 これをイニシャルの人にプレゼントします。
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 製作のお部屋がN邸でまたエレガント・・・


 20年ぶりの再会
今年になって知り合いお友達になったフィリピン出身のRさん。いろいろお茶を飲みながらお話しているうち・・・
her husband は私の知っているTくんでした!  3人ともびっくり。そして何と嬉しかったことか。
一緒に食事をして、20年ぶりの再会を。 二人ともTOEIC満点の「腕前」。Tくんは昔と面影変わらぬ爽やかな若者に。20年のブランクが楽しいお喋りで盛り上がりました。
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佐伯彰一先生を偲んで

2016/04/21 12:43
お正月が明けた1月6日の全ての新聞は、佐伯彰一先生の訃報を伝えた。

― 文芸評論家、米国文学研究や翻訳、比較文化研究で知られる東京大学名誉教授、日本芸術院会員の佐伯彰一さんが1月1日午後、肺炎のため東京都目黒区の病院で死去した。93歳 ―
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佐伯彰一先生は富山県立山の麓、立山町芦峅寺の雄山神社神職の家に生まれ、生家は代々立山参拝者の宿坊の1つ「吉祥坊」を営んでいた。旧制富山高校を出て1943年に東京帝国大学英文科を卒業。戦後、富山大学文理学部で教えたあと米国留学を経て、東京大学、中央大学などで長く教える。・・・・
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 芦峅寺雄山神社 元旦に亡くなられた佐伯先生だが、本年の年賀状に雄山神社写真を入れて佐伯先生を思い出していたのは偶然で感慨ひとしおである。

客員教授としてアメリカやカナダの大学でも日本文学を講義、日米の現代文学や自伝を通しての比較文化研究に取り組んだ。三島由紀夫研究でも知られ、三島由紀夫文学館長、世田谷文学館長を歴任。また立山博物館名誉館長、富山市立外国語専門学校名誉校長など、郷土の文化振興に尽力、その功績は計り知れない。


畏れ多く、残念ながら私の師とはとても呼べない高い雲の彼方の先生であるが、・・・・・・この本が19歳の私が佐伯先生に出会った最初である。
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大学2年、アメリカ文学の酒本雅之先生の授業で参考書として与えられた。その時、佐伯先生がそのように有名な方で、しかも富山県のご出身とはまったく関知しなかった。(そもそも私は富山県にはまるで関係なかったのだから) でも、何故かこの『アメリカ文学史― エゴのゆくえ』 は忘れられないテキストとなった。 

その後私は30年前から富山に住むことになり、佐伯彰一先生と富山がやっと私の中で結びついた。かつて富山大学で先生から英文学の講義を受けたという83歳の友人が、佐伯先生の人柄と授業に並々ならぬ感謝と敬意を抱いておられた。

そして東京大学比較文学文化研究室で主任も務めた佐伯先生を、同研究室で後輩同僚であった東大名誉教授平川祐弘先生も追悼文を寄せている(産経新聞)。
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(平川先生は2013年に高志の国文学館で佐伯彰一先生について講演をされた)

訃報後、多くの人、多くのメディアが佐伯先生を追悼し功績を伝えているが、中でも、すでに生前の20年前に佐伯彰一先生を特集した1997年版第15号「とやま文学」(富山県芸術文化協会発行)は圧巻である。
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        特集・佐伯彰一  ―拓かれた文芸批評と自伝研究の地平―

この特集の中で、平川祐弘先生が書かれた「批評家佐伯彰一を批評する」は、佐伯先生の知的底力、才能を具体的に語って大変印象深いものだった。(いつも辛口の平川先生が佐伯先生を賞賛されているのはなぜ?と思っていた)

 「・・・・佐伯氏の批評家としての力量に驚かされたのは論文審査の時・・・佐伯先生は読むのも早いが判断が適格」「判断のバランスがとれていて・・・決定がすばやかった」 「頭の回転が速く、よどみなく話し、文章もその通り、類稀な才能を生かすのにふさわしいスピードで次々と読み、考え、連想して、書いていく・・・」

また、日本の小説至上主義を批判し自伝文学の意味を世に提示したことなどの佐伯先生の偉業も、

「自己の批評眼への信頼と読書量、・・・・・これだけの読書体験を自在に生かせる批評家はこの地球上に稀だ」と。 

比較文学と言う境界無き学問に要する読書量を思っていつも卒倒しそうになるのだが、その平川先生が、「佐伯先生の読書量は私の比ではない」とおっしゃるのだ(ー_ー)!!

 春の宵、東京神田の学士会館で「佐伯彰一先生を偲ぶ会」(東大院比較文学比較文化研究室主催)が開かれた。
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富山県のテーブルには、佐伯先生とは長年深いご親交のあった方々、前芸文協会長で富山大学名誉教授のH先生や前立山博物館長のY先生も。現芸文協会長のYI先生は東大で佐伯先生の講義を受けられたとか。「とやま文学15号」中でH先生が、佐伯先生にインタビューし、佐伯先生がご自分の戦中戦後の数奇なアカデミック人生を語っておられる記事は感銘的である。
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 最後に佐伯先生のご子息泰樹氏(東工大教授・アメリカ文学)がご挨拶
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         お見送りされるご遺族

佐伯先生は、2001年のラフカディオ・ハーン没後百年で八雲会で講演されたということ、1度だけでも先生のお話を聞けなかったことが大変残念で仕方ない。 佐伯先生の著書は、アメリカ文学史と数年前に買ったこの2冊しか手元にない私ですが・・(-_-;)
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TV その(2) 〜「あさが来た」 が終わった

2016/04/08 15:21
最終回が今世紀最高の23.5%の視聴率となったというNHK朝のドラマ「あさが来た」が4月2日(土)に終わった。
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                最終回4月2日放送

朝ドラを半年通して見るのは3年に1度くらいの私だが、今回はスタートした時から毎朝熱心にテレビに向かった。
(まあ、私の感性は平凡で、ほとんど国民大衆と一致しているらしい)

何故そんなにはまったのか?
と、今ふと思いつくままに軽く分析してみると・・・私の好きなドラマとは?

1.幕末・明治・大正・・・・・・・現代ものより、近代日本が開けてくるこの時代背景が好き。今回は明治維新を迎えた大阪の商人の生き方、苦闘(生き残り・消滅)を描いている。
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2.実在の人物・・・・大同生命や日本女子大学を創設に尽力した、当時では珍しい女性実業家広岡浅子がモデル.。
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3.史実に沿ったストーリー・・・・主人公が実在の人物ということは、細部や部分的にフィクションは多いだろうが、一応ノンフィクション風ストーリー。「あさが来た」でも大久保利通や福沢諭吉、大隈重信、渋沢栄一、五代友厚、平塚雷鳥などが出てくるのはリアリティがあってなかなか楽しく面白い。
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                        大隈重信
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4.配役・キャスト・・・・大きな要素。主人公あさ役の波瑠の物怖じしない活発で明るいキャラクター、賢く、商いや事業に対する尽きない夢と同時に周囲への優しい気配り。また夫新次郎役の玉木宏が抜群だった。新次郎は一見ノー天気で、どんなときも深刻ぶらず決して威張らない、寛大で優しいキャラクター。常に妻や弟の後ろで二人をしっかりと支えている。そして大阪の経済を確立したという五代友厚役のディーン藤岡も大評判に 確かに新次郎と並んでステキ素敵な注目の二人だった。
その他宮崎あおい、柄本佑、辰巳琢郎、風吹ジュン、などの脇役も一人一人が存在感にあふれ印象深く楽しめた。
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5.主人公の生き方への共感・・・・いつも前向き、次々と時代の大ハードルに挑戦し乗り越えていくあさ。現代にあっても新たなものに飛び込んでいくには大きな勇気がいることだが、あさは持ち前の好奇心と勇気と努力により、「ファーストペンギン」として人生を切り開いていく。 難題にぶつかったとき、私たちの「きっとうまく乗り越えていくだろう」という期待を裏切らず、安心して見ていられる。 主人公が奥ゆかしくじっと逆境に耐えて行くストーリーは、苦しくてイヤ。心痛めず安心して見ていられるドラマ、 私にはこれが一番!
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6.家族愛・・・・江戸時代の両替屋から近代の銀行へ、そして炭鉱業へ、保険業へ、と時代の先を読み、事業を拡大していく主人公だが、自分が生まれた家族や夫婦の間はもちろん、義理の両親、夫の兄弟とその連れ合い、昔からの従業員などなど、反目したり争ったりすることなく大家族が仲良く一丸となって生きていく姿は素晴らしかった。なかなか、特に現代ではありえないような大家族の姿だと思うが、見ていて安心、ほんとに気持ちが良かった。ドラマの世界ならではのこと・・と思いながらも。
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2008年に放映された大河ドラマ『篤姫』は個人的な好みながら私がのめりこんだ最高のドラマ。何度繰り返し見たことか。 
まず思ったことは『あさが来た』と大変共通した部分があるということ。この上の5項目を見ると全部当てはまり、なおかつ私を楽しませてくれた大きな要素が!!

それは主人公あさや篤姫の着物姿
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                      『篤姫』  宮崎あおい
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         あさの着物姿も抜群でした
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                 新次郎の着物姿もなかなかの風情
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ドラマの付録として、あさの着物姿も篤姫の着物姿も、その都度しみじみと味わいました。
あさ役の波瑠さんも篤姫の宮崎葵さんも、背が高くすらりとした美人だったので、着物がほんとに似合いました!  そしてこれらの美しい着物を着ている二人は、当時の日本では最高の地位と財力のバックグラウンドの中で生きる二人でありました。

こんな美しい衣装を着て、強い意志と決断をもって周りを引っ張っていく聡明さに惹きつけられました!
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TVその(1) 〜 3月で番組を去った二人のキャスター

2016/04/05 22:51
ふだん、あまりTVを見ないが、それでも比較的見る機会が多い番組がいくつかあります。
そのうち2つの報道番組で評判のキャスターが二人、3月をもって長年続けてきた番組を降りました。

1人は、NHK「クローズアップ現代」の国谷裕子キャスター。
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3月17 日(木)7:30〜8:00pm  最後に国谷キャスターが「23年間続いた番組も今夜が最後となりました。」と挨拶をされました。
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本質を突いて迫るキャスターとしての信念、いつもほんとに素晴らしいインタビューでした。印象的ないくつかの番組の中でも、たまたま見ていた、菅官房長官に安保法案について鋭く迫ったインタビューは秀逸でした。 番組が終わるのが残念でなりません。(あわててカメラを向けました) 鋭くも女性的な柔らかさで理論明解にインタビューし視聴者に語りかける国谷さんには感銘と尊敬の念そのものでした。

もう一人は、テレビ朝日の報道ステーション、古舘伊知郎キャスターです。
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報道ステーションで司会を12年間続けた古舘伊知郎さんが31日で出演最後というので、30日からしっかり見ました。
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30日は、以前4年ほどコメンテーターされていた元朝日新聞編集委員の加藤千洋さんが特別出演(加藤さんは私の友人のご主人)相変わらず、優しさと知性と品性に満ちた方でした・・・

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31日の番組最後の古舘さんは、最後の8分ほどを報道に対する自分の思いのたけを語り、その語彙の芳醇さと信念ある雄弁に圧倒される素晴らしいフィナーレでした。ネット上に非常に多くの視聴者から感動のメッセージが寄せられていました! 

古舘さんが降りられることは本当に残念ですが、さらにより良い報道番組が新しいキャスターと共に引き継がれることを祈るばかりです・・・・!
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テルアビブの犬

2016/03/16 00:25
音訳ボランティアに関わって2年、実際に新米としての仕事が始まって1年が経つ。
3月初めに、先輩会員のかたから電話があった。
「単行本の録音が終わったので校正お願いします。明日の全体反省会のときお渡ししますね」

というわけで、とうとう「校正」初体験をすることになった。実は昨年秋に声をかけられたときは、私の頭はパソコンでのデジタル編集にパニクっていたので「すみません、今はとても余裕がありません。もう少し先にお願いします」なんて情けなくも逃げていたのだった。

午前中の会議の前に、ベテラン会員さんから渡されたのは『テルアビブの犬』という本だった。初めて見る本だ。 新書よりは少し大きなサイズでソフトカバー、200ページほどの本だったので少しほっとする。

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                2015年9月10日発行 文芸春秋

会議中にぱらぱらとめくってみる・・・・・

まず「テルアビブ」という地名・・・私の頭に思い浮かぶのは、あのイスラエルのテルアビブ空港、そしてそこでの無差別テロの乱射事件だ。日本中を、いや世界中を震撼させた事件だった。

表紙をめくると目次があり第一章から第九章まであった。そしてまためくると・・
第一章の前に前書きらしき文が・・
   
   ローマの空は明るく、風は甘いです。町は光にあふれています。
   少年時よみふけった、ブリュータークの思い出が町の至るところで、
   僕を熱くさせます。仕事がすみしだいお二人のもとに帰ります。
   ではお元気で。 さようなら。
                               ――奥平剛士

やっぱり・・・この名前はまさに乱射事件渦中のその人。古い記憶が甦る。といっても思えばはるか40年以上も昔のことだ。

第一章を読み始めてみると、こんな文が目に留まる。

     日本海を望む寒村で生まれた少年の名前は、ツヨシといった。

なんと、この本は実名が出ている以上、奥平剛士の自伝的小説なのだろうか・・。珍しい本が、しかも「音訳」の仕事に入ってきたものである・・と思いながらパラパラと、ところどころめくって飛ばし読みしてみた。

   少年と犬を取り巻く世界は、争いと憎しみに満ちていた。
   同じ年の同じ日、同じ瞬間にこの世に産み落とされたふたりは、
   寄り添う魂を持って生きる同志であり、過酷で理不尽な社会と闘う、
   勇敢な戦士だった。

そんな書き出しで始まる本に、私の頭の中では、あの無差別テロを起こし死んでいった奥平剛士の人生が浮かび上がって、これから始まる(自伝的?)小説に惹きつけられていった。
そして次々と目を見張るような非凡な生活状況が飛び込んできて、胸が苦しくさえなり始めていた。

そう・・・あんな政治的犯罪、無差別テロを起こすような人間は、こんな不幸な生まれで、こんな過酷な生き方をしてきたのだ。だから、あんな事件を起こしあんな風に死んでいく必然性があったのだ・・と自分に言い聞かせつつ。
でも、少し緊張で憂鬱な1校の仕事も、いい本が当たって良かった、と楽しみにさえなった。

家に帰って、薄れかけている曖昧な記憶を補足すべく、主人公―奥平剛士やテルアビブ空港乱射事件、をネットで調べる。(Wikipedia)
 
・・・・・1972年、5月30日。・・・パレスチナ解放人民戦線(PFLP)は「報復」としてイスラエルのロッド(テルアビブ)国際空港を襲撃することを計画した。だが、アラブ人ではロッド国際空港の厳重警戒を潜り抜けるのは困難と予想されたため、PFLPは日本赤軍の奥平に協力を依頼し、日本人によるロッド国際空港の襲撃が行われた。
犯行を実行したのは、日本赤軍幹部の、京都大学出身奥平剛士(当時27歳)と、京都大学の学生だった安田安之(当時25歳)、鹿児島大学の学生だった岡本公三(当時25歳)の3名である。

フランスのパリ発ローマ経由のエールフランス機でロッド国際空港に着いた3人は、スーツケースから取り出したVz 58自動小銃を旅客ターミナル内の乗降客や空港内の警備隊に向けて無差別に乱射し、さらに、ターミナル前に乗客を乗せて駐機していたエル・アル航空の旅客機に向けて手榴弾を2発投げつけた。

この無差別乱射により、乗降客を中心に26人が殺害され、73人が重軽傷を負った。死傷者の約8割が巡礼目的で訪れたプエルトリコ人であった。死者のうち17人がプエルトリコ人(アメリカ国籍)、8人がイスラエル人、1人はカナダ人であった。・・・
その後、岡本は警備隊に取り押さえられ、奥平と安田は死亡した。


日本赤軍・・はあのころを生きた同世代の・・哀しいような悪夢だった。

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音訳をデジタル編集するためのソフトが入ったパソコンでTさんの音読を聞く

 
この本を「校正」すると言っても文字ではなく、録音された文の音の間違いを校正するのだ。今までは市報や天声人語など短い文を、グループでやることが主だったが、単行本は1冊の本を一人で読み、それを別の一人が
聞いて校正し(1校)、2校の人に回す。

この『テルアビブの犬』は、6時間半の録音だそうだ。 「急で申し訳ないけど、締切が迫っているので1週間でやってくださる?」と言われ焦った。 1週間のうち4日間は結婚式で名古屋、大阪に出かけてしまう。校正はパソコンを通してしか聞けないので家でしかできない。やったことのない私には「校正」の見当がつかず、「とにかく何とか・・・・やってみます」としどろもどろ。 結局は水曜午後には約束の録音室に結果を提出することが出来たのだが。 

ところで、終戦後間もない時代に始まる、あまりに可哀そうな少年ツヨシと犬のソラの物語を読み始めると、本の題名とストーリーからある本を連想した。『フランダースの犬』である。

  最後のページに参考文献として
   『岡本公三裁判・全記録 銃口は死を超えて』徳岡孝夫
   『友よ、我に仕事を与えよ』奥平剛士遺稿編集委員会
   『日本赤軍私史 パレスチナと共に』重信房子
   『フランダースの犬』ウィーダ 村岡花子訳  ・・・・等々を挙げている。

結局、この物語はツヨシと同じ年に生まれたあの奥平剛士の人生ではなく、『フランダースの犬』をモチーフにした創作小説であった。なーんだ、とがっかりもしたが、しかし、やはりこの上ない不幸な運命を背負ったツヨシ少年とあの奥平を重ね合わせて読んでしまう。現代ではありえない貧困と冷酷な社会に憤りながらTさんの音読の声と本の活字を目で追っていくと、この物語の中心を流れる、犬と少年の愛の深さに胸打たれ、時に涙が吹き上がり、涙で活字がかすれて読めなくなる・・・。

昔(といっても大学生の頃?)読んだ『フランダースの犬』そのものの「この世にこんな不幸があっていいのか」という物語だ。 結局、『フランダースの犬』ではおじいさんも犬もネロ少年も哀れに死んでいく。
が、『テルアビブの犬』では少年ツヨシの行き着くところは・・・

  自分はいい。自分は罪深い人間なのだから、どんな
  過酷な運命でも、甘んじて受け入れなくてはならない。
   けれどもソラは 犬だ。  無垢な魂を持った美しい生き物だ。
   神様はなぜ、このような汚れなき存在に対して、
   無慈悲な鞭を振り下ろ そうとするのか。
   だから、この世の中に必要なのは、神ではない。
     必要なのは、革命なのだ。


そう、ついにツヨシの命を守ってソラが死んだ10年後、・・・・天涯孤独のツヨシは剛士になって、飛行機に乗りテルアビブ空港に向かっている。空からいつも愛するツヨシを見守ってきたソラが・・・・こう言っている。

   ・・・止めなくてはならないと思いました。
   ツヨシに、あのようなことをさせてはならない。今ならまだ、間に合う。
   ツヨシを乗せた飛行機が空を飛んでいる、今ならまだ。

そして最終のページにテルアビブ空港に降り立った青年ツヨシがいた・・・・

それにしても、作者の小手毬るいさん(昭和56年生まれ)は、なぜ『フランダースの犬』と奥平剛士を繋げたのだろう?

 
音訳の校正が終わったことを電話したとき(訂正はほとんどなし)、「すごい物語でしたね」と言った。「ええ、最後の数行は涙でした」。

音訳をされたベテラン会員さんはこの校正の仕事で初めて接して言葉を交わした。きっと10年以上音訳をされている方なんだろうな、と思った。多分お年は私より下かもしれないけど。
音読のお声は、初め聞き始めたときは独特で個性的かな、と思ったけれど、6時間もずっと聞いていると、実に安定していて(音訳は朗読ではないから、感情移入して読んではいけないとされる)淡々と心地よい。文と文の間(ま)も申し分ない・・。だからこそ読み手の声に捕われず、こちらが勝手に泣けてくるのだ・・と思った。

4月から音訳ボランティア2年目に入るが、尻込みして来年度の希望エントリーに消極的であった私、『テルアビブの犬』のお蔭で、私も単行本、読んでみようかしら・・・という気がちょっぴり起こってきて、ついエントリー用紙の
「単行本」に○をつけてしまった・・・・・。

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早春のWedding

2016/03/10 23:07
雪のない有り難い2月でしたが、音訳ボランティアの仕事が詰まった忙しい忙しい1ヶ月でした。
ボランティア1年生組の仕事である富山市報「ふれあいネットワーク」の音訳、最後の2月号を同期3人で無事仕上げて、気がつくともう弥生三月♪ 

半年前からお招きいただいていた名古屋でのWedding もついにやってきました。 名古屋に降り立つのは人生2度目です。義父の両親の法事があった時でしたからもう40年前でした。名古屋までは乗り換えのない高速バスで行くことにしました。
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高速バスは20年前に東京へ乗ったきり。最近高速バスの事故が多いのでちょっぴり緊張。でも降りてきた運転手さんは若くてきりっとして責任感の強そうな人だったので、まあ安心(^_^.)。
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バスは富山駅10:20発の名古屋行。早朝3つのバスは満席だったけどこちらは60%くらいの乗車率。
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富山県南砺市? 五箇山から岐阜に入る辺り? 窓外の風景に心奪われる
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               前日に降った雪が残るところもあり
 
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  ついに大都会名古屋駅前 ここに式場からのバスが迎えに来るとか

木立の中の素敵なWedding Ceremony
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Yくん Yさん おめでとうございます ・・・厳かにおこなわれた結婚式は参列者によってしっかり認証されました
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     春うららの庭に出て二人の幸せが漂う春の空気を満喫

 なんと暖かい春の陽・・・・。
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昔、生徒だったYくんとは13年ぶりの再会。中高時代は静かで落ち着いた貴公子のような少年でした。その礼儀正しい大人のような言葉づかいには時々うならせられました。じっくり考えて余分なことは言わず、ときたまキラリと光ってどきっと胸を突く言葉を発する「隠れ大物」でした。私が感動したハル・ライシャワーの伝記の本を「貸してください」と言って読んでくれたときはその感動を語ってくれて嬉しかった〜〜。
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みごと志望校に入学し、お父さんに負けずにGlayのファンになってバンドも結成したとか。披露宴では義弟のかたと友人とベースギターでミニライブを聞かせてくれました
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何よりも、2回の挨拶スピーチが、本当に素晴らしかったのです。実は親というのは結婚式で初めて息子のスピーチを聞くはめになるのですが、我が家の息子も日頃のムードとガラリと変身した挨拶をはなってビックリでした。が、Yくんもまた、それ以上に、、抑揚に富み詩的でさえある言葉を選び、心の籠った挨拶(決して暗記バージョンでない)に、ご両親でなくても涙が出そうになってしまいました。男の子は「成長」するものなんだな〜〜〜!と感心しました

花嫁さんもYくんにふさわしい、優しい微笑みの(それはお人柄の表れた本ものの笑顔)素敵なかたでした!
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二人の気持ちがところどころに詰まった素敵な結婚式、美味しい御馳走に加えて、Yくんの同級生は私にとっても懐かしい人たち。久しぶりの再会に楽しい大笑いのひと時が過ぎました!!
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          あっと云う間のにぎやかな素敵な時間でした!
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             Yくん Yさん 末永くお幸せに
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      頂いたお花を飾って余韻を楽しんでおります
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三枝成彰 「Jr. Butterfly」 〜和製オペラ

2016/01/28 23:19
私のオペラデビュー。もちろんオペラ出演じゃなくてオペラ鑑賞デビューです。

        2014年プッチーニ音楽祭(イタリア)の凱旋公演
        イタリア語歌詞、イタリア人キャストによる日本初上演!!!
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暮れに大学後輩のMさんがチケットを予約してくれました。S席の中でも正面真ん中でかなりいい席 ♪

 三枝成彰 「Jr.バタフライ」 全3幕
1月23日(土)午後2:00〜5:30 富山県民会館  日本語字幕付き
北陸新幹線開業記念特別公演・・・・・・台本・島田雅彦 作曲・三枝成彰 演出・布施実・・・

というわけで、今回オペラデビューした理由の1つは、演出が布施実さんだったからです。
布施さんはNHKで長年大河ドラマなどのディレクターをされ、最後はNHK富山支局長、NHKエンタープライズアメリカ社長などを歴任、富山に戻られた今、昨年はエンジン01総合プロデューサーなどを務められた。(富山高校出身) 昨年度のわが大学富山支部総会では「テレビドラマ・ヒットの秘訣」というお話をして頂きました。

もう1つの理由は、プッチーニの有名な「蝶々夫人」の後日談物語だということ。オペラだったが映画ではるか昔に観た「蝶々夫人」の最後の美しく哀しい場面が、私には忘れられない。愛する男ピンカートンに裏切られ、自害する蝶々夫人の哀調の歌が響く中で、無心に遊ぶ小さな息子が愛おしく哀しく脳裏に浸みついています。

このオペラは、蝶々夫人の死後、アメリカへ渡ったその息子が主人公の物語。 原作・台本を書いた島田雅彦(知らなかった)の小説」「彗星の住人」を今回慌てて読み始めました。オペラの日本語訳には、「彗星の・・」に出てくる特徴ある表現も出て来て・・・「喜び」「哀しみ」という感情表す「カギかっ」こ名詞。

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              受付  たくさんのお花、ぞくぞく集まって来る観客
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                 当日のbooklet
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        booklet の中の御三人 三枝成彰氏・島田雅彦氏・布施実氏

 さて本番。 イタリア人オペラ歌手たちの信じられないような声量と、映像を効果的に使っ華麗な舞台にすっかり惹きこまれていった・・・。
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            主人公 Jr.バタフライとナオミ   北日本新聞より
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       (以下の写真はHMWのHP「富山公演のレポート」より)
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          原爆を投下された長崎・・・ナオミの命は・・?

・・・三枝さん作曲 壮麗な音楽で観客魅了・・・  北日本新聞(1月24日付)より
 プッチーニの名作「蝶々夫人」を下敷きにした和製オペラ「Jr.バタフライ」が23日、県民会館で上演された。来場者は作曲家の三枝成彰さんが手掛けた壮麗な音楽と、悲恋の物語をじっくりと味わった。

 日本の芸者、蝶々夫人と米国海軍士官の息子で、米国籍を持つJr.バタフライが主人公。日本人女性ナオミと恋に落ち、太平洋戦争にほんろうされながらも、愛を貫く姿を描いた。脚本は作家の島田雅彦さん、演出は布施実さん(富山市)が担当した。

 日本語版は2004年に東京で初演。06年にイタリアで上演し、絶賛された。14年に同国でイタリア語版を発表。今回、北陸新幹線開業を記念し、国内で初めてイタリア語版を富山で披露した

 舞台は大掛かりなセットを排し、映像を駆使した。イタリアで活躍する精鋭歌手や、劇場を中心に活動する「シアターオーケストラトーキョー」に加え、県オペラ協会の合唱団のメンバー計約120人が出演した。哀調を帯びた歌声に、会場から大きな拍手が送られた。  27日は東京公演がある。


・・・・・・・・・・・
オペラ初鑑賞の私としては、恥ずかしながら他とは比較できないが、一言で言って「感動した」と思う。だって涙がかなり止まらなかったから・・・。
親の世代と同様に、太平洋戦争をはさんで日米のはざまで翻弄される二人の悲恋は衝撃的でした。

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カーテンコール 主人公たちの子ども役である子役の劇中の姿も涙を誘った
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舞台が終わって、後輩のMさんたちと、演出の布施さんに「素晴らしかったです〜」とご挨拶ができたのはラッキーでした。(^_^.)
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                 布施さん 三枝さんと
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 追記・・・1月27日(水)の東京公演(渋谷 オーチャードホール)も大成功!だったそうです。
政財界のお歴々がたくさんいらしていたそうです。 
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2016年新春 〜 NHK大河ドラマ『真田丸』スタート

2016/01/11 23:56
 元旦
Happy New Year ! 今年の元旦は、暮れから引き続いて暖冬・晴天に恵まれました。
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帰省した息子たちと環水公園へ 立山連峰と世界一美しいというスターバックス
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今年も元気で頑張りましょう。 それにしても、雪のないお正月はこんなにも皆に幸せ気分をもたらします・・。

 NHK大河ドラマ『真田丸』スタート
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1月10日(日)いよいよ期待の『真田丸』がスタートしました。
1週間前、Booksなかだへ走って、4冊ほど平積みしてある今は旬の『真田丸』ガイドブックを30分ほどかけて検討し、そのうち1冊を買ってきました。故郷上田市を本拠地とする真田幸村、真田一族のドラマだということで気合が入ります。
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それに総括プロデューサーは富山県・富山大学附属中、富山高校、京都大学出身の屋敷陽太郎さん。
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昨秋、母校富山高校で創立130周年記念講演を聞きました。素晴らしいパフォーマンスでした!
 ★ブログ屋敷陽太郎さんの記念講演 http://marilyn-m.at.webry.info/201510/article_1.html 

さて、第1回目「船出」 は何故かドキドキ胸打つ中で始まりました。
一言で言えば、その感想は「良かった!」「面白かった!」です。
このワタシ、恥ずかしながら日本史は大学入試の受験科目でしたが、今日までほとんど関心が薄れ、鎌倉時代はもちろん、戦国時代、江戸時代のことでも実に迷路の中、故郷の真田一族のことだって詳細はまるでわかりません。大河ドラマも『篤姫』にのめり込み、幕末の知識も増えたとはいえ、他の大河は見ておりませんし、この際、真田のことを学ぼうとガイドブックを読み込んでようやく概要がわかった次第です。

史実を基にしているとはいえ、『真田丸』はTVドラマ、その出来栄えが大いに気になります。
でも、おおむね成功ではなかったでしょうか!(『篤姫』以外の大河ドラマ、特に幕末以前をほとんど見ていませんので比較できませんが)
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壁に書かれたこのタイトル文字も斬新・・・左官・挟土秀平 作

いよいよ、そしていきなり16歳の真田源次郎信繁(堺雅人)が登場、敵の徳川陣の様子を探って見つかり馬を奪って逃げ帰るシーンから始まる。
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 慎重で真面目な兄信幸(大泉洋はいつものお笑いでなくてあんしんした)と弟信繁
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こんな表情は三谷幸喜の脚本だから? ところどころでずっこけ場面がちりばめられているところがいい。

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           これがドラマの主役真田親子!

初回「船出」のハイライトは、二人の主要な人物でした。
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そう、1人は歴史的名将とされる真田親子の父・昌幸(草刈正雄)で、草刈正雄の威厳と魅力、存在感は素晴らしかった!初回を見た限りであるけれど、その愛すべき父親像と威厳の武将像が視聴者を惹きつけることは間違いないと感じました。武田勝頼への忠誠心は哀しい結果に終わるけれど。

そしてもう一人は名将武田信玄の子・武田勝頼(平岳大)で、今日の悲運には(歴史を知らない私は)目を見張り涙を流してしまいました。
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平岳大の勝頼は素晴らしかった。偉大な父信玄亡きあとの危うい武田家の命運を背負い、次々に家臣に裏切られ、武田家の最後を迎えようとしている。その運命を苦悩と悲しみ、諦念入り混じる中で受け入れる姿には、思いきり泣かされました。ああ、戦国時代の非情な運命。そんな時代に生まれなくて良かった・・・。
(余談ですが、もともと私は平岳大さんのファンなんです)

そして「良かった」と思った他の二つ。
オープニングの、また劇中のバイオリンが抜群の効果、時代劇のイメージを破り、心に響きました。
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バイオリンのソロは新進気鋭のバイオリニスト三浦文彰さん 音楽(作曲)は服部隆之さん

ナレーターは何と、私の好きな有働由美子アナウンサー。これも良かった!
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こうして大河ドラマ『真田丸』第1回目が無事に終わりました。多分、『篤姫』のときのように、1年間楽しんでいくだろうと思います。
ドラマのあとの関係地紹介で、長野県上田高校の正門が出て来ました。上田高校は幸村の兄信幸から上田藩主館として使われた跡地に建てられ、今もこの門をくぐって生徒は登校しています。
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          上田高校正門(上田市文化財)1790年に再建 

上の風雅な高校正門写真は、2008年に『篤姫のチーフディレクター佐藤峰世氏が母校で講演された時、富山から駆けつけて撮ったものです。
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ところでネットで『真田丸』初回の感想を探したところ、以下のブログが私に近いまとめをしていました。http://tee1515.com/2918.html 

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外山滋比古先生 〜 母校創立140周年記念講演と初冬のふるさと

2015/11/30 22:28
11月28日(土)29日(日)、明治8年に創立された母校の大学140周年の祝賀記念行事があった。
27日午前は記念講演として外山滋比古名誉教授のお話。92歳の外山先生はいまだご健在で、今年も著書を出版され、テレビに出演されたり、長野県で講演されたり、とご活躍されている。
外山先生は卒論の指導でお世話になったが、富山で講演された30年ほど前と25年ほど前にお話を聞いたままだったので、今回はぜひ!と思っていた。

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 講演や式典が行われる大学本部にある講堂 徽音堂(昭和7年建立)
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         徽音堂の前に校歌「みがかずば」の歌碑

  みがかずば 玉もかがみもなにかせん  学びの道もかくこそありけり

「みがかずば」は、大学の前身である東京女子師範学校の開校にあたり、皇后(昭憲皇太后)から、 明治8(1875)年12月に下賜された御歌です。この歌には、明治11(1878)年10月に式部寮雅楽課二等伶人東儀季煕による壹越調律旋の譜が付されました。現在も校歌として歌い継がれています。

2006年に、数学の藤原正彦名誉教授が富山の銅器製作所に発注してこの歌碑を大学に寄贈された。

今日は、講演が行われるこの徽音堂の前で1年先輩のN・Eさんと10時に待ち合わせ。彼女とは今年の夏35年ぶりに富山で再会できた。今日は外山滋比古先生の講演とともに、彼女との再会を楽しみにしてきた。
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      この徽音堂で11時過ぎから30分間外山先生のお話 (この写真は2007年のホームカミングディに藤原正彦先生の講演を聞きに来たとき撮影)

私たちは最前列の席に着き、学長のお話や大学の歩みなどの説明などを聞き外山先生のお話を待つ。

やがて92歳の外山先生の、力強い凛としたお声が講堂に響きわたった。「大学の未来へ」の提言と期待のお話。
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 講演を終えてしっかりとした足取りで舞台をあとにされる先生

午前の部が終わり、先生が徽音堂花道?を去って歩かれると、アイドルよろしく年配の卒業生たちがどどどっと先生を囲んだ。 中には「先生、今度は(先生が顧問だった)庭球部で講演して頂けますか?」などなど様々なお声をかける。 無事に終わって無事にお話を聞けて本当に良かった。

ランチは近くの茗溪会館で。英文科の1年先輩のお三人がすでに会食していた。
私たちは結局12時から4時近くまで、美味しいランチと珈琲紅茶とケーキを食べて積もる話に花を咲かせた。

夕方、新幹線はくたかに飛び乗り、佐久平で降りて実家で泊まった。
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いつも初冬に帰ると、この松の木の下に可愛いスノードロップが健気に咲いている  

翌日は弟たちの車に乗って母のところへ。 母は相変わらず朗らかで元気だったが、いつになく「私も一緒に帰ろうかな」と後を追ったのが哀しかった。玄関まで見送るから!と車椅子を押されて玄関まで出て来たこともめずらしかった・・。また来月きっと来るから・・・と。握手した手はとても強く握り返されたのがうれしったが後ろ髪惹かれる思い。

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           今日も母なる浅間山が美しかった・・・(佐久平駅付近)

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高尾山 〜11月最後の週末 

2015/11/30 20:16
もう11月も今日で終わり。この週末は、大学の創立140周年記念講演会・式典があり、東京へ。
27日(金)は、昔大学時代に途中まで登った憶えがある、八王子にある高尾山(599m)に登ることにした。
北陸は冷たい風雨の酷い天気だったが、東京は晴天、午後に着いて京王線で高尾山口へ向かった。
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                   京王線高尾山口駅

昔の記憶はまったくなく、案内書でいくつかあるコースのうち一番ポピュラーな、広いコンクリートで固められた道路を選んで登り始めたが・・・・立山のような本格的山ではないにしてもかなり急勾配。初めからケーブルカーを使う予定はなかったが、平日でも35分待ちと言われるほど、乗り場は長蛇の列だった。
それを横目で見つつ、かなりフーフー苦しい登りだった。頂上まで往きは90分、下りは70分とあったが、この調子では帰りは暗くなるから途中で下りて来よう、と弱音を吐きつつ登って行く。午後2時も過ぎれば、下ってくるひとたちの数がハンパではない。
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                  美しい山並みに心がはずむ

やがてようやく、神社が集まる中腹の地に。ここはケーブルカーの終点でもあった。
いろいろな古く風情ある美しい神社や鳥居が林立。 お年寄りはここまでケーブルカーで来て参拝して降りるのだろう。
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                 神社をつなぐ急な石段
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     高尾山は天狗の山とか。 楽しい天狗のいろいろな像が
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ここで下りようと思っていたけれど、せっかく来たのに・・・それにここから頂上までは今までのような急な坂ではなさそうだった。 そう、思ったよりなだらかな坂道を山頂目指して30分ほど進んで行った。
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ついに山頂。
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          山頂より新宿副都心が見晴らせた
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           山頂 ビジターセンターにて顔枠に顔を入れて(^_^.)

日本アルプスから比べたら玩具みたいな山かもしれないけど、頂上を「制覇」するとそれなりに達成感が!!
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           帰りは夕闇に追われて一気に駆け降りた
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         麓の高尾山口駅に着くと夕闇の中にまだにぎやかな声が
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晩秋の小諸懐古園

2015/10/31 23:44
母に会いに、また北陸新幹線で信州へ。 今回はお見舞いに行く親戚のかたが「小諸」におられるというので、まず新幹線は上田で降りて、しなの鉄道に乗り換え20分で久しぶりの小諸着。お見舞いが終わって、迎えにきてくれた妹と、そう5年ぶりに、小諸駅傍の懐古園の紅葉を観に行くことにした。
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           懐古園入口 三の門(重要文化財)

あと4,5日で紅葉のピークを迎えるころでした。 この有名な懐古園入口の三の門には、徳川宗家第16代当主家達公の書いた「懐古園」の額が。
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[私の故郷の原風景 懐古園ってこんな素敵なところ] 
「日本100名城」、「日本さくら名所100選」に選定されている懐古園は、城下町より低い位置に築かれた全国的にも珍しい穴城[あなじろ]で、西側には天然の要塞[ようさい]になる千曲川が流れている。明治13年(1880)、その跡地に造られた懐古園は、藤村記念館をはじめ、小山敬三美術館、動物園、遊園地などが集まった、小諸の代表的な観光スポット。藤村の『千曲川のスケッチ』にも登場する。入口には、「懐古園」の大額が掲げられた寄棟造の城門、三の門(重要文化財)が立つ。   (ガイドブックより)

懐古園と言えば石垣・・・。石垣の美しさをたっぷり味わえる。
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小諸城の起源は平安時代に溯るというが、戦国時代は武田信玄に支配され、その重臣山本勘助によって小諸城の原型が築かれた。その後城主が転々と代わり、 元禄15年(1702年)より版籍奉還まで約170年間、牧野氏が10代にわたって居城とした。
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       人力車に乗って懐古園の歴史を聞く方たち 乗りたいな〜
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昔 この東屋で草笛を吹いていた名物おじいさんがいたっけ 私が中学の頃?

草笛と言えば、小諸の懐古園には、明治時代、小諸義塾の教師だった島崎藤村の有名な歌碑がある。それは戦前から長野県人が(私の父母や叔父叔母たちも)藤村と信州ふるさとへの愛着と誇りを抱いて、その歌碑の前で写真を撮ったものだ。
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       懐古園の象徴 「小諸成る古城のほとり」の歌碑

昔、この詩を暗唱しました。私の叔母も結婚して遠く故郷を離れ、死の床までもこの歌を口ずさんだと云うことです。 基本的に信州人である数学の藤原正彦先生もこの歌を暗唱するとどこかに書いておられた。
    
    千曲川旅情の歌   島崎藤村    明治33年   

小諸なる古城のほとり 
雲白く遊子(いうし)悲しむ
緑なす繁蔞(はこべ)は萌えず
若草も藉くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡邊
日に溶けて淡雪流る

あたゝかき光はあれど
野に滿つる香(かをり)も知らず
淺くのみ春は霞みて
麥の色わづかにし
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ

暮れ行けば淺間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む

   二
昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪(あくせく)
明日をのみ思ひわづらふ

いくたびか榮枯の夢の
消え殘る谷に下りて
河波のいざよふ見れば
砂まじり水巻き歸る

嗚呼古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
過(いに)し世を靜かに思へ
百年(もゝとせ)もきのふのごとし

千曲川柳霞みて
春淺く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて
この岸に愁(うれひ)を繋(つな)ぐ



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      この歌碑の左手に、この詩を彷彿とさせる展望台がある

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              千曲川を見下ろす
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                私の大好きな景色です
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展望台でしばし千曲川旅情を心で口ずさんで歌碑を後にすると、素敵な池と錦鯉が・・。
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我が家にも1匹だけ亡くなった義父が残して大きくなった錦鯉がいて夫が溺愛していますが・・。

さて、入口付近にお蕎麦屋があり、歴史ある宗家草笛だとか。ここで一休み。
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                本格的お蕎麦は美味しかった〜

そして、今回母を含め、90歳〜95歳の3人の大高齢者を見舞って翌日は新幹線で帰途に。
長野県安曇野に住む、大学時代の友が、安曇野から車を飛ばし1時間半かけて佐久平の駅にかけつけてくれた。
2時間半食べてお喋りして楽しい時間でした〜〜〜〜
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                最後はパフェ!!
ふるさとはありがたきかな・・・(^_^.)
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富山にいらした天皇皇后両陛下

2015/10/28 21:48
両陛下が富山を訪問されるのは15年ぶりだそうです。富山で二泊三日を過ごされるとは、お通りになるルートのお出迎え時間予定表が、3週間ほど前に町内の回覧板で回されるまで知りませんでした。
メインの目的は25日の「第35回全国豊かな海づくり大会」(射水市)です。

24日(土)の午後に 新幹線特別列車でお見えになり、その日は富山市にある県立イタイイタイ病資料館を視察されました。
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        イタイイタイ病資料館(富山市友杉 とやま健康パーク内)

私の家からは国道41号線の近代美術館・科学博物館のへんでお迎えするのが一番近いのですが、私はオープンした頃に行ったイタイイタイ病資料館に思い入れがあったので、こちらでお迎えしようと決めました。

私の計算では資料館のご視察は午後2時〜3時なので、12時40分には家を出て資料館近くの駐車場に着いたのは1時。すでに大勢の人たちと「滋賀県警」の私服のお巡りさんがいっぱい。資料館敷地には立ち入り禁止。
一番近くの交差点にはすでに沢山の人たちが日の丸を持って並んでいました。
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        やがて次々にますます多くの人々が集まって来ました・・

このへんの警備担当は滋賀県警のようで、彼らは民衆を退屈させないように大声張り上げて「お出迎え心得」をインストラクトしたり、旗を「上品に小刻みに振る」練習を何度もやらせます・・・「うるさいな〜〜」と思いつつ、待つこと結局1時間半・・!4列に並べと言われ、前から2列目でしたが、お出迎えの一画は決められていて、他の誰もいない道路の脇には行かせてもらえません〜〜〜。「せっかく来たのに、前の人がいてよく見えないわ・・」と隣りの女性とぶつぶつ。  
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気の遠くなるような長い時間が過ぎていよいよ県警のお兄さんが教示したようにご到着3分前のパトカーが・・
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                     ああ、ついにご到着1分前!
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                    右のほうで歓声が

そして、それは突然・・夢か幻のような瞬間でした。
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        皇后さまが静かに優しく手を振っていらっしゃいました

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私は、もう胸がいっぱいになり、涙が眼いっぱいに湧き出てくるのを抑えながら、旗を振り、それでも震える手で、大いに恐縮しつつシャッターを押しました。

 あの時のように・・。昭和58年10月、富山市大山の育樹祭にいらしたまだその時は皇太子・皇太子妃殿下を、家のすぐそばの交差点で、1歳になった三男を抱いて立っておりました。32年前のことでした。

交差点を曲がられる地点にいた私は、本当に手を伸ばせは届くような至近距離で、窓を開けて手を振られている美智子様と(本当に!?)目と目が合った、と信じていますが、その慈悲に満ちたお優しいお顔を見た瞬間どどどーっと目から涙が流れ落ちました。(その頃私は、とても悲嘆にくれた日々を過ごしていたから・・・か?)
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ちなみに、このご訪問の時、射水市の太閤山ランドで突然園児たちとかけっこをされた美智子様のお写真は脳裏に焼き付いています。(右側の2列目に見える園児はサッカーの元日本代表柳沢敦選手だそうです(^_^.))
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私は過剰反応だったのでしょうか。でも資料館へ入られた両陛下を見送った後、出迎え集団は解散し、三々五々していく中、私の近くを歩いていた女性たちが話していました。
「ほんとうに美しくて気品があって素敵なかただったね〜〜。もう目がうるうるしてしまったのはいったい何なんだろうね」「ほんとに涙で前が見えなくなったわ」「オーラだね」
やはりそうなんだ・・・。

午後2時半。1時間半待って2秒の謁見。そばのイタイイタイ病資料館には5台のチャーターバスで入って行った人たちやイタイイタイ病のご家族など、そして報道陣など大変な数の人たちの姿が見える。
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警備のお巡りさんによると、資料館には約1時間半〜2時間いらっしゃるとか・・・。
なんと、全然その予定ではなかったのに、またお帰りの見送りをしようと・・・決めていました。今度は最前列に立てそう・・。
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いつの間にかまたお見送りの市民がぞろぞろと集まって来て、滋賀県警さんが自己紹介などして待っている私たちが退屈しないようリップサービスをしていました。
「みなさん、滋賀県警の○○です。でも出身は宮崎県なんです。宮崎の採用試験で落ちまして、滋賀県警に拾って頂きました・・・・滋賀県の特産物って何だか知ってますか〜?」 「年は何歳ですか〜?」「えっ、いやはや、26歳でーす」という調子で、入れ替わり立ち代わりの滋賀県警の若いお巡りさんと市民の気楽な交流まであって・・。

今度は何だか余裕で、周りの人たちとお喋りしながら1時間40分という時間をお待ちしましたが、正直長い長い時間でした。 ・・・わたしっていったい何だ、これは??
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そしてついに・・・1分前のパトカーが通過し、先導白バイが見えてくる

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一生の思い出です(シャッターを押すのは実は畏れ多き、後ろめたい思いいっぱいでした)

ご高齢の両陛下にはハードなご公務と思い、心が痛みますが、そのお姿に多くの県民が心を打たれたことでしょう。報道によれば、初日の24日は1万4300人の県民が出迎え、3日間の滞在中、両陛下の訪問先や沿道には、計6万6090人の県民らが詰めかけたそうです。

 夕方のTVニュースと翌日の北日本新聞より。
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イタイイタイ病資料館の玄関に立たれる両陛下(24日KNBニュース映像より)
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    資料館を視察される両陛下(25日北日本新聞朝刊)
[北日本新聞より]
・・・・イタイイタイ病の教訓を後世に伝える県立イタイイタイ病資料館(富山市)を訪れ、長年患者に寄り添ってきた医師でもある鏡森定信館長(72)の説明を受けながら、展示を熱心に見て回った。
 資料館は2012年4月に開館し、両陛下の訪問は初めて。天皇陛下は鏡森館長に「原因が分かったのはいつ」などと、関心が高い様子で繰り返し問い掛け、資料館を去る際には施設について「みなに知らせることは大変大事ですね」と話した。


イタイイタイ病資料館を両陛下が訪ねてくださったのは大変嬉しいことでした。
CASABLANCA in the Valley 「県立イタイイタイ病資料館オープン」2012年5月 http://marilyn-m.at.webry.info/201205/article_2.html 

2泊3日のご滞在を終え富山空港からお帰りになる両陛下(Webun)
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最後の紅葉 〜 有峰湖 

2015/10/20 22:10
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               有峰湖(ありみねこ) 西岸道より

室堂、天狗平、弥陀ヶ原&大日平 と立山の紅葉前線もどんどん下がって、今は1000m〜1200m付近が見頃とか。昨日、山のベテランに「有峰の紅葉狩り」に誘われて、「今年も最後かな・・」と今朝急遽出かけた。(10月19日)

確かに素晴らしい紅葉の山々の色彩をたっぷり浴び、この美しさを自分のものに!!とカメラで撮りまくったのだが、哀しきことに、結局その感動は十分の一も写真には納められなかった。
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             まず到着したのは有峰森林文化村
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     これで3回目になる有峰ハウス(宿泊 食事)の裏山も紅葉に

有峰湖は人造湖で北陸電力のダム湖であるが、有峰湖を囲むこの一帯は有峰県立自然公園と呼ばれ、さらに湖畔の有峰森林文化村には有峰ハウス、有峰記念館、有峰ビジターセンター、バーベキュー広場、テニスコートなどがあり、富山県森林政策課事務局も置かれて一帯を維持管理している。有峰湖を囲んで6つほどの遊歩道があり、今日はその1,2を初めて歩いてみた。

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               赤い地点が有峰森林文化村

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 こんなナラの木の遊歩道をまず歩いてみると・・落ち葉が重なって素敵なクッションとなり、見ると苔の上に落ち葉と共にその実のどんぐりが無数に落ちていた。
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思わず子供のように興奮してどんぐりを拾い集める! かわいい・・・クマが喜ぶだろうな〜、なんてポッケに詰め込んだ。 そのドングリの道が行く手にずっと続いているのだ。
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         バックは下に有峰湖 その彼方に薬師岳が
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有峰湖の東にある薬師岳は有峰湖を訪れた人たちにしっかり印象付けた、と思う

今日は、山のベテランだったはずのK子さんを誘ったら、K子さんは15年余り山登りから遠ざかっていたため、ということではないが、有峰までの道中、また湖周辺を車で移動するうち、何と、車酔いしてしまった(-_-;)。

ということで、11時半まわったところだが、早、キャンプ場の森でお昼を食べることになった。
そこで西岸のキャンプ場に車を停め、湖のほとりまで降りて行った。こんな位置からの眺めもいいものだ。
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        湖の水に手を入れたりはしゃいでしまうK子さんたち
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              湖の中ほどに見えるは宝来島      
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今日の目的は紅葉であり、登山ではないのだが、食事後、キャンプ場近くの冷夕谷(つべただに)遊歩道を歩いてみることに。ちょっと急な登りもあったが、ぐるっと元の登り口まで約30分だけで帰って来れた。 

そして、時間のない3人組は、3時までに里へ下りなければならないので、有峰を引き上げ林道小口川線というのを通り小さな祐延(すけのぶ)ダム(貯水池)経由で曲がりくねった山の道路をドライブ。 しかしこのルートこそ紅葉真っ盛りの錦繍オーケストラだった。 ここという絶景の地点で車を停めては、何度も感嘆の悲鳴を上げなければならなかった。
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            今年の紅葉の見納めです
   
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紅葉の立山 〜大日平へ

2015/10/11 21:45
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大日平(1750m)は大日岳(2500m)への真ん中にある湿地帯  その名の通り、山の上の「平野」

あまり登らないままに今年の登山シーズンも終わろうとしているとき、山のベテランクライマーたちから誘われて、立山の紅葉を観に行くことに。折しも10月2日夕方のNHKニュース富山人で、大日平、大日岳の紅葉報告をキャスターがやっていたのを見て、急遽そこを目的地に。 10月5日(月)8時集合。
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         これが目的地大日平の紅葉でした

大日平は、称名川を挟んで、弥陀ヶ原と同じ1750mほどの高度、同じラムサール条約登録湿地です。
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        ラムサール条約登録湿地帯 立山弥陀ヶ原・大日平 

ラムサール条約って? 湿地及びそこに生息・生育する動植物の「保全」と湿地の恵みを活かして利用する「ワイズユース(賢明な利用)」を目的とする国際条約。 
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大日平にはこんなガキの田と呼ばれる水たまりがあちこちにありました。
紅葉の大日平は新しい遊歩道も敷設されており、スキップをしたくなるような広い湿地帯の上。

・・・・・・・・・・・・登山記
でも、ここに行くことにした、というと、予備知識として「すごーい登り坂ですから、初めに勢いよく登り始めると途中でバテルかもしれません」「あんな登り坂ばかりの山登りいやだわ」とか、何だか、紅葉を楽しむ散策とは程遠いものらしく落ち込みました。とにかく称名滝の駐車場に車を停めると登山道入り口まで少し歩きます。
  
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                 大日岳登山道口の標識          
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登山道入り口にあるプレートの地図 左に赤い現在位置  今回は大日岳へのちょうど真ん中 大日平小屋へ
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         大日平小屋までどれほど急登かわかります・・・(-_-;)

というわけで、早速急な上り坂が始まりました。
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           ハシゴ登りはちょっと緊張
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ハーハー苦しい。よいしょと四肢を使ってよじ登ります。そういえば、院の英語学で climb(登る) という語は、limb (手足)を使って登ることを指すのだと。エレベーターで昇るのはlimbを使わないから climbと言わないだろ〜なんて教わったっけ。「牛ノ首」なんていう怖い地点も通って・・・また心の中で叫びます。「もう絶対山なんか登らないぞ!」1時間ほどは地獄の苦難?!
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      やがて木道も整備された地点に出てほっとする 
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        天気がいいせいか何人もの登山者に出会います
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        もみじの綺麗な赤色  登り始めて約2時間弱で大日平

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     目的の大日平山荘が見えてきた はるか向こうの山は大日岳
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           少し振り返ると鍬崎山(2050m)が
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大日平小屋に近づくとヘリコプターが    荷物運んでまた別の荷物を持って行った
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 大日平小屋は10月の連休まで あと1週間で今季は終わるそうです
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 屋根に布団を干して、まるで『春を背負って』の菫小屋の蒼井優さんの世界

この山小屋の裏がいいんですよ〜、というベテラン同行者に言われ後をついて行くと、・・・・凄い眺めが待ってました!! ここでお握りやらお湯を沸かして小カップラーメンを食べながら歓声を上げて眺めを堪能しました。この景色が今回の大日平のクライマックス! 「不動の滝」です。
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            不動の滝は称名川に流れ落ちています   
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         この落ちる水の姿の美しさは格別でした   

たっぷり滝をみながらお昼を終えて、今回は登る目的はありませんでしたが、大日岳のほうへ少し歩いてみることにしました。滝を眺めながら、また登りの途中で出会った3組の方々が、NHKのニュース富山人で見てここにやってきました〜と言ってました
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次は大日岳に登ろうか? ・・・あと2時間半・・・いや、今は考えるだけでもダメダメ!

帰りは下りであるから、重力に逆らわないので息が苦しいことはないけれど・・・あの急な坂の下りは怖かった。
でもかなりのスピードで休憩もほとんどしないで1時間半、駆け降りたので翌日膝の上が多少痛かったです。
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NHKドラマプロデューサー屋敷陽太郎さんの創校記念講演

2015/10/08 20:43
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       10月1日は県立富山高校の創校130年記念式典でした
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式典は午後1時半より富山県芸術文化ホール(オーバードホール)にて

ごあいさつ 創校130周年を迎えるにあたり 学校長
・・・・・ 本校は、明治18年(1885年)に、富山県で初めて中等教育を担った学校です。創立当初は、英語で英語を教えることはもとより、数学や世界史、世界地理までも英語で学習する先進的な学校でした。また、県内に手本はなく、文字通り本県のパイオニアとして、教育の原点を見つめながら歩んできました。・・・・


創校130周年&同窓会設立100周年記念式典は厳かにそして感動的に行われました・・・校長先生などの祝辞も良かったですが、男子生徒会長の「喜びの言葉」のスピーチに「さすが・・」と大感銘を受けました。内容も、そして何より6,7分余り続く長文スピーチをほぼ全部原稿を見ずに、しかも実に堂々と冷静に、そして自然な抑揚で話されたことが素晴らかった。
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壇上ではブラスバンド部の伴奏で、国家「君が代」に続く校歌(大島文雄作詞・山田耕作作曲)、そして第二校歌?である「大河は流る」が全員起立のもと合唱されると、感激が盛り上がりホールいっぱいに響き渡りました。
「大河は流る」は力強く何といい歌なのだろう・・。
(翌日の新聞によると、「大河は流る」は創校100周年記念賛歌だそうです

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長野県生まれの私は卒業生ではないのですが、我が家に式典招待状が届いていたので代理?出席しました。県下で最古の栄えある歴史を祝う思いももちろん大きかったのですが、以前から注目していた第101回生(平成3年卒業)の屋敷陽太郎さんの記念講演をぜひ聞きたかったからです。

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            屋敷陽太郎さん 「モノづくりの楽しみ」 
NHKの制作局ドラマ番組部チーフプロデューサーである屋敷さんのモノ作りとは、「ドラマ」です。
 
 屋敷陽太郎さん  1970年氷見市生まれ・富大附属中・富山高校、京都大学法学部卒
1993年NHK入局 ほぼ一貫してドラマ番組制作に携わる。
連続テレビ小説『私の青空』 特集ドラマ『クライマーズ・ハイ』 土曜ドラマ『君たちに明日はない』『島の先生』『64(ロクヨン)』 大河ドラマ『新撰組!』『篤姫』『江〜姫たちの戦国』などなどを担当。
現在、2016年放送の大河ドラマ『真田丸』を製作中。

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会場全体を舞台にダイナミックでドラマチックな講演をされました!    

私にとっての屋敷さんへの注目は、我が生涯最高と思っているドラマ『篤姫』のプロデューサであり、来年度、ふるさと上田を舞台の大河ドラマ『真田丸』のチーフプロデューサーでいらっしゃること。何年も前から、北日本新聞には月に1度エッセイを執筆しておられるし、時々富山各地で講演されたと新聞に載っているのを後日知ったりしているので、いつかきっとお目にかかりたいと思っていました。 

実は『篤姫』のチーフディレクターは佐藤峰世さんと言って、上田高校出身、なんと小中学校も同じであり、実家も2キロと離れていない同郷のかたでした。 今年6月に大学の同窓会支部で講演をお願いした富山高校出身の布施実さんもNHKのドラマディレクター、何だかとてもNHKの大河ドラマにご縁があります
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さて、屋敷さんの講演、そのプレゼンテーションは、視聴者を惹きつけるドラマさながらに、映像・音楽・クイズ・パワーポイントを駆使して、ご自身は会場を駆け巡り、高校生や来賓を圧倒する魅力ある1時間となりました。
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会場の高校生にインタビューします 「高校時代に君が感動した本は?」 「どんな映画を観た?」

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屋敷さんが高校時代一番感動した本と映画は:
授業中に隠れてまで読んだ『罪と罰』『ローマの休日』の恋の結末に、見終わったあと、哀しくて1週間何も手がつかなかった・・とか。
何ごとも、道を究めるかたは、なんであれ深く感動するハートを持った人・・と感じます。

富山県内はもとより、全国、そしていくつかの大学でもよく講演をされているとか。お話することに慣れておられるのでしょう。歯切れよく明解な言葉、爽やかで、フランクでフレンドリーなトークでした

講演後の屋敷さんご自身のご感想は:高校生に語るというのは、正直、非常に緊張しました。いい加減なことをしゃべると大人のズルさや汚さを見透かされそうですし、一言一言が下手をすると大きな影響を与えてしまうかもしれないと、色々なことを考えちゃいました。考え過ぎて、空回りしていたかもしれません。でも、高校生と会えたことは、私にとって大きな収穫でした。私の方が、彼らに感謝せねばならないような気がしています。

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              記念式典の記念品です



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善光寺へ 〜北陸新幹線日帰り長野〜

2015/09/18 16:59
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          北陸新幹線開通で新しくなった長野駅

17日(木)、北陸新幹線で、2度目の長野日帰り。来週はシルバーウィークなのに帰れそうもないので、悩みに悩んだ末、雨の予報の中、日帰りで実行。母とはずっと一緒に過ごせるわけではないので、今日は途中下車で長野駅に降りて、善光寺、東山魁夷美術館に寄り道することに。 富山駅⇔長野駅はかがやきで45分。
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      門前町長野市にふさわしい駅の佇まい 以前と同じ鳩の群れ
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             鳩の飛び交う長野駅はすてき
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             善光寺のイメージ 前の長野駅  

とにかくたった2時間の観光なので、大急ぎ。善光寺までは片道2.5キロ歩くと25分だそうだが、小雨も降るし、往きはすぐにやってきたバスに乗った。
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終点大門町で降りるとそこはもう参道入り口。 善光寺の仁王門がすぐそこに。大正7年(1918年)再建。
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               両脇に仁王様となぜかワラジがいっぱい

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昔ながらの参道の賑わい。雨があがってよかった  正面に見えるのは山門(三門)重要文化財
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                      山門
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                 山門をくぐるといよいよ本堂が

善光寺へ来たのは4年も前だろうか。中部英語教育学会長野県大会のとき。院生の王さんが発表したっけ・・・・王さん、今頃中国で元気にしているかしら・・・・みなで発表を抜け出して善光寺へお詣りに。
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本堂の前の大きな香炉。線香一束を奉納して火をつけ香炉に入れ 有り難き煙をを全身に頂く
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         そうか〜、長野駅の柱の提灯は本堂のこれだったんだ

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本堂から山門を振り返る 雨上がりの境内が清々し
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          本堂の脇に鐘楼・梵鐘(重要美術品)
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      思わず微笑みたくなる釈迦堂・釈迦涅槃像(重要文化財)

善光寺境内は意外と広い。まだまだいくつもの仏閣が建っており、持ち時間はとても十分ではない。
で、迷ったけど善光寺隣の城山公園内にある東山魁夷美術館(県立信濃美術館)を観るのも今日の目的。長野県人なのに私はまだ行ったことがないのだ。
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                     城山公園は美しい
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             東山魁夷美術館はうわさ通り素敵な美術館
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 信濃美術館は「長野県に美術館を」という県民の声に応じて昭和41年にできた信濃美術館が1969年(昭和44年)に県立美術館となり、現在でも長野県唯一の県立美術館である。菱田春草・荻原碌山・池田満寿夫・松井康成といった県出身作家の作品や、県内の風景を描いた作品を収蔵する。
東山魁夷は長野県の出身ではないが、長野県の風景を愛し、長野県で描いた作品がたくさんあり、1987年(昭和62年)にゆかりの地である長野県に作品・図書を寄贈したことを受け、1990年(平成2年)に東山魁夷館が併設された。


今回は善光寺と東山魁夷美術館という大きなプレミアが付いて、いつもながら車椅子だが明るく元気な母にも会って1時間半話して佐久平駅から新幹線に乗って富山へ帰った。 前回のようにぐたーっという日帰りの疲労が残らなかった、嬉しい1日。
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                わがふるさとは新幹線佐久平駅
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上野千鶴子さんの講演会 in 高岡

2015/09/12 20:25
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9月6日(日)午後、小雨の高岡へ久々に行ってきました。 高岡市は同じ富山県なのに、30年間で計6,7回しか行ったことがありません。前に来たのは2013年12月、この高岡駅そばの高岡ウィングウィングに於いて県の生涯学習カレッジで英語教師ラフカディオ・ハーンについてお話した恐るべき思い出があります。
駐車場が入れなかったらどうしようと、富山駅に車停めてあいの風鉄道で行きました(14分)。
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          主催はE-ネット(高岡市男女平等推進センター)

大学後輩のお友達に知らされて、タイトルにも惹かれましたが、何より1度は上野千鶴子さんをこの目と耳で確かめて来ようと!

上野千鶴子さんは富山生まれということ、富山大学附属中学で友人のShigetaさんと同級だったとか。Shigetaさんが「チズコ、チズコ」と呼んでいたっけ。ただし上野さんが東大教授になってもう退官された最近は今も交流があるかどうかは知りません。同じく英文科クラスメートでフェミニストの三井マリ子さんとも上野さんは思想的に共同で活動されていたっけ。・・・そんなわけで、私自身はあまり接点もなく範囲も遠い彼方の人だけど、朝日新聞の彼女の悩み相談コラムだけは時々楽しく読んでいます。

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          かなり早めに着いたので前のほうの席をとりました

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想像通りファッショナブル、 美しく爽やかな女性らしい言葉使いのかたでした

そよ風のように淀みない弁舌であっても、やはり「上野千鶴子」的意見や言葉がぽんぽんと流れ出ました。
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講演の内容は一緒に参加したM-KさんがよくまとめてFBにアップされたのでお借りします

 高岡市のEネット主催の「上野千鶴子さん講演会」に行ってきました。男女平等社会から原発、安保法案まで中身の濃いお話でした。「男女平等は平和な社会にしかありえない、戦争や原発事故などは弱者が最も被害に遭う、それは、女性、子ども、高齢者、障がい者など。」そう、すべては繋がっています。故市川房江さんの言葉「権利の上に眠るな」。いますべきことを自分で考えましょう。 M−K

そして、講演に共感して、「やっぱりお声をかけてみよう」と講演後の上野さんに突進しました。 とても気さくにお応え下さったのでほっとしました。代表作おひとりさまシリーズ文庫本を3冊も買ってしまいました。
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               サインの列は続いていました

そういえば30年ほど前に、亡き義母が「女の哲学研究会」という勉強会で上野さんの講演を催して、そのテープ起こしを手伝ったことがありました。その時の話の内容は、ウーマンリブの過激な女性活動家というイメージとは違って、ある意味伝統的な考えの人であったことに驚いた記憶がありました。

それから後、書店で見つけたこんな本を買って読み大いなるインパクトを受けました。
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                 2000年発行 筑摩書房

著者は関西のタレント遥洋子。東大の大学院でフェミニズム学者上野千鶴子教授のもとで2年間研究生となったときの体験談ですが、内容はかなり知的でアカデミック。上野千鶴子教授の、さすが大学院という厳しい指導に著者は目をまるくし息も絶え絶えついて行く。 そのへんの著者の頑張りが好きだし、また上野教授のピカッとした金剛石のような、またピリッとした唐辛子のような、折々の示唆や質問には読み手も感嘆してしまいます。上野さんを知るにはインパクトの強い1冊でした。 

[改めて上野千鶴子さんのプロフィール]
1948年(昭和23年)7月生まれ。日本の社会学者。専攻は、家族社会学、ジェンダー論、女性学。東京大学名誉教授、立命館大学大学院先端総合学術研究科特別招聘教授[1]。博士(文学)(東京大学)
京都大学文学部哲学科社会学専攻卒業・ 京都大学大学院文学研究科社会学専攻博士課程退学

富山県中新川郡上市町出身。父は内科医・上野良雄(1912年-2001年6月16日)、金沢大学医学博士、金沢大学結核研究所等勤務ののち開業医。

NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長[3]、日本社会学会理事、元関東社会学会会長(2005年(平成17年度) -2006年(平成18年度))、日本学術会議会員、シューレ大学アドバイザー、「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク」共同代表を務める。


動画追加 2015年9月23日 代々木公園集会でスピーチする上野千鶴子さん 
https://www.facebook.com/shinji.tajima.129/videos/1193552637327797/?pnref=story
9月23日ー「さようなら原発・さようなら戦争全国集会」でスピーチする上野千鶴子氏(社会学者・東大名誉教授)。彼女のスピーチは、聴衆をいつも心から笑わせるが、話の内容が非常に深くおもしろい。氏は最後に「・・・私たちの戦いは終わりません。民主主義は今や国会の中にではなく、国会の外にあります。がんばりましょう!」とスピーチをしめくくった。(FB 田島伸二氏動画より)
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